太田述正コラム#4836(2011.6.28)
<先の大戦における蛮行(その6)>(2011.9.18公開)
 「バーレイは、この戦争に関するあらゆる論点について、「裕仁天皇が<戦争において>果たした中心的役割」や「SSと<ドイツ>軍を明確に区別する<考え方のナンセンス>」について記す等、強い姿勢を打ち出している。
 米空軍による日本の爆撃に関する一つの節の見出しは「やらねばならなかった」だ。」(L)
 昭和天皇に関しては、「英国のジョージ6世が果たした中心的役割」と同じだ、で終わりですね。
 節の見出しについては、バーレイの無知と偏見の象徴である、と言っておきましょう。
 「この本には、全般的に欧州戦域に対する、そして具体的には英国の体験に対する顕著な<重点の>偏りがある。
 二つもの章が英米によるドイツに対する戦略爆撃にあてられている一方、日本だけにあてられた章は一つだけであり、太平洋戦域の残余については各所で随時取り扱われるにとどまる。
 奇妙なことに、道徳的戦闘(Moral Combat)<の章>は、現在論議されている(modern)ところの、戦時中の日本による支那の取り扱いに関する派生的諸問題について叙述しているうちに突然終わってしまう。
 支那での戦争について、この本は、立ち上がりの箇所以外ではほとんど言及していないというのに・・。
 より驚くべきことに、ヤルタ会談と戦時中の獲得領域を踏まえた戦後欧州の分割については、何の言及もなされていない。
 この問題が、例外的<に過酷>な諸事情の下で、正義の側に属する男性達と女性達が、出来うる限り最善のことをやった、という「道徳的戦闘」<の章>の中心的テーマと、テーマ的に完璧なまでに合致しているにもかかわらず・・。」(G)
 日本をまともに取り扱っていないようだと先に記したところですが、まさにそうであるようですね。
 なお、ヤルタ会談からバーレイが逃げ回るのは、英米がソ連と同盟関係を結んで先の大戦を戦ったことに対する負い目を感じているからこそでしょう。
 「<この戦争に関わった>三つの全体主義国家であるところの、ドイツ、日本、そしてソ連・・・
 バーレイは、(実際問題としてそんな見解を持っている者はほとんどいないが、)連合国の暴力(violence)と枢軸国の残虐行為(atrocities)とが道徳的に同等である、という見解を断固として拒絶する。」(H)
 日本は断じて全体主義国家ではありませんでした。
 これだけで、バーレイは歴史家として失格です。
 「近年において、何名かの歴史家達が、史料的根拠をかき集めて、連合国と枢軸国の第二次世界大戦の遂行の仕方の間に道徳的差異を見出すことを拒否することによって、この戦争のイメージを再形成しつつある。
 絶対悪に対して戦われた「良い戦争(good war)」という概念が、利己心と権力<追求>をすべての前線において追跡し比較する語り口(narrative)へと道を譲りつつある。
 連合国による、一般住民の血を流したところの作戦上の諸決定が、ドイツ人達と日本人達をして東部戦線と支那において「劣等な」人々の何百万人もの殺戮へと駆り立てたところのイデオロギー的な諸要請(imperatives)と道徳的に等しいと採点される。
 例えば、日本が広島について主張するところの疑似(quasi)犠牲者的地位に類したものが、英米に拠る空襲による苦しみについてドイツに与えられる。
 というわけで、その最新の本で、英国の歴史家のマイケル・バーレイが、この<近年の>趨勢に頑強に抵抗した勇気と彼の学識、洞察力、そしてその語り口のセンスの良さは称賛に値する。・・・
 <バーレイの>この基本的な、しかし深遠なる洞察力は、例えば、欧米がソ連と同盟したことや、英米によるノルマンディー侵攻によってもたらされた何万人ものフランス人の死、によって生み出された道徳的諸問題を矮小化するようなことはない。
 しかし、それは、これらの行為の文脈を提供し、その文脈が、米国による日系人の収容所送りと、日本による支那人の大量殺害とを、事実上同等とするところの、安易にしてユートピア的な道徳論理に根底的に挑戦するのだ。・・・
 連合国の戦場における残虐行為は、1945年の赤軍の飽くことなき残虐行為でさえ、それは公的に指示された(sanctioned)殺害というよりは「戦争の汚れ(filth)」に由来するものだった。
 しかも、戦争が終わった後、敗れた下手人達は裁判は<ちゃんと>裁判にかけられたのだ。」(I)
 「日本人<が>・・・イデオロギー的な諸要請<に基づき、>・・・支那において「劣等な」人々の何百万人もの殺戮」を行ったというバーレイの主張は、「イデオロギー」なるものが日本には存在せず、支那人を「劣等な」人々であるとする見方も日本には存在せず、日本が支那人たる一般住民を何百万人も殺戮したという事実も存在しないことから、反論にも値しないヨタ話であると言わざるをえません。
 もとより、「戦争の汚れ」に由来するところの、指示に基づかない残虐行為を、ソ連軍のそれよりは質量ともに小さいけれども、日本軍も支那等でやったことは否定できません。
 しかし、日本軍よりも更に質量ともに小さかったかもしれないものの、英軍や米軍だって同じようなことをやったこともまた否定できないところです。
 なお、支那における日本軍による掠奪や強姦や(恐らくやったと思われる)捕虜殺害は、交戦相手の中国国民党軍の悪癖に影響を受けた部分があることも付け加えておきましょう。(コラム#省略。もっとも、更に検証する必要あり。)
 「我々と我々の家族が生きるためにはこれらの害虫(vermin)を絶滅させなければならないんだぞ。文明が生き残るためには徹底的にやらなきゃならないんだ。」
 これはゲッペルス(<Joseph> Goebbels)<(コラム#1428、2035、3606、4065、4338、4427、4429)>がユダヤ人について語ったものだと言っても通るだろう。
 しかし、実際には、それは、トマス・ブラミー(Thomas Blamey)<(注8)>大将がオーストラリア部隊に対し、強姦、拷問、殺害と人肉食といった残虐行為を行った日本人達に復讐するように促したものなのだ。
 (注8)1884~1951年。オーストラリアで陸軍元帥となったこれまでで唯一の人物。
http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Blamey
 そして、これは英米の態度がナチスのそれと瓜二つとなった唯一の瞬間ではない。
 米海兵隊員は、硫黄島で、「ネズミ駆除業者(Rodent Exterminator)」という言葉をヘルメットに謄写して戦闘に赴いた。・・・
 バーレイは、アウシュヴィッツと広島とを同等のものにしようと試みる者を軽蔑する。
 ユダヤ人達はドイツに何の脅威も与えなかったのに対し、原爆は、まだ戦い続けていただけでなく、(ほとんど指摘されたことがない事実だが、)毎月100,000人以上のアジア人たる奴隷労働者達を殺害していたところの、敵<たる日本人達>に対して使用されたのだから・・。」(J)
 ブラミーの言や、硫黄島の米海兵隊のヘルメットの文言は、米豪の人種主義の表れであって、日本の将官や兵士の側にその種の事例がないのは、日本人が人種主義とは基本的に無縁であったからです。バーレイには全くそのような自覚はないのでしょうね。
 (なお、原爆投下は意味がなかったという話はここで繰り返しません。)
 さて、「毎月100,000人以上のアジア人たる奴隷労働者達を殺害」の典拠は一体何なのでしょうか。
 以下を読めば分かるように、どんなに無理をしてもそんな数字はひねり出せません。
 「日中戦争が深まり、太平洋戦争も迫った1940年頃、日本は深刻な労働不足に陥っていました。重要な戦略物資の生産拠点である炭坑や金鉱鉱山、港湾荷役、飛行場建設などには既に朝鮮人が強制連行され、奴隷労働を強いられていましたが、それでも労働力は決定的に不足していました。そこで企業は、政府に中国人労働者の強制連行・強制労働を願い出、政府はこの要請に応じて、1942年の閣議決定で中国人の強制連行を決定しました。
 1943年4月から1945年5月にかけて、38,939名にも及ぶ中国人が日本に連行され、日本各地の135の事業所で奴隷労働を強いられました。」
http://www.nicchu-doren.org/kyouren.html
 「太平洋戦争中に労働目的で強制連行され日本で亡くなった・・・中国人<は>・・・6830人」
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2009-08/04/content_18264462.htm
 朝鮮人は当時は日本人だったので、対象外として、後は、「インドネシアにおける・・・石油や錫、アルミなどの軍需物資採掘での強制労働行為」くらいしか思い浮かびませんが、多数の死者が出たということくらいしか分かっていないようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E4%B8%80%E8%A6%A7
(続く)