太田述正コラム#0038(2002.6.4)
<「防衛庁リスト」事案>

 戦後半世紀以上にわたって日本の国家戦略であり続けている吉田ドクトリン(安全保障は米国にゆだね、経済に専念する)のひずみが安全保障担当官庁である外務省と防衛庁における不祥事となって噴出しているというのが、私のかねてよりの主張であることは、ご存じの方も少なくないと思います。
(両省庁とも、本来の仕事をさせてもらえないので、志気が弛緩し、組織が生活互助会化してしまっているというわけです。拙著(「防衛庁再生宣言」日本評論社2001年7月)等を参照。)

しかし、所掌等が異なるところから、両省庁での不祥事の現れ方の様相には、自ずから違いがあります。

今回の「防衛庁リスト」事案について申し上げれば、この事案は、倒錯した防衛庁の脅威認識がもたらした悲喜劇だと言うべきでしょう。しかし、この悲喜劇を国民は観客の立場で、(怒ったふりをしながら、)楽しんで見ているわけにはいきません。倒錯した防衛庁の脅威認識は、倒錯した国民意識の忠実な反映にほかならないのですから。

説明しましょう。

吉田ドクトリンの下では、日本の安全保障は米国に丸投げされているのですから、日本の国民は、戦後、外からの脅威について真剣に考えたことがありません。しかも、この吉田ドクトリンの下では(、米軍が日本を守ってくれるので、)本来なくてもよい存在である防衛庁・自衛隊に対し、論理必然的に国民は冷ややかな目を投げかけ続けてきたわけです。
防衛庁側からすれば、脅威は外からは来ない(=外からの脅威について考えてもせんないことだ)、むしろ日本の社会そのものが脅威だ、と受け止めざるをえない状態が続いてきたということになります。
そこで、「防衛庁リスト」事案です。
 「情報」に関し、機密漏洩防止や諜報収集に関わる法制の整備は遅々として進まないというのに、情報開示の法制だけはグローバルスタンダードに近いところまで整備されてしまったという状況は、いまだに吉田ドクトリンの呪縛から抜けられないがために、あらゆる分野で矛盾が先鋭化し、にっちもさっちもいかなくなった現在の日本を象徴しています。
 防衛庁から見た「脅威」は、更に大きくなったのです。
 防衛庁が、情報公開要求者を「敵視」したリストを作成し、このリストの存在が露見するとその隠蔽を図った(具体的には、??一個人に作成・回覧責任を押しつけ問題を矮小化しようとした。??事案の最初の報道直後にLAN上の複数の「リスト」を消去して証拠隠滅を図った。)背景は以上の通りです。
これらの行為は、それぞれ、上からの明確な指示によるというよりは、関係者達の発意によって、彼らが共有しているところの「組織的常識」に照らし、自発的に行われた可能性が高いと私は推察しています。こういうものについてまで、「組織的関与があった」と表現すべきかどうかは、本質的な問題ではないでしょう。

以上のように「防衛庁リスト」事案を理解することは、防衛庁を免責するものでは決してありません。
防衛庁が生活互助会化したり、倒錯した脅威認識を持ったりするのはある程度やむをえないとしても、間歇的に「不祥事」が暴露される都度(「善意」の者が少なくない)多数の関係者達が犠牲になるといったことが繰り返されないよう、防衛庁の中枢が世の中の進展を見極め、その世の中の進展と齟齬をきたすことのないよう組織全体をリードしていくのは、決して不可能なことだとは思いません。
情報公開に関して言えば、防衛庁の中枢が、何が安全保障上の秘密なのか、何がプライバシーにあたるのか等の内部基準を明確に定め、それ以外の情報については、要求があれば、誠意をもって積極的に公開に応じなければならない旨を組織全体に徹底しておれば、今回のような事案は起こらなかったはずです。(付言すれば、LANへの公開基準もより明確にしておくべきでした。)

問題は、防衛庁に組織の中枢が存在しないことです。形の上では内局がそれにあたるのですが、陸海空自衛隊(及び統合幕僚会議)の現場を知らず、軍事知識はもとより、いかなる専門知識も持たず、一方的に制服自衛官に君臨するだけの防衛庁キャリアが盤踞する内局は、組織の中枢として実態上全く機能していません。中枢が機能していない組織が迷走するのはあたりまえです。
また、防衛庁キャリアの大部分は法律職として国家公務員試験に合格して入庁してきているのですから、防衛庁は法律の専門家を多数擁していて当然なのですが、残念ながら法律の専門家も育っていない。だから、情報公開という新しい法制度への対処一つとっても、防衛庁はかくのごとく醜態を晒してしまうのです。

私は、このような問題意識から、(英国国防省の中央組織にならい、)内局における制服・シビル混在体制への移行、そして、内局キャリアに対する法律、マネジメント等の専門家としての人事管理、等を提案してきました。(前掲拙著を参照。)
しかし私は、現在の体制の下でも、内局キャリアの中から、(志の高い人物が出て来ることは期待薄だとしても、)せめて自己保身と組織の保全に真剣に取り組む人物が出てきて不祥事の回避に努めて欲しいと切に願っています。
さもなければ、近い将来、より深刻な不祥事が表面化して防衛庁は現在の外務省以上の指弾を世論から受け、世界第二位の軍事費を費消する大軍事機構たる防衛庁が、解体に追い込まれ、内局リャリアも全てを失うはめになることは必至でしょう。(その場合でも、小規模な「国土守備隊」は生きながらえるでしょうし、その方がいいのかもしれませんが・・・。)