太田述正コラム#4882(2011.7.21)
<人間主義・唯一神・人権(その2)>(2011.10.11公開)
 次に2番目のコラムです。
 「・・・我々には、愛着(attachment)への強力な渇望(need)をもって生まれる。
 このことは、ずっと前の1940年代に、精神科医のジョン・ボウルビー(John Bowlby)<(注4)>によって発見され、心理学者のメアリー・アインスワース(Mary Ainsworth)<(注5)>によって発展させられた。
 (注4)1907~90年。英国の心理学者・精神科医・精神分析家。乳母によって育てられ、7歳の時に寄宿学校に入れられた。ケンブリッジ大学卒、ロンドンのユニバーシティー・カレッジ病院で医師となる。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Bowlby
 (注5)1913~99年。カナダの発達心理学者。トロント大学で学士、修士、博士号取得。夫とともにロンドンに住んでいた頃に愛着理論を発展させた。その後は米国に居住、ヴァージニア大学で教鞭をとる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Mary_Ainsworth
 個人の生存は、母親達を始めとする保護者達によって増進(enhance)させられる。
 愛着は生理学的に脳化学によって補強され、我々は、完全にそれ専用の神経網を生み出し維持している。
 保護者達への生来的(inborn)渇望は、宗教的指導者達や、より顕著には、神々等のありとあらゆる権威的存在(authority figures)への渇望へと容易に拡張される。
 神は超親となり、我々を保護してくれるし、死や遠く離れているために、我々にとってより形而下的な支援システムが消滅した場合ですら、我々のことを気にかけてくれる。・・・」
http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-thompson-atheism-20110718,0,314031,print.story
→ここで、一旦切って、私のコメントを加えたいと思います。
 この問題を考えるにあたって、日本における、いわゆる「アダルトチルドレン(Adult Children)」をめぐる論議が参考になります。(注6)
 「本来、親は子どもに無条件で愛情を注ぐものだが、親の愛情が無条件の愛ではなく、何らかの付帯義務を負わせる「条件付きの愛」であることが問題となる。これが継続的に行使される家庭では、子どもは親の愛を受けるために、常に親の意向に従わなければならず、親との関係維持のために生きるようにな<る。>・・・しつけには単純命令がつきものであり、命令なしに躾はできない。子どもにとって躾のステップは「親の命令に従う」→「命令の意味・理由の理解」→「社会規範の習得と道徳法則の理解」であり、これを幼児の散発的な欲望に、なかば逆らう形で導入しなくてはならない。親の立場からみた場合、面倒なあまり、命令に従わせることが目的化してしまった場合、子どもが道徳法則の理解までのステップが遠のくことになる。ステップを軽視してしまった場合、子どもの立場では単純な強要となる場合があり、子どもの理解度に注視続ける必要がある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%B3
 (注6)これが、米国由来の概念であるにもかかわらず、英語ウィキペディアでこの概念そのものを扱ったものが存在せず、「機能不全家族(Dysfunctional family)」に関する英語ウィキペディアの中で、これに類した話が出てくるにとどまっている
http://en.wikipedia.org/wiki/Dysfunctional_family
ことは興味深い。
 その理由だが、私には、日本では機能不全家族が少なく、従ってアダルトチルドレンも少ないため、アダルトチルドレン問題が精神障害に近い問題として取り上げられるのに対し、米国(や韓国)では、ほとんどの家族が多かれ少なかれ機能不全家族であって、従ってまた、ほとんどの人間がアダルトチルドレン的に人となるからではないか、という気がする。
 アダルトチルドレン問題を私の言葉に置き換えると、まず第一に、親が人間主義的ではなく、利己的に子供に接し続けると、その子供は、(規範が内面化されないまま、)誰かが常に命令してくれるか、外から規範が押し付けられない限り、正常な生活が送れなくなるところ、このような子が親になると、これがその子へと繰り返されて行く、ということでしょうか。
 そして、こういう人が大部分である社会が、例えば、米国であり朝鮮ではないのでしょうか。
 しかし、その米国と朝鮮とでは、人間関係の在り方が全く異なっています。
 実際、個人主義性向を見ると、日本を挟んで、米国と朝鮮(韓国)は対蹠的存在です。(注7)
 (注7)「オランダの社会心理学者ホフステード<の>分析<によると、>・・・個人主義性向<について、>・・・同じ基準で世界56地域で意識調査を実施し、指標で表した<(>100に近いほど個人主義的で、1に近いほど集団主義的<)ところ、>個人主義性向が最も強いのは米国(91)、最も集団主義的な国はグアテマラ(6)だ。韓国(北朝鮮除く)は18で、アジアの平均値24を下回った。中国は20、日本は46だった。」
http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=137277&servcode=100&sectcode=120
 先に、朝鮮についてですが、改めて朝鮮人とはどういう人々であるのか、ということを思い出させてくれたのが、俳優の高島政伸とモデルの美元の現在進行形の離婚騒動です。
 「・・・美元は父と兄ばかりでなく、親戚含め、家族の繋がりをとても大事に考えていた。苦労してきた分、恩返しをしていきたいとも思っていた。
 「新婚旅行の前に、家族全員で香港へ旅行に行ったり、父親やお兄さんの誕生日も盛大にお祝いしたり…もちろん、支払いは政伸さんだったと思います。・・・」
http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/story.html?q=postseven_26232
 「<美元は、>(帰化した在日朝鮮人)の父と韓国人の母の間に生まれ<た。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%85%83 
 これは、外地において、本国における人間の在り方が、より純粋な形で維持されることがある、という事例なのではないでしょうか。
 すなわち、在日朝鮮人の間では、今なお儒教倫理が支えているところの家族の紐帯が生きているのかもしれない、ということです。
 ところが、その本国では、家族の紐帯が弱まりつつあることから、(今更儒教倫理の再活性化は困難なので、)人間主義的ではないところの、その社会の安定性の確保が困難になったため、宗教やイデオロギーが活用されるに至っています。
 これが、朝鮮半島において、南では、キリスト教国家と化したかのような韓国(コラム#539、543、2338、2537)が生まれ、北では、特異な世襲民主主義独裁国家(コラム#1034)が生まれ、維持されていることの背景ではないか、と私は考えている次第です。
(続く)