太田述正コラム#2361(2008.2.12)
<新著断章(続)>(2012.1.28公開)
4 防衛庁調達実施本部不祥事
 (1)背任・汚職事件
 防衛庁調達実施本部背任・汚職事件とは、諸冨増夫調達実施本部長(早大法卒、1962年入庁。その後防衛施設庁長官で退官)が1994年から85年にかけて起こした背任事件のことです。
 同本部のの装備品納入をめぐり、諸冨本部長と上野憲一副本部長が結託し、認定された東洋通信機株等4社の調達価格水増しに係る返納額を恣意的に減額し、その見返りに職員の天下り先を確保させたりカネを受け取ったりしたことが発覚し、1998年に諸冨、上野両名が逮捕され、後に諸冨氏は懲役3年、執行猶予5年、上野氏は懲役4年、追徴金838万5000円の判決を受けます。
 (2)証拠隠蔽事件
 これは、上記背任・汚職事件が1997年に発覚し、爾後防衛庁が部内調査を行っていたところ、検察の捜査を予期して、1998年に多数の関係者が関連資料の隠蔽、焼却等を行った事件です。
 この事件が同年9月に明るみに出た結果、11月には、防衛庁長官の額賀福志郎が辞任、事務次官の秋山昌広(大蔵省出身)、9月中に官房長の職を解かれていた前官房長の藤島正之、同じく9月中に調達実施本部総務担当副本部長の職を解かれていた前調達実施本部総務担当副本部長の石附弘(警察庁出身)の各氏が退官します。
 なお、額賀氏は、背任・汚職事件と証拠隠蔽事件双方の責任を問われ、参議院本会議で問責決議が可決され、辞任に追い込まれたものです。
 防衛庁自身の報告書においてさえ、秋山、藤島、石附各氏については次のような厳しい指摘がなされています。(石附氏の部分は省略しました。)
 「秋山事務次官は、昨年以来、事務レベルの最高責任者として東洋通信機株等4社事案に関し、内部調査等による事案の解明、処理に取り組んできたが、結果的に刑事事件として立件されるまで真相解明と適切な処理を行うに至らなかった。また、本年夏には、「東通事案に対する現時点での評価について」(・・以下「評価書」という・・)をとりまとめ、防衛庁として地検に提出したが、この見解は背任事件の起訴後撤回されることとなった。これらは当庁の行政遂行能力や自浄能力について国民の間に重大な不信を抱かせる結果となった。
・・・
8月28日(金)藤島前官房長は、週末に未だ読んでいない資料に目を通すとの理由で・・7月下旬頃石附前調本副本部長から受領したヒアリング・ファイル・・や評価書、想定問答集など各種資料を自宅に持ち帰った。これらの資料のうち、ヒアリング・ファイルについては目を通した後、特に必要ないと判断したこと及び資料がコピーであったとの理由で、他の不要と判断した一般の文書とともに9月5日(土)又は6日(日)に自宅で破棄した。残りの資料については9月14日(月)の当庁強制捜査の際に、押収された。同前官房長は、防衛庁における文書管理の統括的責任者の立場にありながら、以上のような行為を行ったものである。」
 そして、11月20日に防衛庁職員42名が処分されました。(内訳は、停職1、秋山、藤島、石附3名を含む減給6、戒告4)
 運用局長をしていた大越康弘氏(東大教養卒、藤島氏の同期で1967年入庁)は、前任の官房長時代の責任を問われて減給10%の処分を受けたのですが、最終ポスト含みで防衛研究所長に転出します。
 そして同じ20日には、藤島氏の後、善後処理のために官房長代理をしていた伊藤康成氏が内閣安全保障・危機管理室長に転出し、私の同期の守屋が防衛施設庁施設部長から二階級特進の大抜擢で官房長に就任します。
 この守屋の人事を決めたのは、額賀防衛庁長官、秋山次官、伊藤官房長代理の3名ということになります。
 新次官には内閣安全保障・危機管理室長から呼び戻された形で江間清二氏(中大法卒、1966年入庁)が就任します。
 守屋の着任式には、私も「官房」審議官なので出席しましたが、他の3人の官房審議官のうち1人(新たに着任)は、守屋より一期先輩だからか、出席を免除されていました。
 この時守屋が、着任挨拶の中で、不祥事の問題に全く触れなかったことに奇異の念を持ったことを記憶しています。
 この日の私の日記には、
 「調達実施本部は解体し、内局に監察機能を持たせると共に、経理局と装備局を合体させる構想のようだ。大蔵省醜聞で大蔵からの出向を断念させたかと思ったら、次は証拠隠滅事件で石附氏に責めを負わせて警察からの出向を断念させ、仕上げは原価「差異」事件を種に通産からの出向を断念させる。結局の所、内局プロパーの焼け太りということになりそう。」
と記されています。
 まるで改革など望むべくもなく、防衛庁の内局は一層堕落・腐敗するであろうことを予期しているような文章ですが、この予期が的中したことは皆さんご承知の通りです。
 (以上、私の日記及び記憶によったほか、
http://www.mod.go.jp/j/library/archives/chotatu/r981119a.pdf
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%BA%81%E8%AA%BF%E9%81%94%E5%AE%9F%E6%96%BD%E6%9C%AC%E9%83%A8%E8%83%8C%E4%BB%BB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-05-09/15_01.html
http://www010.upp.so-net.ne.jp/iwao-osk/90s/BCor.html
(いずれも2月12日アクセス)による。)
 このような堕落・腐敗に、大蔵、警察出身の防衛庁幹部も関わっていたことからも、官僚機構全体が防衛庁同様、堕落・腐敗していることが伺われるところです。
 1998年10月15日の衆院決算行政監視委員会において、会計検査院の疋田周朗院長(当時)が答弁に立ち、調達実施本部背任・汚職事件で逮捕・起訴された上野憲一氏が、検査院OBらの再就職を防衛関連企業に斡旋しており、そのためもあってか、検査院側が調達実施本部の不正経理を把握しながら報告書に盛り込まなかった点を「なれ合い」と批判されたことを受け、「批判を真摯に受け止める。今後、公正性に疑念を持たれないように努めたい」と答弁した(コラム#1119)ことから、会計検査院も同じ穴の狢であることが分かりますね。
 この会計検査院長の答弁が言葉だけのものであったことも、2006年に防衛施設庁官製談合事件が露見し、前防衛施設庁技術審議官たる理事長が逮捕された防衛施設技術協会の職員に、施設庁OB以外に会計検査院のOBがいた(コラム#1077)ことで明らかになったところです。
 官僚機構に自浄能力などないのです。