太田述正コラム#5070(2011.10.23)
<中野雅至『天下りの研究』を読む(その2)>(2012.2.7公開)
 「国家公務員についてであるが、・・・政府が再就職状況を公表するようになったのは平成12(2000)年度からにすぎない。・・・<次いで、>「公務員制度改革大綱」(平成13年12月25日閣議決定)において、公務員の再就職の状況についての透明性を確保するため、再就職状況を公表しているところである。<従って、>・・・分析に耐えうるような大量のデータが蓄積されていない・・・。・・・
 政府がこのような再就職のデータを公表するに至った経緯について、特殊法人労連の堤和馬事務局長によると、1996年6月、アメリカ大使館から特殊法人労連に対して天下りについて質問調査があったということである。この時のアメリカ政府の認識は「アメリカの企業が日本に進出するときに、天下りシステムが参入障壁になっているのではないか」というものであって、実際、それからしばらくして、アメリカ政府は日本への貿易に関する要求として「天下り情報の開示」も掲げたが、このアメリカ政府の要求を受けるような形で、日本政府は97年から特殊法人等役員の報酬、退職金の計算式などを含めて情報公開を始めたという。・・・」(40~41、86頁)
→本シリーズでは、もっぱら、国家公務員の天下りについての本書の記述をご紹介することにしたいと思います。
 かかる天下りについての部分的情報開示ですら、自民党恒久政権下では、宗主国の「指示」抜きでは行われ得なかったことに、改めて思いを致すべきでしょう。(太田)
 「財務省の天下り先の豊富さは有名である。財政と金融が分離されてからは金融機関への影響力がなくなったため、地銀などへの天下りが減ったとも言われるが、横浜銀行の頭取は相変わらず財務省事務次官経験者である。
 三大天下り先としては、金融機関を中心とした民間企業、公正取引委員会などの公職、政府系金融機関などの非営利法人の3つということになる。この3つにバランスよく天下り先を持っている役所は財務省の他にはない。・・・
 非営利法人や公職の多さは、財務省が民間企業だけでなく他の省庁にも大きな影響を及ぼしていることを示している。予算を背景にして、他省所管の非営利法人に天下ってきたのである。また、財政投融資を所管してきた大蔵省が、その権限をバックにして財政投融資機関である特殊法人に天下りしてきたというのは、霞が関では一致した見方だと言える。・・・さらに事務次官の再就職先を見ればよくわかるが、2回目・3回目の再就職先でさえ名だたる政府系金融機関の総裁職などというのは、財務省だけの特徴である。・・・
 次に、天下りの規則性(特定の天下り先に、特定のポストの人間を一定期間のサイクルで送り込んでいるか等)についてであるが、これも歴代事務次官の天下り先を見れば、一目瞭然だが、極めて規則性が強い。明らかに植民地化された特定のポストが複数存在し、そのポストへ年次・最終役職を基盤にして人材が規則正しく送り込まれている。・・・
 成果主義の強度は、財務省全体の天下りが豊富であるために目立たないが、最終的な役職によって再就職先が異なることは、他の省庁と比較して厳格に守られていると考えられる。事務次官と主税局長・国税庁長官の再就職先を比較すればわかるが、開銀・輸銀・日銀・国民金融公庫総裁の4つは事務次官経験者しか就任していない。確かに、海外経済協力基金総裁を経験している主税局長は存在するが、主税局長の場合、多くは政府系金融機関の副総裁か格下の政府系金融機関総裁である。・・・
 <ちなみに、>世界銀行に長年勤める日本人職員は、「日本の官僚たちは、日本のカネの力によって世界銀行や国際通貨基金(IMF)に確保されたポストで、気楽に恵まれたワシントン生活が約束されている・・・。変形の天下りといえるこの種の官僚人事は、日本国内ではもう通用しないから、ワシントンは最後の桃源郷というわけです」と発言するとともに、・・・海外にまで天下り範囲を広げる日本の・・・財務・・・官僚を批判している。」(86、98~100頁)
→一般読者の皆さんにしてみれば、財務官僚(旧大蔵官僚)は垂涎の的ということになるのかもしれませんが、軍や内務省といった、人材獲得面における競争相手がいなくなった戦後において、キャリア官僚中の上澄みが毎年財務省に入省してきたというのに、彼らの中の上澄みであればあるほど、天下り制度の中で雁字搦めになり、その能力を自由に発揮する道を閉ざされてきた、ということは、彼らにとって不幸であっただけでなく、日本にとって大きな損失であった、という認識を皆さん持って欲しいと思います。(太田)
 「外務省<は、>・・・天下り先・・・については、特定の業界を所管する国内官庁ではないこともあり、豊富とは言えない。・・・ただ、他の省庁と異なり、世界各国の大使という公職があり実際の退官年齢は遅いことから、公職という天下り先の豊富さでは群を抜いている。・・・
 事務次官ポストを中心に時系列の変化を見てみると、かつてのように天下り先の民間企業で社長にまで栄達するような第二の人生を送る例は、昭和30年代以降はほとんどない。多くは企業顧問になるか大学教授の比率が増えている。・・・外務官僚の専門能力が高く評価されているという側面もあるということであろう。・・・」(100~101頁)
→「外務官僚の専門能力が高く評価されている」というくだりは、中野のナイーブさを示すものです。
 企業顧問については、外務省がODAの主管官庁である
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110930/plc11093021390026-n1.htm
ことから、ODAがらみの企業・・それは防衛関係企業並に多い・・には、見返りを期待して外務官僚OBを顧問に迎えるニーズがありますし、また、外務省が、おおむねすべての他省のOBにも大使ポストをあてがっているのは、その見返りとして各省庁所管の産業に係る企業の顧問ポストを確保するためでもあります。
 見返りとして確保されるポストの中には、文部省所管の国公私立大学や防衛省所管の防衛大学校等の教授職も含まれるわけです。
 大学教授について、更に述べれば、ご多分に漏れず、外務省も各種審議会を持っており、また、外務省独自のものとして大使館専門調査員制度
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/saiyo/senmon/index.html
があるほか、パリ日本館
http://maisondujapon.cool.ne.jp/h_maison.html
等外務省の息のかかった在外文化交流施設があり、審議会委員や大使館専門調査員や在外文化交流施設の長等に大学教師を委嘱することで、当該教師が奉職する大学に箔付けをしたりメリットをもたらしたりする見返りとして、これらの大学が直接外務省からそのOBを教授として貰い受けることもある、ということです。
 なお、猪口邦子上智大教授を軍縮会議日本政府代表部特命全権大使に就け、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AA%E5%8F%A3%E9%82%A6%E5%AD%90
、或いは北岡伸一東大教授を国連代表部次席大使に就けた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%B2%A1%E4%BC%B8%E4%B8%80
のも、私は、外務省が、これらの大学の教授職に外務官僚OBを天下りさせる布石であったのではないか、と勘繰っています。
 なお、戦後の属国日本においては、外交などあってなきが如しなのですから、大部分の外務官僚は全球的標準の教授になりうるだけの経験を積んだり勉強をしていたりするはずがないこと、他方、各大学の国際政治関係の教授達のレベルも極めて低いこと、をお忘れなく。(太田)
(続く)