太田述正コラム#0089(2002.12.26)
<個人主義(その2)(アングロサクソン論7)>

(3)厳しい親子関係
もう一つ、イギリスの個人主義を支え、その再生産を可能にしてきたものとして、厳しい親子関係があげられます。
  1987年にイギリスに行った時、児童虐待問題が話題を集めていました。その後、日本でも顕在化してきた問題であり、イギリス固有の問題でも何でもないのですが、日本とは、様相がかなり違います。
  私が、ロンドンの薬局に行ったときに見つけた児童虐待防止キャンペーンのパンフレットの記述のご紹介から始めることにしましょう。

 「児童虐待の主要形態は次のとおりです。
  物理的虐待・・・親が物理的に子供を傷つけ、殺す場合です。・・ ・
性的虐待・・・親が、自らの性的欲望を満たすため、子供を性的に虐待する場合です。これには、性交、あるいはお触り、マスターベーション、オラル・セックス、肛門性交、さらには子供にビデオなどのポルノを見せるといった形態があります。
    放置・・・親が子供に食物、衣類、暖房や医療といった基本的かつ不可欠なものを与えない場合です。子供を一人ぼっちで保護者がいない状態でほおっておくのももう一つの例です。子供に愛情を注ぐことを拒否し、あるいは注ぐことに失敗するのは、情緒的放置のケースです。         
    情緒的虐待・・・愛情及び関心の恒常的欠如、脅し、言葉による攻撃、あざけりやわめきは、子供の自信及び誇りを失なわしめ、神経症や自閉症にしてしまいかねません。」(Protect
your child, a guide about child abuse for parents, National Society for the Prevention of
Cruelty to Children)

日本人のわれわれの感覚からすると、何ともどぎつい言葉が並んでいますが、その中でも注目されるのは、性的虐待と放置でしょう。まず、放置についてですが、イギリスでは、幼児一人を家に残して外出することは法律で禁じられています。ベビーシッター等を雇わなくてはいけないわけです。お節介な話ですが、そうでもしないと、文字どおり、「放置」される幼児が続出するからだろうとかんぐりたくなります。
(この文章を読み返している今も、「放置」のニュースが絶えることはありません。イギリスで11歳の少年が「放置」され、母親が逮捕された事件や、12歳の少年が心の病(の疑い)で逐電した母親をかばいつつもその少年と母親双方が保護された事件(いずれも、安全に心配がなく、食べ物も十分あったケース)が報道されています(http://www.guardian.co.uk/uk_news/story/0,3604,865063,00.htmlhttp://www.guardian.co.uk/uk_news/story/0,3604,865053,00.html。12月25日アクセス)。いずれも、日本では法律の有無とは関係なく、殆ど問題にならない事件でしょう。)
問題は性的虐待です。
これが、しばしばニュースだねになるのです。テレビでも、父親が女の子に性的虐待をしているという噂を立てられ、保護司と警察に自宅にふみこまれて、強制的に子供を隔離された夫婦の苦しみを描いた実話ドラマが話題を呼んでいました。
話はちょっとわき道にそれますが、イギリスでは、ロンドン郊外にある、国防省の官舎(メゾネットスタイルの1ー2階)に入っていました。そのわが家の一階の中庭から、黒いノラ猫が2匹訪ねてくるようになったのです。日本でも、前にノラ猫を飼い猫にしたことがあったのですが、同じノラ猫でもずいぶん違うのです。日本のノラ猫は、腹をすかせ、やせていて、人間に対する警戒心が異常に強いのに対し、イギリスのこの二匹の猫は、泰然としており、食べ物をやっても、がつがつ食べるようなことはせず、また過度に愛想をふりまくこともなく、どれだけ外が寒くても、しばらくソファーの上で丸くなって温まった後、自分で帰って行ったものです。まことに見上げた態度と言うべきでしょう。
傍若無人にふるまう日本の子供達とは異なり、イギリスの子供達は実にかわいく、また礼儀正しいのですが、これが次第に猫の態度と二重写しになり、かわいくなければ「放置」され、甘えすぎるといたずらをされかねないという哀れな状況下で必死に生きなければならない、「ペット」としての彼らの生存の知恵のなせるわざのように思えてきました。
チャールス皇太子の妹のアン王女は、恵まれない子供達に援助の手を差し伸べる、ある福祉団体の会長をしているのですが、あるとき、テレビのインタビューで、「自分は子供が嫌いだが、恵まれない子供達に援助することの意義は認めるので、この仕事のお手伝いをしている。」という、考えようによっては大変過激な発言をしているのを聞いて、思わず耳を疑いました。しかし、その後、次第に、いかにもイギリス人らしい発言だと思うようになったことでした。つまり、人によって、好きな動物、嫌いな動物があっても、いずれにせよ、人間の子供という動物も、大いに保護してやる必要があるという趣旨だと理解すれば、合点がいくのです。
親による子供の虐待があれば、当然その逆のケースもありえます。シェークスピアの「リア王」は、財産を、子供達に気前よく分け与えてしまった親が、もはや用のなくなった存在として、子供達から徹底的にないがしろにされ、ついには発狂してしまうという筋であったことを思い出してください。
ところで、児童虐待問題が余りにかまびすしいものですから、イギリスの「正常」な親で、子育てに自信を失った人が相当出てきたということでしょうか、先ほどご紹介したパンフレットの後の方に傑作な箇所が出てきます。

「親は子供にさわっても良いか?
子供への性的虐待に対する関心の高まりにつれ、親、とりわけ父親の中で、いままで当り前だと思ってやってきたことに疑いの念を抱くようになった方々がたくさん出てきました。父親は、子供を風呂に入れ、おしめをかえて良いものか、子供をくすぐっても良いものかといった疑問です。
もちろんかまいません。これらのすべての行為はまったく正常であり、虐待にはあたりません。子供は、親にあったかさ、安全及び愛情を依存しており、親が子供に着物を着せ、食べさせ、洗ってやるのは、正しく自然なことです。
また、愛情と関心を示すときに、親が子供を抱きしめ、かわいがり、キッスをし、軽く叩くのも自然なことです。これらの行為は、みな正常で許されることであり、すでに見てきたように、子供に愛情と関心を示すのを拒絶すれば、それは「放置」に該当します。
子供は、親との肉体的接触を好むものですが、もし子供がいやがっているようなら、それ以上はやめなければいけません。
いかなる親にとっても、自分の子供によって性的興奮をかきたてられるのは正常ではありません。親が子供を自分の性的充足の対象とすることは悪いことなのです。 
何が親と子供の正常な行動なのかもっとくわしく知りたい方は、あなたの家庭医に相談されるか、または当会支部にお問い合わせください。」 

こういった荒涼たる親子関係も、どうやら昔からのことのようなのです。再び前出(コラム#54)の15世紀末のベネティア大使に登場願いましょう。
「イギリス人の愛情の欠如は、特に子供との間ではなはだしいものがある。せいぜい七つから九つぐらいまで手元に置いた後、男の子であれ、女の子であれ、よその家の過酷な奉公働きに7から9年間の期限で出してしまう。これは、徒弟奉公と称されている。・・・(両親は)、生活を自分達だけで楽しみたいし、奉公人を外から雇った方が、自分達の子供よりこき使うことができると考えるのだ。・・・子供を家においておけば、自分達の食べ物と同じ上等なものを食わさなければならないというわけである。(ひねてかわいげのなくなった「ペット」になど、上等なものを食わしてたまるかということなのでしょう。(太田))
(子供は、年季が開けても、家に帰るわけではなく、)父親ではなく、奉公先の主人の援助を受けて、店を構え、懸命に努力して財産をつくろうとする。・・・親から財産をもらうあてもないものだから、彼らはみな利の追求にどん欲になり、神様にまでおすがりして、わずかばかりの金を稼ぐことを恥ずかしいとは思わない。」(『結婚』)
親子関係が、このように、飼い主・ペット関係もどきのものになっている理由はいくつか考えられます。
第一に、ヨーロッパ諸国とは異なり、イギリスでは、子供の財産は親の財産と明確に区別され、子供が親に経済的な面で貢献をする義務がなかった点があげられます。
子供による、親の扶養義務については、法律に定めがあった時代ですら、裁判所は親を救済しなかったようですし、子供がどんなに小さくても、子供が稼いだカネに親が勝手に手を出すことは許されませんでした。また、イギリスでは親が死んだ場合、子供に親の遺産に対する法定遺留分は認められていませんし、逆に子供が死んだ場合、親に子供の財産が還流することもなかったようです。(同上)
第二に、イギリスでは、親として、子供にいざというときに頼る必要がそれほどなかった点です。
というのは、親にとって、有利な投資先がいくらでもあったからです。しかも、政府は強力であり、投資によって得られた収益、財産は確実に保全できました。島国であったこともあり、常備軍を維持する必要がなく、税金はそれほど重くありませんでしたし、外国の侵略を受けて、市民の財産が蹂躙されるというようこともなかったからです。(同上)
第三に、イギリスの農業は、現在でもヨーロッパの国々の中で、最も牧畜のウェートが高いのですが、これは、鯖田豊之さんのいう、「ヨーロッパを牧畜適地にしたのは、要するに、自然に生える草類が家畜飼料にならないほど徒長するのを妨げる、独特の気候条件であった」という点が、とりわけイギリスに強く当てはまったからでしょう。
「ヨーロッパで家畜を飼うのは、日本とちがって、すこしも面倒なことではない。極端ないい方をすれば、家畜はほっておいても大きくなる。ただ、自然のままの牧草地や森林では不十分なので、人間の手で条件をととのえてきたにすぎない。」(以上、『肉食の思想』中央公論社より)ということからすると、穀類生産、とりわけわが国のような稲作農業の場合とは異なり、どうやら、子供をつくって増やして、労働力として農地に投入すれば、それだけ生産量が増えるというわけではなさそうです。このような農業のあり方が、子供に対する特異な関係の形成につながったことは、大いに考えられるところです。
以上のようなわけですから、これでは、イギリス人ならずとも、「個人主義者」たらざるを得ないわけです。