太田述正コラム#5386(2012.3.28)
<黙示録の秘密(その2)>(2012.7.13公開)
 (2)黙示録の背景
 「・・・パゲルスは、ヨハネは、神殿が破壊された<(注5)>後のエルサレムからのユダヤ人難民であるとする。・・・」(D)
 (注5)第一次ユダヤ戦争(First Jewish–Roman War。66~73年)中の70年にユダヤ叛乱軍が籠城していたエルサレムがローマ軍によって陥落するが、その際、神殿は火を放たれて焼け落ちる。
 ちなみに、この戦争の経過は以下の通り。
 ローマ帝国のユダヤ属州(Judaea Province)でギリシャ人とユダヤ人の間の宗教紛争が始まり、それが、ローマが科した税金に対するユダヤ人の抗議運動とユダヤ人によるローマ市民達に対する攻撃へとエスカレートして行く。
 ユダヤのローマ軍駐屯地はすぐに叛乱者達に占拠され、親ローマのアグリッパ(Agrippa)2世・・{ヘロデ大王の「王家」の最後の「王」でユダヤ教徒だがローマ化しており、もはやユダヤの国王だったわけではないけれど、エルサレムの神殿の管理権を有していた。}・・は、ローマ人の役人達とともに、ユダヤの北部のガリラヤ(Galilee)へと逃亡した。
 ローマのシリア総督(legate)は、1個軍団(legion)を率いてこの叛乱を鎮圧しようとしたが、待ち伏せ攻撃を受けて敗北を喫してしまう。
 そこで、ローマは、ウェスパシアヌス(Vespasian。[9~79年。ローマ皇帝:69~79年])将軍とその息子のティトゥス(Titus。《39~81年。ローマ皇帝:79~81年》)率いる4個軍団を派遣し、ガリラヤから平定作戦を開始し、ティトゥスによるエルサレム包囲、陥落を経て、最終的に叛乱の全面的鎮圧に成功する。
http://en.wikipedia.org/wiki/First_Jewish%E2%80%93Roman_War
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%8C%E3%82%B9 ([]内)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9 (《》内)
http://en.wikipedia.org/wiki/Agrippa_II ({}内)
 なお、第一次ユダヤ戦争に関する日本語ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%88%A6%E4%BA%89
の内容は英語ウィキペディアとはかけ離れたものになっているところ、事柄の性格上、前者の大部分は不正確ないし時代遅れである、と断ぜざるをえない。
 パゲルスは、この書を彼女が呼ぶところの「戦争文学」の文脈の中に置く。
 ヨハネは、66年の小競り合いを目撃した可能性が高い。
 その頃、過激派の(militant)ユダヤ人達は、宗教的熱情で燃え上がり、ローマの退廃とユダヤ(Judea)占領の双方に関してローマに対して戦争をしかける機運が高まっていたのだ。・・・」(C)
 「・・・パゲルスは、黙示録は特定の時と場所で書かれたことを強調する。
 ローマが大神殿を焼け落ちさせ、エルサレムを廃墟にした後の恐らく90年前後にトルコの沿岸沖の小さな島において・・。
 「彼の書が戦争文学であることを見てとった時においてのみ、我々は彼が何を書いたかを理解し始める」と彼女は言う。
 換言すれば、ヨハネによる物語<、すなわち黙示録>の最初の方で描かれた火のような破壊の多くは、予言的なものというより、ユダヤ人達を呆然とさせ、四散させ、震え上がらせたところの、理解不能な種々の恐怖の華麗な描写、すなわち、<同時代の>歴史<の描写>なのだ。
 ローマの暴虐的な<ユダヤ>抑圧とローマ帝国の繁栄の跡を追いつつ、ヨハネは、「イスラエルの予言的諸伝統からその心象風景(imagery)を抽き出したところの」謎めいた「反ローマ・プロパガンダ」を書いたのだ。
 彼の「啓示」<、すなわち黙示録>は、従って、将来における勝利の物語へとうまく織りなしつつ、<ユダヤが喫した>最近の諸敗北を受け入れる一つの方法だったのだ。・・・」(A)
 パゲルスは、「啓示」<、すなわち黙示録>は、幻覚的予言を意味したものでは全くないのであって、実際には、ヨハネがこれを書いていた時に起こっていた種々の出来事についての暗号化された説明であったことを示す。
 それは、要するに、エルサレムが落ち、神殿が破壊され、約束したもかかわらず、救世主(Saviour)がまだ戻って来てくれていない、という1世紀末におけるイエスに係る運動が直面していたところの、様々な危機に関する政治的風刺漫画なのだ。
 原理主義的キリスト教徒達のための聖典(staple)であり続けてきたところの、<黙示録が描く>恍惚(rapt)と狂喜(rapture)の心象風景の全てと、<その黙示録の中で、いわば>「置き去りにされた(Left Behind)」それ以外の部分とは、同時代における人々と様々な出来事の表象(represent)なのであり、そのようなものとして、黙示録の最初の読者達は的確に受け止めていたのだ。・・・」(B)
(続く)