太田述正コラム#0138(2003.8.8)
<米英の世にも不思議な間柄(その1)>

以前、コラム#105(アングロサクソン諸国の情報共有)で米英の特殊な関係に触れたところですが、今回は米英関係を正面から扱ってみましょう。手がかりとなるのは、やはり、私が見るに世界最高のクオリティー・ペーパーであるガーディアン紙です。

 ’Vile Britannia’ (ならず者の英国)と題する8月7日のジョン・パターソンの論説(http://film.guardian.co.uk/news/story/0,12589,1013808,00.html)のご紹介から始めましょう。
 下に掲げた表は、この論説の中で言及されているハリウッド映画の主人公(善玉であることが多い)と悪役のキャスティングです。(私が若干補いました。)

映画の題名            主人公          悪役
Pirates of the Caribbean     Johnny Depp(米)  海賊の頭目:Geoffrey Rush(豪) 
                           島の総督及びその息子(英・英)
From Hell             同上(米)         切り裂きジャック:Ian Holm(英)
Tomb Raider 2          Angelina Jolie(米) 異常な生物兵器テロリスト:
                                                   Ciaran Hinds(英)
The Patriot           Mel Gibson(米)   米独立戦争時に住民虐殺を行った英軍大佐:Jason Isaacs(英)
The Greatest Story Ever Told   Max von Sydow(瑞) ユダ:David McCallum(英)
Ben-Hur              Charlton Heston(米)敵:Stephen Boyd(英)
Spartacus            Kirk Douglas(米)   敵:Lawrence Olivier(英)
The Last Temptation of Christ  Willem Defoe(米)  ピラト:David Bowie(英)
Max                ―         ヒットラー:Noah Taylor(英。ただし主人公)
Nixon                ―             ニクソン:Anthony Hopkins(英。同上)
The Path to War           ―        ジョンソン:Michael Gambon(英。
                           同上)
Robin Hood:Prince of Thieves   Kevin Costner(米) 悪代官:Alan Rickman(英)

 (注)カッコ内は国籍。なお、米国ではオーストラリア人は英国人とみなされている。ちなみに、米独立戦争時に住民虐殺を行った英軍大佐なるものは存在しない。

 面白いですね。
パターソンは、悪漢だろうがワルだろうが精神異常者だろうが、そしてそれが米国人の役だろうが英国人の役だろうが、汚れ役はおおむね英国人俳優が演じ、立派な人物の役は米国人俳優が演じる、と嘆いてみせます。
パターソンの「分析」によれば、米国人はいまだに英国から独立したことを正当化しようとする強迫観念にかられているというのです。パターソンに言わせれば、英国の北米植民地の住民達が、母国の英国で奴隷制廃止論議が活発に戦わされ始めたことに恐れをなし、母国が母国の住民より豊かな彼らに対し、ほんのちょっと税金をかけようとしたところ、その母国が圧制者であるといわれなき言いがかりをつけて独立戦争を戦ったというのが真相だったというのですから。だから常に英国人はワルでなければならず、米国人はヒーローでなければならないというわけです。
すなわち、米国人の抱く英国人像は、「教育過剰の紳士面、マゾでパブリックスクール出で、いまだに世界を取り仕切っているとうぬぼれており、ローマたる米国に対し英国はその教師であるギリシャであって、自分達は超大国国民たる米国人の未開人ぶりを善導する責務を負っていると思い込んでおり、とにかく自らが米国人よりも優れていると信じ込んでいる」鼻持ちならぬ連中、という紋切り型のステレオタイプであり、英国人俳優達はこのステレオタイプに忠実に、「帝国主義者的傲慢さ、生来的悪徳ぶり、性的倒錯、ゲイ少年的アクセント」を体現した演技を行うことを期待されるのだというのです。

どうやら、米国人は英国人に対して深刻なコンプレックスを抱き続けているということのようです。
1988年の英国のRoyal College of Defence Studies 留学の時、同校に米国防総省から派遣されてきた三人の同期生(軍人二名シビリアン一名)は、われわれに対しては悠然たる超大国国民の態度であったのに、英国人の前では常に神妙な面もちで小さくなってかしこまっていたのはそういうことだったのですね。

若干の補足が必要なようです。
パターソンの指摘は指摘として、英国人のトップクラスの俳優が米国人のトップクラスの俳優に比べて存在感、演技力のいずれにおいても優れているからこそ、主人公、ヒーローよりもむつかしい、脇役、悪役を演じることができる、という事実も忘れてはならないでしょう。
英国(、イギリスと言い換えた方がより正確ですが、)は個人主義の本家本元(コラム#88、#89参照)であり、英国留学の際、英国人を眺めるたびに、家内ともども、何とゴツゴツした個性的な、というより魁偉な容貌の持ち主が多いかに感嘆したものです。それに比べれば米国人はおしなべて、角がとれたコスモポリタンな容貌をしていました。
一人一人が強烈な個性を持っている世界、それこそがシェークスピアの世界だとその時思った次第です。
(続く)

(コラムのバックナンバーは、http://www.ohtan.netの時事コラム欄を参照してください。)