太田述正コラム#0144(2003.8.24)
<ロシアについて(その1)>

 日本と同様、ロシアもまた一つの国であってかつ一つの文明圏の大部分をその領域としているという存在です。
 ところが日本と違って、ロシアは自らがユニークな一つの文明圏に属しているという認識に徹しきれず、常に欧州(西欧)文明の一員として認められたいという衝動にかられてきました。
 これは、欧州とロシアが地理的に隣接しており、かつこの二つの文明が、それぞれカトリック=西ローマ帝国と正教=東ローマ帝国という一卵性双生児的背景を持つ全体主義的文明であり、更に欧州の方が「先進」文明であったことからくる必然的結果なのかもしれません。
 そのロシアにおいて、20世紀に生まれたのがマルクス・レーニン主義(以下「共産主義」という)です。
 私の考えでは、カール・マルクスの哲学や、その母体であるドイツ観念論哲学は、あらゆる面で「遅れ」ていた欧州が、「先進国」イギリス(アングロサクソン文明)へのコンプレックスを克服すべく、観念だけの上でイギリス的なもの、すなわち近代、を乗り越えようとして生み出したイデオロギーです。
そんなマルクスの哲学を、欧州へのコンプレックスの固まりとも言えるロシアが継受し、ロシア化したもの・・いわば二重のコンプレックスの産物・・が共産主義なのです。
 共産主義が20世紀においてもたらした惨禍は恐るべきものがありました。
 共産主義団体や共産主義国(以下「共産主義者」という)が処刑、ジェノサイド、或いは収容所送りによって虐殺した人々の数は、実に約1億1000万人にのぼる(ただし、1900-1987年。以下同じ)という推計があります(注)。

(注)この数には、これら諸国の失政によって餓死・災害死した人々の数や、(共産主義者によって引き起こされたものが多い)戦争や内戦によって死亡したこれら諸国の国民3000万人弱が含まれていない。

このうち、ロシア(ソ連)だけで6100万人弱、スターリン時代だけで4300万人弱です。
 1億1000万という数字は、20世紀の総虐殺者数の三分の二を占め、20世紀の総戦死者数3800万人の三倍にもなります。
(R.J. Rummelによる推計。http://www.hawaii.edu/powerkills/COM.ART.HTM。8月23日アクセス)
 ちなみに、ナチスドイツによる虐殺はユダヤ人に対するホロコースト分を含め2100万人弱、そして、(上記共産主義者による虐殺数の内数ですが、)中国共産党は政権奪取前からの通算で3900万人弱、中国国民党は1000万人強、日本は600万人弱、となっています(同じくRummelによる推計。http://www.hawaii.edu/powerkills/20TH.HTM。8月23日アクセス)。
 ファシスト団体やファシスト国家(以下「ファシスト」という)による虐殺は、おおむねナチスドイツと中国国民党によるもので尽きていることから、両者の合計プラスアルファで総計で3100万人強に「過ぎず」、共産主義者による虐殺数とは比較になりません。
 悪の権化のように言われているナチスドイツですが、お仲間のファシストを全部ひっくるめても、共産主義者はその数等倍のワルだということです。(だからと言って、日本による虐殺について・・・仮に600万弱という数字をそのまま認めたとしても・・・この二大巨悪に比較すれば物の数ではない、と決して口走ってはならないところが敗戦国日本に生まれた我々の悲哀ですね。)
 これは、ファシストによる支配と共産主義者による支配を交互に受けた人々の実感でもあります。
例えばエストニア人のAlfred Kaarmannは、「「西から来た征服者<(ナチスドイツ)>は我々を奴隷にしようとした。」のに対して「東から来た征服者<(スターリン主義ロシア)>は別のアプローチをとった。彼らは我々を地上から抹殺するために、我々をできるだけ多く殺そうとした。」と語っているところです(http://www.nytimes.com/2003/08/23/international/europe/23FPRO.html。8月23日アクセス)。

 さて、冷戦に敗北したロシアは、帝政ロシア時代以来の植民地の大部分を失い、民主国家として再出発することになりました。
 しかし、新生ロシアは、引き続き共産党の幹部だった人々が牛耳っています。初代の大統領のエリツィンも二代目の現在のプーチンもそうであるだけでなく、ソ連時代の国家資産を旧共産党幹部として山分けした連中がつくったオリガーキー(新興大財閥)がロシアマフィアと結託して経済界を牛耳っています。
 何よりも問題なのは、現在ロシア人の間で、過去にロシアが犯した、途方もない罪を直視しようとする姿勢が全くと言っていいほど見られないことです。強制収容所に関する博物館一つありません。共産主義者の手によって虐殺された人々の多くはきちんと埋葬もされていません。そもそも虐殺された人々の埋葬記録すらプライバシーの問題があるとして公開されていません。しかもあろうことか、ソ連時代を見直そうという動きすら見られます。例えば、1991年に打ち壊された、KGBの創始者であるジェルジンスキー(Dzerzhinsky)像の再建話がモスクワ市長の手で進められています。(以上、http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/3145929.stm(8月14日アクセス)による。)
そう言えばプーチン大統領はKGBの幹部でしたね。これではロシアはソ連時代と少しも変わっていないと受け止めざるをえないでしょう。