太田述正コラム#6065(2013.3.5)
<皆さんとディスカッション(続x1829)>
<太田>(ツイッターより)
 「蒼井そら、中国映画「人間蒸発」の題字を担当…」
http://j.people.com.cn/206603/8152055.html
 日本のAV女優の質の高さはハンパじゃないってことだよね。
 だけど、AVやスポーツ以外の分野でも日本の女性がもっともっと社会的活躍をして欲しいもんだ。
<bSqksKqM>(「たった一人の反乱(避難所)」より)
 ジェファーソンのなんともいえない醜さは理解したが、ジェファーソンも独立前はイギリス人だったわけで(植民地生まれだが)、いくらアメリカ人が出来損ないとはいえ、本家アングロサクソン文明にも人種主義の思考が内包されていることにはならんのやろうか?
<太田>
 話をものすごーく単純化して説明するね。
 初期に英領北米植民地に入植した人々には、欧州大陸からの人々は捨象することにして、3種類あったんだな。
 北部に入植した(郷里で居心地が悪かったピューリタン等の)キリスト教原理主義者、南部に入植した一発屋、そして同じく南部に入植した食い詰め者だ。
 前2者はイギリスから、三番目のはアイルランドやスコットランドから来た連中が多い。
 (イギリスは豊かだから、もともと「食い詰め者」が殆んどいない。)
 何で、フツーのイギリス人(やアイルランド人やスコットランド人)がいないんだって?
 だってさー、当時、帆船で大西洋を渡るだけでも危険・・海賊、狭く不衛生で栄養バランスの悪い船内での感染、難破・・だった上、無事渡ったって、伝染病、インディアン、飢餓と戦って生き延びるのは容易なことじゃなかった。
 これをものともせずに渡っただけでも、連中、フツーじゃなかったんだわ。
 で、こんなイジョーな連中がインディアンを駆逐、殲滅する過程で人種主義者にならないワケなかろ。
 黒人を奴隷にしてこき使うことを屁とも思わなかったのは、既に連中が人種主義者になってたからだし、綿花等の大農場での栽培に適してた南部で、一発家と食い詰め者が組んで、黒人奴隷を大量に使うことになったのは、全くもって自然ななりゆきだったんだな。
 こんな連中を、郷里のイギリス人、アイルランド人、スコットランド人、とりわけイギリス人は、最初からできそこないめ(bastards!)と蔑視していただろうし、そんな連中が奴隷を使うようになったってんで、ますます呆れ、嫌悪感を抱いてたに相違ないぜ。
 
 それでは、その他の記事の紹介です。
 全然驚かないが、米国同様、なんで日本食がブームになるのに、こんなに時間を要したんだろうね。↓
 「パリで人気が急上昇、いまや一大ブームの日本食・・・」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37165
 これじゃ、維新、自民党と全くおんなじじゃん。↓
 「・・・藤井氏は民主党政権でこじれた米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題について「辺野古への早期移転が必要だ」と政府方針の速やかな実行を求めた。・・・」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130305/plc13030500440002-n1.htm
 日独からの米軍撤退を求めるコラムをNYタイムスが載せた。↓
 <1世紀以上にわたって英国がユーラシアで<(非自由民主主義勢力の)>侵略を食い止めてきたが先の大戦でもってその態勢が瓦解したってんだけど、西と南ユーラシアでは英国、東ユーラシアじゃ日本が食い止めてきたの!↓>
 ・・・For more than a century, Britain had “held the line” against aggression in Eurasia, but by World War II it was broke. Only two years after the Allies met at Yalta to hammer out the postwar order, London gave Washington five weeks’ notice: It’s your turn now. The Greek government was battling partisans supplied by Communist Yugoslavia. Turkey was under pressure to allow Soviet troops to patrol its waterways. Stalin was strong-arming governments from Finland to Iran.
 <英国の衣鉢を継いだのは米国だが、それは、1947年の時点で米国世論は73%がソ連圏との第三次世界大戦が起こるかもと思っているという状況下だった。↓>
 Some historians say Truman scared the American people into a broad, open-ended commitment to world security. But Americans were already frightened: in 1947, 73 percent told Gallup that they considered World War III likely.
 <米国は世界的に多国間、二国間安保条約網を張り巡らせた。
 また、マーシャルプランを皮切りに対外援助も始めた。
 (ここでは引用しなかったが、)それは英国等と違って経済的利益や領土を得ようと思ったわけじゃないので帝国主義じゃないというが、そりゃ、戦前の日本の帝国主義を継受したってことなの!↓>
 From the Truman Doctrine emerged a strategy comprising multiple alliances: the Rio Pact of 1947 (Latin America), the NATO Treaty of 1949 (Canada and Northern and Western Europe), the Anzus Treaty of 1951 (Australia and New Zealand) and the Seato Treaty of 1954 (Southeast Asia). Seato ended in 1977, but the other treaties remain in force, as do collective-defense agreements with Japan, South Korea and the Philippines. Meanwhile, we invented the practice of foreign aid, beginning with the Marshall Plan. ・・・
 <ドイツと日本に米軍を駐留させたのは、両国を監視するためでもあり、両国の要望に応えるためでもあったって?
 ちゃうぞ。日本に関しては、朝鮮戦争が始まった瞬間に「監視する」なんて吹っ飛んじゃったのさ。
 その証拠に、米国は、ドイツ(西独)(や韓国)と違って、その軍隊(日本の場合は自衛隊)を米軍の隷下に組み込んで指揮権を握ろうとはしなかった。↓>
 When the United States established major bases in West Germany and Japan, they were considered dangerous renegades that needed to be watched. Their reconstructed governments also desired protection, particularly from the Soviet Union and China. NATO’s first secretary general, Hastings Ismay, famously said the alliance existed “to keep the Russians out, the Americans in, and the Germans down.”・・・
http://www.nytimes.com/2013/03/05/opinion/come-home-america.html?ref=opinion&_r=0&pagewanted=print
 マレーシアのサバ州(ボルネオ島北東端)で「戦争」が起こっている。↓
 <サバは、フィリピンのミンダナオ島を本拠とするスールー王国(注)→英北ボルネオ会社→英国→マレーシア、と実効支配が移ったが、現在でもマレーシアはスルタン一家に賃借料を支払っている。↓>
 ・・・Sabah’s is a complex story of colonialism, nation-building, diplomacy and religion. The state was passed from ruler to ruler like so much colonial detritus: from the Sultan of Sulu to the British North Borneo Company to Great Britain, and then, in 1963, to independent Malaysia. Malaysia annually pays a token amount to Manila as “rent” to the sultan’s family. ・・・
 <ミンダナオでは、昨年までイスラム勢力が叛乱を続けていた。↓>
 The Sultanate of Sulu is based in the southern Philippine island of Mindanao, where a fierce Islamic insurgency raged for decades until being settled last year with Malaysian help. The current sultan, 75-year-old Jamalul Kiram III, has complained of being sidelined during Manila’s negotiations with Mindanao’s main insurgent group.
 <この叛乱がぶり返す恐れや、フィリピンとマレーシア関係が悪化する恐れがある。↓>
 Thus, the sultan’s attack on Malaysia is a triple-threat: potentially risking a crisis between the Philippines and Malaysia, upsetting the Philippines’ carefully crafted armistice for Mindanao, and reasserting royal control over Sabah.・・・
http://online.wsj.com/article/SB10001424127887324178904578339852513577238.html
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-21665135
(注)「かつてフィリピン諸島とボルネオ島の間に連なるスールー諸島に存在した国。スルタンを戴くイスラム教国で、・・・マレー半島のマラッカ王国・ジョホール生まれのアラブ人、シャリフル・ハセム・シェド・アブ・バクル(Shari’ful Hashem Syed Abu Bakr)がスールー諸島に到来<し、>・・・1457年にスールーに王国を築き、スルタンに就任し<、>・・・アラビア語を公用語とした・・・最盛期にはスールー海の島の多くを支配した。東はミンダナオ島の西部(サンボアンガ半島)、南はボルネオ島北部(現在のマレーシアのサバ州)、北はパラワン島までその支配は及んだ。・・・<例えば、>1703年(別の説では1658年)、スールー王国は隣国ブルネイで起こった反乱に対し、ブルネイのスルタンへ援軍を送った。反乱鎮圧後にはブルネイから北ボルネオを得た。・・・1898年にスールー王国は米領フィリピンに併合された。最後のスールーのスルタンは1936年に没し、以後スルタンは即位していない。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BC%E7%8E%8B%E5%9B%BD
 はあ、そうだったの?↓
 「・・・中国人がいつも大声で喋るのはなんでなのか?・・・
 大声で主張するのは自信と誠実さを示す美徳だと評価され学校教育で繰り返し奨励されている・・・」
http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20130225-OYT8T00592.htm?from=yoltop
 フランスに続き、ドイツよお前もか。
 日本は全然そんな兆候は見られないな。
 何でもいいから、少子化が反転するといいんだけど・・。↓
 「ついに新生児の3分の1が婚外子になったドイツ・・・」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37203
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太田述正コラム#6066(2013.3.5)
<米国の経済風土(その2)>
→非公開