太田述正コラム#6114(2013.3.29)
<太平洋戦争における米兵のPTSD(その5)>(2013.7.14公開)
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<脚注>
 前出の敵前逃亡で処刑された唯一の米兵の話が本日の記事に出ていたのでご披露しておこう。
 「第一次世界大戦の時、英国は逃亡ないし怯懦に関し304人の兵士を銃殺刑に処した。
 戦争神経症(shell-shock)の観念はすぐには受け入れられなかったのだ。
 対照的に、米国では、ウッドロー・ウィルソン大統領がこの種の死刑宣告を全て減刑した。
 第二次世界大戦の時は、英国政府が射殺班の復活を欲した将軍達を押し止めた。
 (労働党政府が1930年に敵前逃亡に対する死刑を廃止していた。)
 巧妙にも、戦時政府は、その復活が敵によって軍隊の士気が落ちていることを示唆するものと受け取られかねないと示唆したのだ。
 他方、ローズベルト大統領は、1943年に説得を受け入れ、「処罰への制限」を停止した。
 結局のところ、米国はわずか一人の敵前逃亡者を撃っただけに終わった。
 1945年1月に、フランスで、不運な兵卒たるエディー・スロヴィクが処刑されたのだ。
 彼は、前線近くに行ったことがない前科者だった。
 スロヴィクは、彼の部隊が戦闘配置につくよう命ぜられた時、お馴染みの牢屋に入れられる方が雨の中を塹壕の中で<敵に>撃たれるより心地よかろう、と計算して逃げたのだ。
 <しかし、>より大きな図柄の中に置かれると、彼の辿った運命は真に非公正なものだった。
 ・・・50,000人近くの米兵及び100,000人近くの英兵達が・・・戦争中に敵前逃亡した<からだ>。
 このうちの80%は前線部隊からだった。
 <また、>ほぼ全員が欧州戦域でもって(当時の言葉で言えば)「ずらかった」。
 恐らくはどこにも行くところがなかったからか、太平洋における米軍部隊からの敵前逃亡は事実上皆無だったのだ。」
http://www.guardian.co.uk/books/2013/mar/28/deserter-untold-story-glass-review
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3 書評子によるコメント
 (1)批判的コメント
 「私はマハリッジが何度もあの戦争において日本と米国に道徳的等価性の若干の要素があったことを示唆していることを好まない。
 ある箇所で、彼は、引用させてもらうと、この紛争は、「要するに、一般住民を殺害した、その地に属していなかったところの一つの帝国主義大国と、一般住民を殺害した、その地に属していなかったところのもう一つの帝国主義大国との戦いだった」と言っている。
 デールよ、そいつは余りにも単純化し過ぎというものだ。
 帝国主義の日本は、暴虐的な専制的な侵略国家だった。
→日本は、少なくとも専制国家でも侵略国家でもありませんでした。(太田)
 米国だって帝国主義的大志を抱いていたかもしれないが、フィリピンでのモロ族のゲリラに対する米陸軍の2年間の戦役を、支那での日本の10年を超えるジェノサイド的強姦狂騒と同じものと結論付けるのは、いささかばかげている。
→この評論子は、このくだりだけで、この本を評論する資格がないと言われても仕方ないでしょう。
 モロ族との戦いは一番長く続いたけれど、フィリピン側の対米戦争の一環に他ならず、戦いの期間は、1899年から1913年に至る14年間にわたり、その間、数十万人ものフィリピン一般住民が殺された
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E6%AF%94%E6%88%A6%E4%BA%89
のですからね。(太田)
 私はこの本の副題である「良き戦争の他の半面」にもいささか戸惑いを覚える。
 マハリッジは、彼の本の中で紹介される、帰還兵達の物語が、米国の戦闘兵士の今まで明らかにされていなかった、新しい暗黒の側面を幾ばくかでも描写した、と信じているのだろうか。
 彼の言うように、確かに強姦も捕虜殺害も、そして金歯や耳の収集もあったけれど、その大部分は、長く版を重ねてきたところの、多くの帰還兵達の回顧録の中で既に記述されているところのものだ。
 (EB・スレッジ(EB Sledge)<(コラム#5098)>の『WITH THE OLD BREED』がすぐ思い出される。)
 マハリッジが太平洋戦争を研究したことは紛れもない事実だが、自分が発見したばかりの諸事実をあたかも新たに発見された諸事実であるかのように扱ってきたところの、第二次世界大戦の帰還兵達の息子達や娘達の回顧録における過ちと同じ過ちを彼も犯しているのではないか、と私には思えるのだ。・・・
→別段、マハリッジがスレッジの本を引用しなかったことに問題はないでしょう。
 だって、彼は、父親の戦友達から聞いた話をもとにこの本を書いたのですからね。(太田)
 <また、>彼は、「無差別」爆撃によって一般住民を過度に殺害したとして米海軍と米陸軍航空部隊をこきおろすが、これは第二次世界大戦の性格を踏まえればいささかおかしな指摘のように思う。・・・
→とんでもありません。
 紛れもなく戦争犯罪を米国は犯したのです。(太田)
 <とはいえ、>マハリッジが、見事に探索した「他の半面」の一つが、PTSDの第二次世界大戦の帰還兵に及ぼした影響<であることは認める>。
 何年もの間、PTSDは、ばかげたことに、ベトナムとイラク/アフガニスタンの帰還兵達特有の領域に属すると考えられてきたのだから・・。・・・
→この書評子さえ評価せざるを得なかったこの点は重要です。(太田)
 <ただし、>彼は、日本は、本当に降伏しようと欲していたけれど、最後まで戦ったのは、米国が捕虜をとるのを止めたからだ、と強く主張するが、これは、「みんなが悪かった」的物語に合うように諸事実を甚だしく引き伸ばしたり造り変えたりしている、と言わざるをえない。
→降伏云々についてはマハリッジは勘違いをしていると言わざるをえないけれど、いずれにせよ、米軍が基本的に日本兵の捕虜をとらなかった、ということを彼が指摘したことは高く評価すべきでしょう。(太田)
 そして最後に、この本の終わり近くでの反ニミッツ的がなりたてについてだ。
 マハリッジは、戦争末期での暴虐的な硫黄島と沖縄におけるような島嶼作戦の多くは「起きる必要がなかった」と主張して、ニミッツと米海軍の「正面攻撃(frontal assault)」イデオロギーに「個人的に含むところがある(personal issue)」と声明する。
 その代わり、彼は、孤立させることによって飢えさせるべく、日本人だらけの島々を迂回したマッカーサーを賛美する。
 すべて大変結構なお話ではあるが、マッカーサーの最大の「勝利」の一つであるところの、フィリピン奪回もまた、戦う必要のない戦闘であったと大部分の歴史家が主張するであろうということを指摘することを、彼は回避している。
 マッカーサーは、自分自身の自惚れと「アイシャルリターン」という約束を充足させるためだけのためにフィリピンを奪還すべく猛烈な根回しを行った。
 <他方、>この<硫黄島と沖縄という>二つが奪取されたのは、日本に対する最終攻撃のための航空基地として、かつ出撃拠点として機能させるためだったのだ。」(E)
→この点に関してだけは、全面的に書評子の言うとおりです。
 マハリッジは軍事的素養がないのでしょうね。(太田)
(続く)