太田述正コラム#6156(2013.4.19)
<ローズベルトとホロコースト>(2013.8.4公開)
1 始めに
 コラム#6138と6140で、ローズベルトの人種主義を取り上げたところですが、その時、引用したロサンゼルスタイムス掲載コラムに対して、多数の投稿があり、投稿の一つへのこのコラムの筆者による反論や、その他の投稿のいくつかが、それぞれ記事になっています。
A:http://www.latimes.com/news/opinion/letters/la-le-0413-fdr-holocaust-postscript-20130413,0,2742072.story
(4月18日アクセス。以下同じ)
B:http://www.latimes.com/news/opinion/la-ol-fdr-holocaust-mailbag-201304116,0,7265353.story
 そのあらましをご紹介しましょう。 
2 ローズベルトとホロコースト
 ユダヤ系米国人(B)の「ロバート・オウリエル(Robert Ouriel)は、<コラム筆者のラファエル(Rafael)・>メドフ(Medoff)は、ローズベルトだけを対象にすることで、ジェノサイドを取り扱う際の米国のその後の諸大統領の臆病さ(squeamishness)を無視している、と・・・記した。
 彼は以下のように続けた:
 人権十字軍兵士たるジミー・カーターは、ポルポトがカンボディアの人口の20%を絶滅させるのを防ぐために何もやらなかった。
 ビル・クリントンは、ボスニアにおけるイスラム教徒の民族浄化に対して軍事的対応をとるまで数年かかったし、ルワンダでの大量殺人に対しては一度たりとも対決することがなかった。
 ジョージ・W・ブッシュとバラク・オバマは、<スーダンの>ダルフールでの諸残虐行為に対して空疎な非難の言葉を発する以外は殆んど何もしなかった。・・・」
 これに対して、メドフは次にように反論しました。
 「ヒットラーを敗北させることを妨げないでホロコーストの邪魔をする方法はローズベルト政権にとってたくさんあった。
 例えば、数千隻の米軍部隊の補給船は、欧州からの帰路、転覆を避けるため、しばしば、コンクリート片のバラストで一杯にしなければならなかった。
 ユダヤ人難民は同じ目的に役立ちえた。
 とりわけ、これらの年々においては、枢軸諸国からの移民の割り当て数が90%も充たされていなかったことを考えてもみよ。
 戦争が終わるまで、<ユダヤ人を>一時的に米国に受け入れるという方法もあった。
 1944年4月のギャラップ世論調査によれば、米国人の70%がこの考えに賛意を示していた。
 或いはまた、ヴァージン諸島のような米国領を、そのような所には通常の移民割り当て数が適用されないことから、避難所として用いる方法もあった。
 実際、ヴァージン諸島の知事と議会は、1938年に、ユダヤ人難民を歓迎するとの声明を発出している。
 この提案を拒絶したのはローズベルトだった。
 ローズベルトは、英国に圧力をかけて、ヒットラーから逃れてきたユダヤ人達のためにパレスティナを開放するように圧力をかけることだってできた。
 <更にまた、>ローズベルト政権が指導性を発揮しておれば、他の若干の国がユダヤ人を助けたかもしれない。
 例えば、1943年のことだが、スイスは何千人ものフランス人たるユダヤ人孤児達を受け入れる用意があったが、米国務省は、戦争が終わったらこれらの子供達を米国が受け入れることを保証せよとのスイス政府の要請に同意するのに一年を超える時間を要した。
 その結果、その子供達の大部分を救う機会は失われてしまった。
 <こういうこともある。>
 米国の爆撃機群は、1944年の夏と秋にアウシュヴィッツの真上を飛行して、ドイツの合成石油工場群を攻撃したが、その何回かは、<攻撃対象が>ガス室群や死体焼却炉群から数マイルしか離れていなかった。
 (将来の大統領候補のジョージ・S・マクガバン(George S. McGovern)が、たまたまそのパイロット達の一人だった。)
 これらの飛行機が少数の爆弾を大量殺人機械やそこに至る鉄道の線路に落としたとしても、戦争努力を阻害することはなかった。
 この種の提案は単なる後智慧などではない。
 これらは、全て、当時の<ユダヤ人>救援擁護者達によってなされたけれど、その全てがローズベルト政権によって拒絶されたのだ。」(A)
 その他の投稿の中からも一つご披露しましょう。
 「ローズベルトは、<連合国が第二次世界大戦に勝利する>チャンスは、米国の超人的な努力だけにかかっていることを知っていた。
 当時は、<米国で>反ユダヤ主義が猖獗していた。
 <例えば、>ニューヨーク州の北部のくつかの地域では、ユダヤ人は土地を買うことができなかった。
 <また、>南部の多くの社会は、あからさまに反カトリックで反ユダヤ主義だった。
 私が陸軍にいた時、一人の兵士が自分のユダヤ人の<兵士>仲間をキリスト殺人者と呼ぶのを耳にしたことがある。
 <この反ユダヤ主義を含め、>ローズベルトはたくさんの圧力に対処しなければならず、彼が選択したのは、米国を分裂させないことだった。<だから、彼は、反ユダヤ主義者達を怒らせるところの、ユダヤ人難民受け入れを渋ったのだ。>
 <このような>彼の偉大なる指導性(leadership)によって、我々は諸敵を乗り越え、戦争に勝利したのであり、戦争に勝利することによってホロコーストを止めさせたのだ。」(B)
3 終わりに
 投稿の圧倒的多数がローズベルトを擁護し、メドフを批判するものだった(B)というのですから、メドフに、改めて敬意を表さなければなりますまい。
 ロバート・オウリエルという人物に関しては、米国に過剰適応したユダヤ人・・昨日登場したアーロン・デーヴィッド・ミラー(コラム#6156)もその気(け)があります。・・ということで目こぼしをするとしても、依然として、事実を直視しようとせず、迷妄から冷めやらぬ、その他の大部分の米国人には呆れるのを通り越して憐れみすら覚えます。
 最後に紹介した投稿子の言っていることは、ローズベルトが(反ユダヤ主義を含むところの)人種主義者でなければともかく、人種主義者、しかも凶悪な人種主義者、であった以上、ローズベルト弁護には全くなっていません。
 どうやら、大部分の米国人に対して、いや、ひょっとしてメドフらに対してさえ、ローズベルト政権が、ローズベルト自身の人種主義もあって、先の大戦において犯した罪は、ホロコーストの放置よりも、むしろ赤露と手を組んで日本帝国を壊滅させたことの方が大きい、ということを自覚させるのはまだまだ至難の業であるようです。
 ホロコーストと東アジアの共産化とでは、後者に係るベトナム戦争等による死者をあえて勘定に入れず、純粋に共産主義の圧政による死者だけを勘定したとしても、殺された人数が一桁違うにもかかわらず・・。