太田述正コラム#6238(2013.5.30)
<パナイ号事件(その2)>(2013.9.14公開)
 「1937年・・・8月13日、第二次上海事変が勃発する。8月30日、中国は国際連盟に対して、日本の行動は不戦条約および九ヶ国条約に違反すると通告し、措置を取るよう提訴した。これを受けてフランクリン・ルーズベルト大統領は、10月5日に、日本を非難する隔離演説をシカゴで行った。・・・同年11月3日から24日にかけて、ブリュッセル会議(九ヶ国条約会議)が開催され、日本側は欠席していたが、米英は日本への非難を弱めていた。・・・
→米英は(宣戦布告こそしていないけれど)対蒋介石政権戦争を行っていた日本に対して敵対的態度を取っていたわけです。(太田)
 第二次上海事変勃発から約4ヶ月後、日本軍は中国軍の後継を退け、首都南京へ向けて追撃戦をおこなっていた。海軍航空部隊も大陸に地歩を進めてこれを支援して、敗走する中国軍部隊への銃爆撃、撤退部隊を乗せたジャンクの爆撃、輸送機関、輸送施設の爆撃などさまざまな作戦を展開していた。・・・
 12月8日、日本は、第三国人は一律に南京を立ち退くように申し入れを行い、翌9日、揚子江沿岸各地において各国がその船舶車輌を中国軍から遠ざけ、交戦地域外に移転するように通報した。中国軍は外国旗を掲揚して外国船を偽装した中国船に乗船したり、あるいは外国船を借用したり、さらには中国軍に味方した外国船に護送されて南京からの脱出を図っていた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8A%E3%82%A4%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6 (パナイ号ウィキ)
→そして、日本は、米英を含む第三国人に南京を立ち退くように求めた後、更に、揚子江沿岸各地において各国がその船舶車輛を中国軍から遠ざけ、交戦地域外に移転するよう求めていたわけです。
 一連の事件が起こったのはその3日後です。
 すなわち、米英の艦艇等は退避する十分な時間的余裕があったというのに、交戦地域外に出ていなかったことになります。
 日本の陸海軍は、蒋介石政府軍と米英の艦艇等が通じていると強く疑っており、そのことにはそれなりの根拠もあった中で、当然そのように日本の陸海軍が考えていることくらい想像できてしかるべきであるにもかかわらず、米英の艦艇のとった行動は、著しく危険かつ自殺的なものであったと言っても過言ではありません。
 要するに、彼らは、日本の陸海軍、ひいては日本をなめきっていたのです。(太田)
 「12月11日午後6時に、南京より退却する中国軍を撃滅するために第10軍が発した丁集団命令(丁集団司令官・柳川平助中将)<は、>・・・一、敵は10数隻の汽船に依り午後4時30分頃南京を発し上流に退却中なり、尚今後引続き退却するものと判断せらる、二、第18師団(久留米)は蕪湖<(注5)>付近を通過する船は国籍の如何を問わず撃滅すべし、というものであった。
 (注5)南京の南南西、長江上流に位置する町。(直接地図で確認。)
 これは、中国軍が外国国旗を掲揚して外国船に偽装した中国戦に乗船したり、あるいは外国船を借用したり、さらには中国軍に味方した外国船に護送されて、南京からの脱出を図っているという情報が日本軍側に流布されていたことによる。」(44)
→従って、このような命令が発出されたのは、やむをえなかった、と思います。(太田)
 「<このような背景下、何度も、米国務省を通じて日本の外務省にはパナイ号を攻撃しないように連絡してあったにもかかわらず、(同艦>に搭乗していたのは米将校5人、兵士54人、米大使館員5人、民間人10人<であったところ)、南京上流約45kmにあった同艦を>、日本軍機<が>攻撃<し>、死者が3人、重傷者は48人<出>た。また、同船に先導案内されていた米国スタンダード・バキューム・オイル社のメイピン(美平)号、メイシア(美峡)号、メイアン(美安)号にも同様の危害<が>加え<られ>た。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8A%E3%82%A4%E5%8F%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6 (但し、「南京上流約45km」はパナイ号ウィキによる。)
→もとより、米国の艦艇等が、まさに真正な米国の艦艇等であって、しかも、中国軍を護送していないことを証明できれば別であったでしょう。
 しかし、それを一見明白に証明できなかったパナイ号等は、このように攻撃されてしまったわけです。
 また、日本陸軍の舟艇が、まさに真正な日本陸軍の舟艇であることを証明できれば別であったでしょう。
 しかし、それを一見明白に証明できなかった日本陸軍の舟艇は、下掲のように、やはり、攻撃されてしまったわけです。(太田)
 「<更に、この時の>日本軍機の空襲の巻き添えをくっ<たところの、(>・・・パナイ号に・・・機関銃掃射を加えた・・・<)日本陸軍の>哨戒艇<は、>・・・第10軍・国崎支隊所属の永山部隊(独立工兵第10連隊)の支隊・・・である歩兵中隊(丸橋中隊長)<のものであり>・・・死者2名、負傷3名の犠牲を出した・・・
 海軍機が誤って歩兵部隊を爆撃しているくらいであるから、日本側の資料からは、航空部隊と地上部隊がまったく連絡もないことが分かるが、いっぽう攻撃されたパナイ号の当事者にとっては、アチソンの次のような日本の陸・海共同による「故意」爆撃という情況判断がなされたのも無理からぬことである。・・・
 ・・・日本軍が爆撃の証言者を抹殺するために、我々を探していたということは疑問の余地がありません。」(36~39)
→著者は「全く連絡もない」と呆れたように言っていますが、上級司令部の間では当然連絡があったからこそ爆撃が行われたのであり、単に、現地の陸軍地上部隊と上空の海軍航空部隊の間で直接連絡をとることはできなかったということにほかなりません。
 しかも、この爆撃は、近接航空支援
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%8E%A5%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%94%AF%E6%8F%B4
ではなく、あくまでも艦船の撃破を目的とした海軍航空部隊による爆撃ですから、本来、現地陸軍部隊との直接連絡の必要性はそれほどなかったはずです。
 これが、近接航空支援を行う陸軍航空部隊と同じ陸軍地上部隊の間でならどの程度直接連絡がとれたのか、また、同時期の各国の軍ではどうだったのか、興味のあるところです。
 他方、著者が米側の言い分に無条件で理解を示していることは理解に苦しみます。(太田)
 「<同じ12月12日には英国船に対する以下のような事件も起きていた。>
 午前<には、>・・・イギリスの材木会社のタグボート・清大号が、南京から避難してきた在南京英国領事、領事館付陸軍武官および長江守備の英国海軍小艦隊の旗艦ビー号<(注6)>の艦長を乗せて蕪湖に到着し、彼らが蕪湖に停泊していたレディーバード号<(注7)>に乗船した後、・・・長江岸の日本軍から清大号に向けて機関銃射撃が加えられた。レディバード号はただちに発進して清大号に横付けとなり、これを守り、清大号が下流へ射程距離を脱するのを防護した。このとき、川岸に備えられた日本軍の野戦の放列から、Asia石油会社施設の上流にかたまっているイギリスの商船めがけて砲弾が撃ち込まれた。・・・レディーバード号がもとの停泊位置についたところ、4発の砲弾が同艦を直撃し、看護水兵・・・が死亡、一人が重傷を負い、旗艦艦長を含めた数人が軽傷を負った。
 (注6)ビー(HMS Bee)は、英海軍のインセクト級砲艦(Insect class gunboat)。1915年に建造され、はじめドナウ川に配備されたが、後に支那に移動され、揚子江で活動し、1920年に旗艦となった。1938年に売却されスクラップ化された。
http://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Bee_(1915)
 (注7)「レディバード (HMS Ladybird) は、<英>海軍のインセクト級砲艦。艦名のレディバードは英語でテントウムシのことである。1916年に建造され、はじめドナウ川に配備されたが、後に<支那>に移動され、揚子江で活動していた。・・・<レディバード号事件>の後地中海に移され、バルディア砲撃やアブステンション作戦などに参加した。1944年5月12日にトブルクで空襲にあい、ドイツ軍のJu 87急降下爆撃機の攻撃で損傷して着底したが、艦の上部は海面から出ていたため、その後も7.6cm砲やポムポム砲が対空砲として利用された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%89_(%E7%A0%B2%E8%89%A6)
 ・・・旗艦ビー号がそこに到着し、停泊地に横付けしようとしたとき、ふたたび川岸の放列から砲撃を受けた。一発は400ヤード・・・の距離から撃たれ、船上を越えていったが、ビー号は直撃弾を受けなかった。そのとき、レディバード号の旗艦艦長と領事館付武官が上陸してまず砲撃を止めさせた。それからビー号の参謀長も上陸して日本軍の上級指揮官に面会を求め、強い抗議をおこなった。英国砲艦に砲撃を加えた日本軍は、第10軍に所属する野戦重砲兵第13連隊で、連隊長は国家主義者の橋本欣五郎大佐であった。」(42~43)
 「<午後には、>護衛船をともなった英国砲艦クリケット号とスカラブ号<が>、南京上流12マイル・・・の地点で午後3回にわたって空襲され・・・18発の爆弾が落とされ・・・一発が商船に命中したほかは命中弾なし<という事件が起こった。>」(29)
→英国の艦艇等についても、全く同じことが言えます。(太田)
(続く)