太田述正コラム#0191 (2003.11.22)
<アルカーイダとは何か>

 (コラム#189で「典拠失念」とした典拠はまだ思い出せないのですが、本日新たな典拠に出会いましたので、この典拠を踏まえ、コラム#189の記述を若干修正してホームページ(http://www.ohtan.net)のコラム欄に再掲載してあります。)

一体、米国等が行っている対テロ戦争とは何なのでしょうか。それは、対テロ戦争の対象たるアルカーイダ(及びアルカーイダ系のテロリスト集団)とは何か、を問うことでもあります。

1 ニザール派と瓜二つのアルカーイダ

 (1)ニザール派
 カスピ海沿岸の中央アジアを故郷とするセルジュークトルコは、10世紀にイスラム教シンニ派に改宗し、バグダットのアッバース朝の傭兵として次第に勢力を伸張させ、11世紀半ば過ぎにはアッバース朝のカリフを傀儡化し、セルジュークトルコの長はサルタンと称されるようになります。そして、1071年にはビザンチン帝国を打ち破ってアナトリア半島の大部分を奪取し、同じ頃、エジプトを支配していたファーティマ朝からキリスト教及びイスラム教の聖地エルサレムを奪取します。
 これに衝撃を受け、欧州で起こったのが十字軍(1096??1270年)です。
(以上、http://www.cappadocia.jp/aboutturkey.htm及びhttp://www1.sphere.ne.jp/rthunder/master/discovery2nd/crusade.htm
(11月22日アクセス。以下断りのない限り同じ))
他方、イスラム教シーア派(=第四代カリフ、アリーの子孫のみが正統なカリフたりうるとする)中最も過激なイスマイル派を国教とするファーティマ朝のお家騒動に敗れて1096年に殺害されたニザールを支持する運動の中から生まれたのが、イラン人ハサン=サッバーフを創始者とするニザール派であり、同派はイラン西北部山中のタルムートに本拠を構え、自派以外のあらゆるイスラム教徒やキリスト教徒を敵視し、セルジュークトルコや十字軍に暗殺者を送りつけて要人達の暗殺(テロ活動)を続けました。セルジュークトルコの衰退にはニザール派も一役買っています。ニザール派は1256年、モンゴル軍によってようやく滅亡します(http://cthulhu.hp.infoseek.co.jp/dic.nizar.htmlhttp://www.tabiken.com/history/doc/N/N328R100.HTMhttp://uraken98.cool.ne.jp/rekishi/reki-westasia23.htmlhttp://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/islam.html)。

 (2)アルカーイダ
 18世紀半ば、サウディアラビア半島の内陸のナジュド地方でワッハーブを創始者として、スンニ派の中から、ムハンマド当時の原初イスラム教への回帰を唱えたワッハーブ派が生まれます。このワッハーブ派とナジュドの豪族サウド家が結びつき、急速にワッハーブ派の勢力は伸張するのですが、当時中東と北アフリカを支配していたオスマントルコと衝突することとなり、19世紀初め、オスマントルコ軍によって一旦サウド家=ワッハーブ派は滅亡させられます。
 20世紀初めにイブン・サウドによってサウド家=ワッハーブ派は復興し、サウディアラビア王国(サウディ)が成立します。
 (以上、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%96%E6%B4%BEによる。なお、コラム#55参照。)
 イラクのクェート侵攻を契機に米軍(キリスト教徒の軍隊)を招きいれたサウディに反発し、サウディの有力者の一人であったオサマ・ビンラディンは、アルカーイダを立ち上げ、アフガニスタンに本拠を構えてイスラム圏内で米国に対するテロ活動を開始します。そして世界を震撼させたのが2001年の米国内での9.11同時多発テロです。
 その後、米国の国を挙げての対アルカーイダ(対テロ)戦により、アルカーイダは再びテロ活動をイスラム圏内に限定せざるを得なくなり、現在に至っています。この間、昨年には米国等によるアフガニスタン戦争があり、アルカーイダとその支援集団たるタリバンはアフガニスタンの支配者的地位を追われ、アフガニスタン・パキスタン国境近くでゲリラ戦を展開しています。そして米国等による今年のイラク戦争を契機に、アルカーイダはイラクを舞台にフセイン残党と提携しつつ激しくテロ活動を行うとともに、次第にそのテロの矛先を、イスラム圏内の、アルカーイダに同調しないイスラム教徒に向けつつあります。

 (3)ニザール派とアルカーイダの比較
 このように見てくると、ニザール派もアルカーイダも、時代が違い、しかも片やシーア派、片やスンニ派の流れをくんでいますが、どちらも中東に生まれたイスラム教の最過激派であり、キリスト教徒たる外来勢力と、自派以外のすべてのイスラム教徒を敵視し、これらをテロの対象としていることから、アルカーイダはあたかもニザール派の生まれ変わりであるかのようです。

(続く)