太田述正コラム#6338(2013.7.19)
<世俗化をもたらした宗教改革(その7)>(2013.11.3公開)
 「グレゴリーによる、更に興味をそそる諸主張の一つは、自然哲学が神を宇宙から追放(exclude)し、かつまた、「科学」が神なる仮説(god-hypothesis)を実用的諸仮定(working assumptions)から追放するに至ったプロセスの始まりは、科学それ自体とは何の関わりもないのであって、中世末の神学者にして哲学者であったドンス・スコトゥスが、「存在(being)」を神と神の被造物が、間違えようもなく(univocally)共有していると措定(posit)したことと、次いで、ウィリアム・オッカム(William Occam)<(注17)>が、唯名論者として執拗に主張したところの存在の詳述(particularization)、及び因果的諸説明には、絶対的に必要な「諸因(causes)」しか含めるべきではない、という、オッカムの悪名高い「剃刀(razor)」、なる格言 である、とするエイモス・ファンケルステイン(Amos Funkenstein)<(注18)>による証明を、<一層>発展させた主張だ。
 (注17)、1285年~1347年。「フランシスコ会会士、後期スコラ学を代表する神学者、哲学者。・・・<イギリス>のオッカム村に生まれ<、>オックスフォード大学で学ぶ。30歳を過ぎても・・・<同大>講師の職にとどまっていた。と言うのは、・・・トミスト(トマス・アクィナスの継承者)の立場をとる学長、ジョン・ラットレルと対立していたからである。・・・。1323年、ジョン・ラットレルから異端だとしてアヴィニョンにある教皇庁に訴えられる。ローマ教皇・ヨハネス22世と対立、1324年、異端審問のため当時アヴィニョン(フランス)にあった教皇庁へ召還される。1326年、教皇は、オッカムの学説を異端として破門を宣告する。・・・
 オッカムはフランシスコ会総長チェーザナのミカエルとともにアヴィニョンからミュンヘンへ逃亡し、聖職叙任権などをめぐり教皇と対立していた神聖ローマ帝国皇帝ルートヴィヒ4世の保護を受けた。その後・・・同地でペストによって没し<た。>・・・
 個物を超越した普遍、本質、形相といったものではなく個物のみが存在するものであり、普遍は人間の心が個物を抽象して生み出したものであって心に外在する存在ではないという立場を強く主張したために、唯名論の開拓者であるオッカムを近代的認識論の父とみなす者もいる。・・・
 オッカム・・・の重要な貢献として、オッカムの剃刀と呼ばれるようになる、説明や理論構築の上でのケチの原理がある。バートランド・ラッセルの解するところでは、この格言は、ある仮定された存在がなくても現象を説明できるならば、その存在を仮定する理由がない、つまり、常に原因、要因、変数が可能な限り最小となる説明を選ぶべきだということを言っている。・・・<ここから>導れる彼の懐疑論は、人間の理性は魂の不滅性も神の存在、唯一性、無限性も証明できないという彼の学説の内に現れる。彼の説くところによればこうした真理は啓示によってのみ知られる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0
 (注18)1937~95年。イスラエルで兵役に服してからヘブライ大学卒、ベルリン自由大学で中世史の博士号取得。1967年に米UCLAの歴史学教授となり、70年代にはテルアビブ大学教授を兼ね、スタンフォード大でも教鞭を執り、最終的にUCバークレー校に落ち着き、58歳で癌に斃れる。
http://www.sfgate.com/news/article/OBITUARY-Amos-Funkenstein-3019623.php
 その結果、近代科学が彼を発見することに<最終的に>失敗した時点において、神は、存在の<動植物分類上の>属(genus)中の最初(first)にして最高なる仮説として必ずしも必要でない(dispensable)ものとなった。
 しかし、ドンス・スコトゥスもウィリアム・オッカムもプロテスタントではないことから、これら及びその他のあらゆる諸発展がプロテスタント宗教改革といかなる関係があるのか、という疑問が生じる。
 それ<に対する解答>こそ、この本の中心的主張なのであって、<著者は、>プロテスタント宗教改革は、この本における分析のために摘出されたところの、欧米の近代の<世俗的>諸様相を勃興させたところの諸発展の原因とは必ずしも言えないのであって、せいぜい触媒であった<、と主張しているのだ。>」(H)
→これだけでは、分かりにくいでしょうから、別の書評子による解説も掲げておきましょう。(太田)
 「「完全な無から神が…創造したところの、宇宙の全体とは根本的に区別される」、超絶的な(transcendent)ものがキリスト教の神なのだ。
 その定義からして自然世界しか調査(investigate)できないところの、経験論的探求(empirical inquiry)をもってしては、その定義からして自然世界とは根本的に区別される神、が実在しないことを示すことなど決してできないことは自明である」、とグレゴリーは結論付ける。
 <しかし、>神と彼の被造物との関係に関する見方は、ドンス・スコトゥス・・・とウィリアム・オッカム・・・によって、微妙に、しかし顕著な形で挑戦された。
 根本的に超絶的な神の代わりに、この二人の影響力ある思想家達は、神を、「何らかの物にして何らかの別個の(discrete)実在物(real entity)」ないしは「他の諸存在の中の最高の存在」、と措定した。
 <そして、>スコトゥスとオッカム以降、漸次的に、しかし容赦なく、「神の超絶性の順化(domestication)、及び、神の自然世界の外延(extention)化」へと向かう趨勢が生じた。・・・
 <ところが、>グレゴリー自身が認めるように、マルティン・ルター、ジョン・カルヴァン、及び他の大部分の宗教改革者達は、キリスト教の伝統的な超絶的な神という見方に与していた。
 <しかも、>16世紀と17世紀の自然哲学者(natural philosopher)達のほぼ全員もまた、同じくそうしていた。
 だから、宗教改革が「神の自然世界との関係に関する、明白に(explicitly)キリスト教的な諸主張(claims)を取り除く(sideline)、という意図せざる効果を持った」という<命題>、は間違いであると証明できる。
 <実際、>カトリックとプロテスタント双方の影響力ある自然学者(naturalist)達は、公刊された業績及び公刊されなかった業績のどちらにおいても、神についてと神の被造物について、<かかる立場からの>直接的諸主張(claims)を行っている。
 これらの自然学者達には、ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)、ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler)、ティコ・ブラーエ(Tycho Brahe)、パラケルスス(Palacelsus)、アイザック・ニュートン(Isaac Newton)、そしてロバート・ボイル(Robert Boyle)、及び、その他の多くのより知られていない人物群が含まれていたのだ。」(B)
→要するに、宗教改革者達や宗教改革当時の科学者達は、押しなべて、超絶的な神なるトマス・アクィナス的なカトリック教会公認の神学の核心部分を信奉していたのであるから、欧米社会の世俗化をもたらすことにはならなかったのであって、欧米社会の世俗化をもたらすこととなったのは、宗教改革より前に出現していたところの、神を自然の一部に引きずり下ろした、スコトゥスとオッカムの哲学であった、とグレゴリーは主張しているのであり、私もまさにその通りである、と思います。(太田)
3 終わりに
 グレゴリーの主張全体を、私の言葉で簡潔に置き換えると次のようになります。
 スコトゥスとオッカムは、イギリスの、経験論的/帰納論的(=反・合理論的/演繹論的)伝統、及び、自然宗教的伝統、に基づき、神を第一公理とする考えを排斥し、神を人間と同一次元上に引き下ろしたのであり、これが、究極的に、自然宗教的伝統を持たない、或いは、自然宗教的伝統を失った、欧州諸国において、(カトリック教会及び諸プロテスタント教会を問わない)キリスト教の没落、そして、キリスト教に代わる(ナショナリズム、共産主義、ファシズムなる)政治的諸宗教の成立ないし導入をもたらすとともに、無神論的世俗化をもたらした。
 ただし、イギリスにおいては、自然宗教的に再解釈されたキリスト教であるところの、英国教会をもたらすこととなった。
 また、ウィクリフは、イギリスの、経験論的/帰納論的伝統、及び、今度は個人主義的伝統、に基づき、聖書という典拠のみに基づくところの、個々人の自由な聖書解釈を認める、教会を介在させない宗教へとキリスト教を変容させようとしたのであり、これが、個人主義的伝統を持たない、或いは個人主義的伝統を失っていた、欧州諸国において、聖書の異なった解釈に基づく、(それまでの、単一のカトリック教会とタテマエ上は全カトリック国を網羅した神聖ローマ帝国、ならぬ、)カトリック/諸(ミニ・カトリック教会的)プロテスタント教会とカトリック教会/諸プロテスタント教会のうちの一つを公定宗教とする政体、の族生であるところの、いわゆる宗教改革をもたらし、これがやはり、キリスト教没落後の、キリスト教に代わる最初の政治的宗教たるナショナリズムの成立(、ひいては、共産主義、ファシズムなる政治的宗教の成立)につながるとともに、世俗化をもたらした。
 ただし、イギリスにおいては、(ミニ・カトリック教会的)プロテスタント教会たる英国教会(とこの英国教会を公定宗教とするイギリス王国)こそ、欧州諸国同様成立したものの、個人主義的伝統から、反カトリックでさえあれば、個々人に比較的自由なキリスト教信仰を抱く自由があり、英国教会の没落にもかかわらず、この個人主義的伝統が政治的宗教の成立や導入を妨げるとともに、自然宗教的伝統が無神論的世俗化ならぬ、自然宗教的世俗化をもたらした。
 以上は、基本的に地理的意味での欧州の話だが、米国においては、欧州諸国や、拡大イギリス(拡大英国)とは異なり、建国に至る事情から原理主義的キリスト教的傾向が強く、カトリック教会及び諸プロテスタント教会が競い合いながら現在に至っており、キリスト教が没落せず、従って、政治的諸宗教の成立や導入がなされることもなく、論理必然的に、先進国としては異常に世俗化が遅れている。
(完)