太田述正コラム#6375(2013.8.7)
<日支戦争をどう見るか(その17)>(2013.11.22公開)
 –キリスト教原理主義–
 「ジャクソンは、西インド諸島からやってきたのだが、1686年に18歳の時に急進的な宗教指導者であるジョン・ロジャースに売られた。
 ロジャースの宗教的諸信条は、彼をして反奴隷制的諸見解・・それは、当時、殆んど出回っていなかった・・に同情的にさせた。
 (「ロジャレンズ(Rogerenes)という)ロジャースが創建したセクトの人々の間で生きたジャクソンは、コネティカットの主流の会衆派教会信者(Congregationalist)<(コラム#6006、6208)の間で生きた他の奴隷達>に比べてより大きな水準の自立性を確保することができた。
 ジャクソンの根気強い要求を受けたロジャースは、最終的に彼に自由を与えることに同意した。」(α)
 「ジャクソン家を何年も所有したロジャース家から、私は、1670年代にアメリカの土壌において、ジョン・ロジャースによる最初の英米セクト(English-American sect)の創建をもって、米国の宗教的原理主義と叛乱的急進主義の諸伝統が極めて早い時期に始まったことを学んだ。
 ロジャースは、彼の信徒達を「ロジャレンズ」と呼び、何十年にも及んだ迫害と反抗の期間、信徒達を指導し、その間、<境内で>手押し一輪車に載せた靴を売っていたニューロンドンのある教会を襲って糞で集会場を塗りたくる等の、創造的にして、しばしば生彩のある(colorful)ところの方法でもってお偉方をお節介にも叱りつけた(snubbed their noses at)。」(γ)
→例示として挙がっているものは、聖書に書いてあるところの、イエスによる、営利を伴った宗教活動の暴力的排斥を忠実にまねた行為であり、キリスト教原理主義者とはいかなるものか、がよく分かります。
 聖書には奴隷制を攻撃する直截的文言こそ出てきませんが、聖書にはキリスト教徒の平等を謳う文言は出てくることから、キリスト教徒たる黒人に関しては奴隷制は排斥すべきだ、ということにもなるわけです。
 もっとも、当時のコネティカットのロジャレンズ以外の白人住民も、イギリス本国の人々に比べればキリスト教原理主義的であって、ロジャレンズとそれ以外の白人の人々との違いは程度の相違でしかなかったことに注意が必要でしょう。
 そもそも、コネティカットに奴隷は殆んどいなかった、という点からもそのことが窺えます。(太田)
 –黒人差別–
 「しかし、皮肉にも、<この本の著者の>ディ・ボナヴェンチュラは、ロジャレンズが時々アフリカ人を奴隷のままにしたことを示す。
 そうした理由の一つは、ひとたび自由になると直面したところの、より人種主義的な環境から彼らを守るためだった。
 ジャクソンは、自由を得てからも、自身、どこか別の町で賃労働者として仕事を見つける危険を冒すよりも、ロジャースの年季契約の奉公人(indentured servant)のままでいることを選んだ。」(α)
→どうやら、北米大陸のキリスト教原理主義者達は、法的ならぬ事実上の差別まで解消すべきだとは考えなかったようですね。
 人間に好き嫌いがあるのは仕方がない、という一般論で逃げた、ということなのでしょうか。
 以上は18世紀のことですが、少なくとも20世紀前半の米国北部でも、状況は全く変わっていなかったことが分かるのが下掲の出来事です。
 「1921年のデトロイトでの出来事。
 この年、フランスで教育を受けた黒人の・・・<一人の>医者が白人地区に引越ししてきたところ、300人を超える白人の群集が彼に対峙した。
 威嚇的な群衆がアジり、石を投げ始めた時、彼、及び、彼の同国人が二階の窓から銃を撃ち、一人の男を傷つけ、もう一人の男を殺した。・・・
 <裁判になり、弁護士による、陪審員個々人の差別意識に注意を喚起する熱弁もあり、>彼は無罪の評決を受けた。」
http://www.csmonitor.com/layout/set/print/USA/Justice/2013/0806/Racial-bias-and-stand-your-ground-laws-what-the-data-show
(8月7日アクセス)
 このデトロイトが、黒人が多数を占める都市となり、また、先般、黒人市長によって破産宣告がなされたことは、時代の流れを感じさせますが、21世紀の現在も、米国の北部における白人の黒人に対する差別意識は、上掲の出来事のような劇的な形こそとらないものの、基本的に変わっていないのではないか、と思われます。(太田)
(続く)