太田述正コラム#6377(2013.8.8)
<日支戦争をどう見るか(その18)>(2013.11.23公開)
 –北部の偽善性–
 「若干の学者達が主張しているように、実際には奴隷制は北部諸植民地にとって重要だったと主張できるのかもしれない。
 ただし、ディ・ボナヴェンチュラの興味を引く形ではなしに・・。
 北部諸植民地は、はるかに大きな大英帝国の一つの部分に過ぎず、この帝国の富は、主として奴隷に立脚したカリブ海の砂糖諸植民地から来ていた。
 そして、北部は、自分達が生産した限定された諸商品(limited goods)・・干し魚、肉、その他の細々とした農産品(small produce)・・の<売り込み先>市場として、この砂糖諸植民地を必要としていた。
 ディ・ボナヴェンチュラは、この依存性について、付け足し的にしか言及していない。
 彼女が我々にもっと詳細な事実(context)を与えてくれておれば、我々は、奴隷制がジョシュア・ハムステッドのような男達にとって枢要であったことを見て取っていたことだろう。・・・
 <とまれ、>彼女は、奴隷制が、その地域的変種のいかんにかかわらず、いかに有害な制度であったかを描いている。
 それは、奴隷にされた者、その所有者、そしてそれを支えていた社会の生活を腐食させていたのだ。」(α)
 「「19世紀のニューイングランド人達は、自分達自身の歴史についてのより英雄的でより健康的な物語の方を好み、自分達の集合的な過去に関する不都合で芳しからざる<奴隷制等の>諸側面をせっせと消去した」とディ・ボナヴェンチュラ氏は記す。」(β)
 「私<(=ボナヴェンチュラ)>が研究を始めた時、初期ニューイングランドにおける性的諸現実がピューリタンの貞節と抑圧という伝統的ステレオタイプとは合致しないことに気付いた。
 私生児に物質的支援を与える<には限度がある>ため、<性的>ふるまいを規制する法的しくみが存在したにもかかわらず、社会のあらゆるレベルで姦淫が行われ、許容されていた。
 しかし、恐らく驚くべきことではないけれど、私は、エリート諸家<の人々>が、より低いカーストの同様のことをやらかした人々に比べて、より巧妙に、さしたる社会的ないし法的影響を蒙ることなく、性的逸脱<行為>から逃げおおせることができたことを発見した。」(γ)
⇒18世紀の白人たる北部人は、黒人観、奴隷制観、姦淫観等において、タテマエ(制度)とホンネ(実態)とを意識的・無意識的に使い分けた偽善的な人々であった、ということです。
 言うまでもなく、イギリスを逃れたキリスト教原理主義者とその子孫が多かった北部人は、タテマエを聖書に合致させたところ、ここで肝要なことは、彼らキリスト教原理主義者は、タテマエもホンネも余り変化させることなく現在に至っている点なのです。
それに対し、当時の白人たる南部人は、奴隷制を直截的に活用しつつ、北部人に比べると弱い差別意識を黒人に対して抱き、温情をもって黒人奴隷と関わっていました(典拠省略)。
 彼らの多くは、食い詰め、或いは一旗揚げるためにイギリス等を後にして北米大陸に渡って来た人々及びその子孫であり、キリスト教原理主義者ではなかったけれど、北部人の影響もあり、キリスト教に内在する論理にのみ、しかし厳格に羈束されるに至った人々だったのです。
 米国の二大政党である共和党は、主として北部人の間から生まれ、民主党は、主として南部人の間から生まれました。
 ところが、その後、共和党は主として南部人の政党となり、民主党は主として北部人の政党へと変貌を遂げます。
 つまり、かつての北部人が南部人となり、南部人が北部人となる、という、大きなねじれが生じるのです。
 その経緯を、民主党について、見てみましょう。
 「民主党は1820年代に分裂したトーマス・ジェファーソン<(南部のヴァージニア人)>の民主共和派の流れを汲み、アンドリュー・ジャクソン<(ヴァージニアの南のカロライナ人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E5%B7%9E )>
を領袖に結党された「民主共和党」が前身である。1830年より現在の「民主党」を名称にしている。
 民主党は、過去にはその支持勢力を北部と南部に分けて捉えることができる。北部では大都市の移民集団で、カトリック系やユダヤ系移民に支持される一方で、南部では奴隷制度廃止に反対し、1860年代には連邦を離脱してアメリカ南部連合を結成した白人層が支持層であった。彼らは南部11州で支持層を拡大して「一党南部」または「堅固な南部」と言われる強力な基盤を形成することになった。
 大恐慌のさなかの1932年にはフランクリン・<ロ>ーズベルトがホワイトハウス入りを果たし、大恐慌で苦しむ都市労働者をはじめ、黒人、カトリック教徒、ユダヤ系市民、そして民主党の支持基盤である南部人らを結集したいわゆる「ニューディール連合」を形成することとなった。しかし多様な価値観を内包する党は、その後の公民権立法などの人種政策の実施過程において、南部白人層の離反(レーガン・デモクラット)を招くこととなる。また女性の権利をめぐる中絶論争で進歩的な政策を取ることから宗教的保守派などの離反も招いた。ここに二大政党制の再編成が起こり、民主党は窮地に追いやられることになったといわれている。その後もヒトES細胞の研究の可否、同性愛の諾否、同性間における結婚の諾否など、宗教的価値観と関連する問題で一般に進歩的な政策をとることから、宗教的保守派(但し、カトリックは除く)の支持は失っている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB)
 現在、共和党支持者が多い州は赤州(red state)と呼ばれ、民主党支持者が多い州は青州(blue state)と呼ばれていて、それぞれ南部、北部に多いことはご承知のとおりですが、4年前に一旦青州化した北カロライナ州が今年に入って再び赤州に戻る
http://swampland.time.com/2013/07/30/north-carolina-reverts-to-red/
(7月31日アクセス)等、激しい綱引きが続いています。
 しかし、今となっては、私は、そんなことはコップの中の争いに過ぎず、共和党(赤)も民主党(青)も五十歩百歩であり、どちらかと言えば、むしろ共和党(赤)の方が好ましい、と思うに至ったという次第です。
 ずっとわだかまっていたのですが、前回の米大統領選の際、私の敬愛するクリント・イーストウッドが、よりにもよって、民主党のオバマではなく、共和党のロムニーを支持した(コラム#5707)ことの深ーい理由がようやく分かった、と、この際、申し上げておきましょう。(太田)
(続く)