太田述正コラム#0204(2003.12.9)
<毛沢東と周恩来>

中国共産党は既に1980年に、大躍進政策や文化大革命を推進したという毛沢東の深刻な過ちに照らし、毛沢東は7割正しく3割誤っていたという評価を打ち出しています(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A47339-2003Dec8?language=printer。12月9日アクセス)。
 しかし、中国の民衆の間では、毛沢東は天才であり世界的な偉人なのだから3割程度の過ちは許されるということなのでしょうか、毛人気は全く衰えを見せていません(コラム#134)。
現在の中国共産党指導部は、このような毛沢東評価を更に見直そうとしています。
今年7月に、中国の民主諸党派(注1)代表が国家主席兼中国共産党総書記の胡錦涛と会談し、「建国後、(毛<沢東(Mao Zedong)>が発動した)政治運動により3000万人以上が迫害を受け、350万人以上が死亡した事実を考慮しなければならない。・・<天安門広場の>毛記念堂は、祖国の独立、自主、進歩、発展のために犠牲となった各界の人たちを一緒に祀る記念館にすべきだ」と提言した際、胡錦涛は、「適当な時期に科学的、実事求是的立場で(毛沢東の)評価を下したい。われわれの世代で解決していく」と答えています(『選択』2003.9 20頁)。

(注1) 中国の公式見解によれば、「中国は一党制ではなく、共産党が主導し、多数の党派が協力する政治協商制度を取っている。中国には共産党以外にも、中国国民党革命委員会(民革)、中国民主同盟(民盟)、中国民主建国会(民建)、中国民主促進会(民進)、中国農工民主党(農工党)、中国致公党(致公党)、九三学社、台湾民主自治同盟(台盟)の8つの民主党派が存在する。これら党派の党員は昨年末時点で60万人を超え、国家の政治の中で重要な役割を発揮している」ことになっている(http://j.peopledaily.com.cn/2003/12/05/jp20031205_34693.html。12月6日アクセス)。

毛沢東の誕生110周年にちなんで、中国共産党中央文献研究室編の「毛沢東伝(1949??1976)」が近々刊行されます(注2)が、この伝記では、胡錦涛政権の上記方針の下、「毛沢東の失敗もそのまま記し、当時の中国内外の歴史的背景、毛沢東の政策決定過程、失敗の原因も客観的に記述し」たそうです(http://j.peopledaily.com.cn/2003/12/09/jp20031209_34803.html。12月10日アクセス)が、どんな記述ぶりになっているのか、上梓が待たれます。

(注2)今回出版分は新中国建国後の時期のもので、これに先立つ時期の「毛沢東伝」は1996年に出版された。

 毛沢東に対する1980年以降の評価といい、この評価を更に見直そうという動きといい、スターリンらの批判を殆ど行おうとしないロシアのプーチン政権の姿勢(コラム#144、186)に比べて、中国共産党には相対的には好感が持てます。

 しかし、中国共産党へのリップサービスはそこまでです。
 胡錦涛らが、周恩来(Zhou Enlai。-1976)が、毛沢東の傍らで毛の過ちをたしなめつつ毛の意向を四方八方に目配りしながら実施に移した、中国共産党員の模範とすべき人物であるとする、周恩来無謬性の神話を依然として維持しようとしている・・すなわち依然として中国内でいかなる周恩来批判も許していない・・ことはご存知でしょうか。
 
 この周恩来が、「毛・・をたしなめた」ことなど一度もない、絶対専制君主たる毛に盲従し翻弄される哀れな家臣以外の何者でもなかったことを明らかにしたのが、高分謙(Gao Wenqian)の「晩年周恩来(Wan nian Zhou Enlai =The Final Years of Zhou Enlai)」(中国語。2003年)という、中国で禁書に指定されることが確実な衝撃的な本(注3)です(ワシントンポスト前掲、http://www.isop.ucla.edu/article.asp?parentid=4539、及びhttp://www.dhcca.org/Seminar/GaoW%20101703.htm(いずれも12月10日))。

 (注3)高氏は、1993年に中国を出国するまでの13年間、中国共産党中央文献研究室に勤務したが、研究室時代に閲覧した中国共産党の膨大な一次資料を下に、米国でこの本を執筆した。

 高氏は次のように書いています。(以下、ワシントンポスト前掲及びUCLA前掲による。)

 周恩来は文化大革命の時に迫害された役人達を庇護したと言われているが、毛、江青、林彪らにお伺いを立てた上で、若干の人々を助けてやったというだけのことだ。逆に毛沢東に命ぜられれば、周恩来はたとえ自分の兄弟の逮捕状であっても躊躇なく署名した。
 周恩来が、文化大革命で一旦失権したクt]・燭鯢鋐△気擦燭箸いΔ里皀Ε修如⊆・戸茲鮓・・垢詭榲・婆啾・譴・眷小平を復権させたというのが真相だ。
 周恩来が膀胱ガンにかかっているということを知った毛沢東は、医師団に対し、周恩来へのガンの告知を禁じただけでなく、再度検診を行ったり手術をしたりすることまで禁じた。毛沢東は、10ヶ月後に周恩来に血尿が出た時点でようやく検診実施を認めたが、その時にはもうガンは全身に転移していて手遅れだった。
 毛沢東は、自分が殺害したに等しい周恩来の葬儀にあたって、あえて(祝意を表する)爆竹を鳴らすことを命じた。
 要するに、毛沢東は中国の伝統に即した専制的な皇帝であり、周恩来は君主への絶対服従を旨とする儒教道徳に忠実な家臣だったということだ。

 いやはや、言葉を失いますね。
 なるほど、これでは中国共産党指導部が、かねてより一切の周恩来批判を許さないのも当たり前です。周恩来批判を許すということは、毛沢東の全面的否定につながりかねず、それは更にクt]・拭蔽躊)批判に直結しかねないからです。

(注4)クt]・燭蓮・950年代に毛沢東の下で知識人の粛清を担当した。彼が命じた1989年の天安門「虐殺」事件はその延長線上に位置づけるべき事件といえる。

 クt]・身稟修・″眷小平の愛弟子である胡錦涛の立場を危うくすることは申し上げるまでもありません。
 してみると、(中国には新しい王朝が成立するたびに、その正当性を示す目的で史書が編纂されたという史実がありますが、)胡錦涛による毛沢東の再評価も、現在の中国共産党指導部の正当性を示す域を一歩も出るものにはならないことでしょう。