太田述正コラム#0205(2003.12.10)
<イスラム社会は世俗化できるか(その3)>

 次は、クリストフ・ルクセンベルグです。

彼の著書 (Christoph Luxenberg, Die syro-aram?ische Lesart des Koran: Ein Beitrag zur Entschl?sselung der Koransprache, Das Arabische Buch: Berlin, 2000) のさわりをご紹介しましょう。(以下、特に断らない限り、この本を絶賛した米ミネソタ州セント・ポール大学神学部の二人の教授による批評(http://syrcom.cua.edu/Hugoye/Vol6No1/HV6N1PRPhenixHorn.html。12月6日アクセス)による。)

 ムハンマド(570-632)の頃の近東の共通の書き言葉は、アラム語の方言たるシリア語(ユーフラテス河上流のエデッサの言葉)だった。しかも、このシリア語による当時の文献はキリスト教関係のものが大部分だった。その頃、アラビア語にはまだ書き言葉がなかった。
 初期のハディス(ムハンマドの言行録)には、ムハンマドが彼の信徒達に(ヘブライ語のほか)シリア語を習得せよと述べたという記述がある。このことは当初イスラム教に関わる文献がシリア語で書かれていたことを推察させる。
 コーランはウスマン(Uthman B. Affan。ムハンマドの義理の息子で第三代カリフとなる。暗殺されて死亡(http://www.princeton.edu/~batke/itl/denise/uthman.htm。12月10日アクセス))がカリフであった時(633-646)に編纂されたとされており、コーランはアラビア語で書かれた最初の本と解されている。
 編纂されたもとのものは、アラーの言葉を聞いたと称するムハンマドの述べたことを速記の形で書きとめたものだった(ルクセンベルグの創見)。コーランのアラビア語は母音を欠いているため、読み方(すなわち解釈)には幅が出てしまう(英語のアルファベットに子音しかなければ、例えばbdという単語が出てきたとして、bad、bed、bid、budの四通りの読み方ができる)のだが、コーランのもとになった速記のアラビア語は速記だけに、更に読み方(すなわち解釈)の幅は広かった。しかもムハンマドは、この速記の読み方については、正反対の意味に誤読したような場合を除いて、余りやかましいことは言わなかったとされている。
 そして、ここが重要なのだが、この速記の単語の多くは、シリア語の単語の借用(日本語の場合で言えば、例えば、日本語にはなかった漢語の「中庸」をそのまま日本語として用いること)とシリア語のアラビア語への置き換え(calques。日本語の場合で言えば、例えば、漢語の「飛行機」を大和言葉で「あまかけるからくり」と置き換えること)だという点だ(ルクセンベルグの創見)。
 問題は、ウスマンがコーランを編纂したとき、もとの速記そのものが多様な読み方を許す代物であった上に、用いられている単語にシリア語の単語かシリア語の置き換えが多いため、コーランがアラビア語をしゃべるアラブ人にとっては、初期の注釈家にとっても、既にきわめて分かりにくい文書になってしまっていたことだ。
 ところで、コーランのもとになった速記はキリスト教の新旧約聖書の抜書き的なものだったと推察される(ルクセンベルグの創見)。これは、現行のコーランの標準的な解釈によってもキリスト教の聖書に係る記述が非常に多いこと、ムハンマド当時のシリア語文献の大部分がキリスト教関係であったこと(前述)、「コーラン」という言葉自体がシリア語であり、キリスト教聖句集(lectionary)を意味する言葉だからだ。
 つまり、ムハンマドは単にキリスト教の一派を起こしたという認識であった可能性が高いが、彼の死後に編纂されたコーランを歴代の注釈家達が誤読を重ねていくことによって、次第にキリスト教とは似ても似つかぬイスラム教なる新しい宗教・・ローゼンツヴァイクの言うところのキリスト教のパロディーたる新宗教(コラム#202)・・が生まれて行ったと解することができる(ルクセンベルグの創見)。

 ルクセンベルグが誤読として挙げている例は多岐にわたっていますが、トピック性のある一例だけ、ここでご披露しておきましょう。
 コーランには、ジハードに倒れた者ないし殉教者は天国が約束されていると書いてありますし、天国では「黒い瞳の処女達」が待っているとも書いてあることになっています。パレスティナやアルカーイダ系の「男の」テロリスト達はこれを楽しみに自爆テロを決行する、とブラックジョーク的に話題になっている箇所です。何たる男女差別、何たる下品、とイスラム教徒の心ある人々を困惑させている箇所でもあります。
 しかし、ルクセンベルグによれば、この箇所は「つやつやした干葡萄」の誤読だというのです。
男性のテロリスト諸君、お気の毒様!
 (ここは、http://www.guardian.co.uk/saturday_review/story/0,3605,631332,00.html(2002年1月12日アクセス)による。)

 上記の神学部の二教授は、「今後のあらゆるコーラン研究は、このルクセンベルグの方法論を踏まえて行われることになるだろう」と記しています。

ところで、フランソワ・ド・ブロア(Fran?ois de Blois)という人物が、ルクセンベルグについて、「アラビア語の方言をどれかしゃべれることは確かだ。そしてまあまあ、とはいえ問題なしとしない程度の古典アラビア語の心得はある。辞書を引ける程度のシリア語の心得もある。しかし、比較セム言語学の方法論に通じているとは到底言えない」とした上で、ルクセンベルグのこの「本は学問的著作と言うより、ディレッタンティズムの産物にほかならない」と酷評しています(http://www.islamic-awareness.org/Quran/Text/luxreview2.html  。12月6日アクセス)。

 ルクセンベルグのこの本を読むだけのドイツ語力がないことはもとより、小学校時代にエジプトに足掛け四年いたけれど、全くアラビア語(エジプト方言)ができず、いわんやシリア語の知識など皆無の私に、一体どちらの批評が正しいのかを直接判断するすべはありません。
しかし、ブロアによる批評がコーラン学会の学会誌(Journal of Qur’anic Studies)掲載であるのに対し、神学部二教授による批評はシリア語学会の学会誌(Journal of Syriac Studies)掲載であることからすれば、ルクセンベルグの「シリア語」等の能力を貶めたブロアによる批評の信頼性には疑問符をつけざるをえません。ここから、ルクセンベルグの本を絶賛した神学部二教授の批評の方に軍配をあげたいと思います。

(完)