太田述正コラム#6515(2013.10.16)
<バングラデシュ虐殺事件と米国(その7)>(2014.1.31公開)
 –インドの介入–
 「インドとパキスタンの戦争・・・という出来事は、1972年12月3日にパキスタンがインドを攻撃して起き、バングラデシュという名前の下での東パキスタンの自治という究極的目標に向かって事態は動き出した。」(H)
 「低レベルのベンガル人達によるゲリラ戦争が12月まで続いた時に、インドが、難民の重荷に苛ついただけでなく、冷笑的にパキスタンを二つに裂く好機であると見て、東パキスタンに侵攻した<のだ>。
 インドは、2週間以内にパキスタン軍を敗北させ、バングラデシュという、極めて身体が不自由な幼児国家の生誕の産婆役を演じた。」(D)(注10)
 (注10)パキスタンは、1950年から70年までの間、東パキスタンの方が人口が多いというのに、政府予算を東パキスタンに西パキスタンの4割しか配分しなかった。
 バングラデシュ解放戦争は、1971年3月26日にパキスタン軍が探照灯作戦を発動して始まり、東パキスタン側はゲリラ戦で抵抗した。パキスタン軍は現地のイスラム過激派民兵と協同してその弾圧に当たった。東パキスタン側は亡命政府をインドのカルカッタに樹立し、インドは彼らに経済、軍事、外交支援を行った。1971年12月3日、パキスタンは[チンギス・ハーン作戦を発動し、]インドの[11カ所の空軍基地]に先制空爆をかけたことを受け、インド軍はこの戦争に、[西では防勢作戦、東では侵攻作戦という形で]介入した。西でも東でも、そして海上においてもインド軍優勢が続き、12月16日に東パキスタンのパキスタン軍は[降伏]した。
 [パキスタンは、この戦争と東パキスタンの分離により、海軍の半分、空軍の4分の1、陸軍の3分の1を失った。]
http://en.wikipedia.org/wiki/Bangladesh_Liberation_War
http://en.wikipedia.org/wiki/Indo-Pakistani_War_of_1971 ([]内)
 (5)後日譚
 「全てが終わる前の段階では、ニクソン・キッシンジャー体制にとって光栄なことに、世界は、インドの友人たるソ連とパキスタンの友人たる中共との間の衝突<が始まる>かという観を呈していた。」(H)
 「この戦争が引き起こした<一般住民>大量殺害の責任を問われたパキスタン軍兵士は皆無だった。」(F)
 「ニクソンとキッシンジャーは、それぞれの職を去った後の何十年かを自分達が偉大な政治家であるという印象を撒き散らしながら過ごした。
 この本だけで、それぞれのかかる評判にいかに彼らが値しなかった人物であったかを示すのに十分だ。」(B)
 「ブラッドは、職を解かれ、国務省研修所(HRD=human resource development)<という閑職>勤務となった。
 しかし、かつての経歴を踏まえ、1980年代初頭に再び南アジア勤務に戻され、ニューデリー総領事になった。
 ブラッド電信は、その主がコロラド州で亡くなる一年前の2003年に秘密指定解除となった。
 その頃までには、バングラデシュの人々からは好意的に記憶されていたものの、彼は米国とインドの人々の記憶からは薄れてしまっていた。
 ダッカのアメリカンセンター図書館には、彼の名前がつけられている。」(E)
→1935年に、米外交官ジョン・マクマレーが、米国の対支政策を批判し、このままでは将来日米戦争は必至である、と意見具申した覚書を国務省本省に送付したことを、これまで何度も紹介してきたところですが、彼以外には、米外交官で、太平洋戦争が始まるまでの間に同様の意見具申を行った者はいません。
 しかも、当時の日本が追求していたのは対ソ抑止戦略であることを認知した上で、米国の対支政策が、米国にも資するところの、かかる日本の戦略を挫折させるものであり、日米戦争が起こり、日本を敗北させたら、結局、米国がこの日本の戦略を、当時の日本よりもはるかに不利な立場で引き継ぐことにならざるをえないことまで予想していた者は、マクマレー・・彼は日本が追求してたのは対ソ抑止戦略であったことくらいは認知していたと思われる・・を含め、皆無である、と私は見ています。
 いくら、ブラッド電信の頃とは違って、米外交官が米国政府の立場に異議を唱える意見具申を行うことは奨励されていなかったとはいえ、米外交官達の気概と能力には疑問符を付けざるをえません。
 (日本の外交官はもっとひどかったではないか、という話は横に置いておきましょう。)
 そうだとすれば、時代こそ相当後ではあるけれど、もう一人の米外交官であるブラッドの気概と能力だって眉に唾を付けてよいはずです。
 まず、彼が、自分で件の電信を書かず、部下に書かせ、筆頭者として自分の名前を掲げながらも、自分以外に19名もの現地米職員の名前も挙げることで、責任の分散を図っていることから、彼の気概の程度が透けて見えてくる、というものです。
 では、ブラッドの能力は?
 それは、最後に記します。(太田) 
(続く)