太田述正コラム#6535(2013.10.26)
<大英帝国の崩壊と英諜報機関(その8)>(2014.2.10公開)
 (6)批判
 「<この本には>二つ不足がある。
 第一に、ウォルトンが公的諸記録に焦点を当てているところ、その<公的諸記録がカバーしている>時間枠から、1909年より前の大英帝国諜報の役割を軽視せざるをえなくなっていることだ。
 当時は、スパイ達は、交易の召使い達(servants)だった。
 それは、政府の工作員達(agents)が東インド会社のために働いていたという初期の歴史から生まれ出たことだった。
 これは、ウォルトンの視点(eye)によって我々が裨益する興味深いテーマであって、その理由は、<英国が、もはや、>金融と武器しか提供するものがなくなった状態の下、英諜報機関は、(叛徒的(insurgent)イスラム<に対する対処>への没頭に加えて、)全球的交易における、我が英国の衰えた利害関係に対して一種の企業コンサルタント業の形態<のようなもの>になっ<てしまっ>たからだ。
 第二の、より深刻な欠缺は、ウォルトンは、権柄ずくにも、アイルランドが帝国的議論には関わりがないとみなしているように見えることだ。
 アイルランドが、<英国にとって、>最初にして原型たる植民地だったというのに・・。
 彼は、アイルランドの独立諸戦争<(注22)>及びそれらにおける英秘密諸機関の役割を殆んど無視しているが、彼が、その勤勉さを、次<に開示されるであろうところ>の公文書群がもたらすものに適用するならば、<英>秘密機関の戦い・・フォイル(Foyle)川<(注23)とラガン(Lagan)川<(注24)>の岸辺沿いの英帝国の最後の海辺群における極めて汚い戦い<(注25)>・・について、文脈に即した解釈を施すことができるだろう。・・・
 (注22)諸戦争とは、アイルランド独立戦争とアイルランド内戦を指していると考えられる。
 「アイルランド独立戦争・・・は、1919年から1921年にかけてアイルランドにて行われた独立戦争である。発端は<英>・・・本国政府がアイルランド自治法によって自治領成立を認めたものの、第一次世界大戦によって全計画が凍結されたことである。戦争終結後も<英>領であることに不満を持った民族主義者らは1919年武装蜂起しアイルランド共和国を宣言、アイルランド独立戦争が勃発した。1921年12月、休戦協定が結ばれ、英愛条約が締結された。これによりアイルランド自由国が成立し、形式的には独立戦争は終結したが、イギリス連邦下にあること・・・[<及び、>北アイルランド6州が自由国に含まれていない事]に・・・不満を抱く民族主義者はアイルランド内戦を起こした。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E6%88%A6%E4%BA%89
 アイルランド内戦は、1922年6月~23年4月。「・・・アイルランド共和国の議会・・・は1921年12月、かろうじて英愛条約を批准した。条約の批准に際してデ・ヴァレラはアイルランド共和国首相を辞任し、議会外で反条約を掲げるシン・フェイン党を統率した。彼は議会の正統性を攻撃し、議員たちはアイルランドへの忠誠義務に違反していると訴えた。共和国政府は、条約に従ってアイルランド自由国を建国し、独立戦争を戦ったアイルランド共和軍(IRA)に代わる国防軍と警察の設立を行った。英愛条約の賛同者側は条約賛成派、国軍、自由国であり、それに対して反対者側は条約反対派、不正規軍、共和国であった。IRAは1916年のイースター蜂起の際に建国宣言が行われたアイルランド共和国(暫定政府)の正統性を主張し、自由国建国という妥協を行った者たちを裏切り者であると見なしていた。」結局、英国の支援を受けた政府側が勝利して内戦は終結する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%86%85%E6%88%A6
 (注23)アイルランド島の北西アイルランド領に発し、アイルランドと英国の国境沿いに流れて最後は大西洋に注ぐ川。
http://en.wikipedia.org/wiki/River_Foyle
 下掲の地図参照。(注2においても同じ)
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Ulster_counties.svg
 (注24)アイルランド島の英領東部に発し、英領北アイルランドの首都のベルファストを通ってアイルランド海に注ぐ川。
http://en.wikipedia.org/wiki/River_Lagan
 (注25)英国が、アイルランド島北部の6州を英国領にとどめるために行った画策を指していると考えられる。
 こういうわけで、英諜報陰謀段(cabal)は、どっちみち解放諸運動が勝利することとなる英帝国諸戦争、及び、どっちみち最終的には全球的資本主義が勝利することとなる冷戦において、英国の諸優先順位の狭間で動きが取れぬまま、歴史に影響を与えるというよりは歴史を眺め続け<るだけに終わっ>たのだ。
 ウォルトンは、どんどん空虚になり、重要性が低下して行ったところの、<大英帝国の>「領域(realm)」の「防衛」において、いかに「諜報」の倨傲が殆んど何の違いももたらさなかったことを、尊敬すべきことに、そして恐らくは意図することなく、図示(chart)しているのだ。」(B)
→この一書評子によるウォルトン批判には、全く同意です。(太田)
3 終わりに
 このシリーズをお読みになり、できそこないのアングロサクソンである米国ほどではないものの、英国も、意外なほど他民族統治や他民族地域における諜報活動が不得手だな、という印象を抱かれたことと思います。
 英国・・より正確にはイギリスだが・・はアングロサクソンの本家ですが、その人間主義は、自国民たるアングロサクソン・・拡大英国に移住した人々及びその子孫を含む・・に対してのみかろうじて発揮されるにとどまり、国内外の非アングロサクソンに対しては、非人間主義的に接し続けた結果、彼らに対する統治に、従って、彼らの地域における諜報活動にも、遜色があり続けた、というのが私の見解です。
 だからこそ、英国は、アイルランドを750年間の長きにわたって「統治」する間、アイルランド人虐殺を繰り返すとともに、19世紀に至ってさえ、アイルランド人が大量餓死するのを放置し、結局、英国に対する憤懣が募るばかりのアイルランドは、独立することとあいなったわけです。
 これと、基本的に同じことを、英国が、インド亜大陸を典型として、大英帝国下の、アジア・アフリカ・中南米で繰り返した結果が、英国が投げ出す形で独立した旧大英帝国領諸国における、各々の国内外を問わぬ紛争や貧困の蔓延である、と言ってよいでしょう。
(完)