太田述正コラム#0225(2004.1.7)
<米国建国と奴隷制>

米国はアングロサクソン至上主義の人種差別の国です。
1934年の時点で、米国のハーバード大学ではアイルランド系への差別は消えていたがまだユダヤ系への差別があった、とガルブレイスが書いています(「私の履歴書」より。日本経済新聞2004年1月6日朝刊)。
また、先の大戦の背景に日本人差別があったことは既に触れたところ(コラム#221)です。
黒人差別に至っては、米国の原罪だと言っても過言ではありません。

18世紀のイギリスの評論家にして最初の英語辞書を編纂した人物であるサミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson。1709??1784年)は、米独立戦争の最中の1775年に「課税は圧制ならず」(Taxation No Tyranny)を著わし、対英独立戦争を戦っている北米植民地の人々を非難しました。
「わが<英国>政府の庇護の下で繁栄を謳歌している<北米植民地の>連中が、<政府の>費用について応分の負担をするのは当然のことではないか。・・彼らは自分の自由意志で、選挙権とささやかな財産を保有していた本国を去り、大いなる財産が得られる代わりに投票権が行使できない場所に移った<のだから、代表なきところに課税なしなどと言えた義理ではない>。・・「彼らは<本国による>課税を受け入れたら自分達は<本国の>奴隷になってしまうと言う。・・<しかし、このように>喧しく自由を叫び、奴隷になどなるものかとのたまっている連中に限って多数の黒人奴隷を抱えているのはどういうことだ。・・それでは一つ、奴隷解放令でも出してやることにするか。よもや自由愛好家でらっしゃるお歴々は反対されまいて。・・解放された奴隷達の方が、彼らの元の主人様達よりはるかに立派な市民になることは受けあいだ。」(http://www.samueljohnson.com/tnt.html。1月7日アクセス)と。

このジョンソンの痛烈な皮肉は、米国の独立運動が、奴隷制批判が主流になりつつあった英本国の動向に恐れをなし、わずかな課税を口実に、口先だけ美しい言葉を掲げて開始された側面があることを物語っています。(米国の歴史学者のエドマンド・モルガンは、奴隷制の下で労働者階級が合法的に無権利状態に置かれていたからこそ、英本国のように労働者階級による支配を恐れることなく、米国は民主主義的立憲主義の追求ができたのだ、と指摘しています。)
実際、米国建国の父であるワシントン、ジェファーソン、マジソン、パトリック・ヘンリーらはみんな奴隷所有者でした。ちなみに、当初の米国憲法には(投票権のない)奴隷の数の五分の三を議員定数の割り振りの際には有権者数に算定するという条項が含まれており、ジェファーソンが1800年の大統領選挙に当選したのは、この条項のおかげだといいます。
とはいえ、彼らのために弁ずるとすれば、彼らが多かれ少なかれ、奴隷所有者であることの罪の意識に苛まれ始めていたことです。
例えばワシントンは、奴隷の歯を引っこ抜いて自分の歯の虫歯の穴を塞ぐのに使い、独立戦争の際には軍役を勤めた奴隷はせめて解放すべきだとの意見を退け、また彼の妻が所有していた奴隷が逃亡した時には懸賞金まで出してその捕獲に努めたものですが、遺言で(亡くなった妻の分も合わせ、)450名以上の奴隷全員を解放しています。
(以上、http://www.salon.com/books/feature/2003/11/25/slavery/index1.html(12月13日アクセス)及びhttp://slate.msn.com/id/2092716/(12月17日)による。これらの記事は、昨年上梓された"Negro President": Jefferson and the Slave Power, by Garry Wills (Houghton Mifflin)とAn Imperfect God: George Washington, His Slaves, and the Creation of America, by Henry Wiencek (Farrar, Straus and Giroux)の二冊を紹介したもの。)

その後、南北戦争の結果黒人が形式的に解放されるに至り、また第二次世界大戦後、公民権運動を通じてようやく黒人が実質的にも解放されつつあることはご承知の通りです。

しかし、米国建国の父達に勝るとも劣らない二面性を持った政治家がつい最近まで米国にいたことが現在話題になっています。
昨年1月まで48年間米上院議員を勤め、7月に100歳でなくなったストロング・サーモンドがその人です。
話題になっているのは、彼が若かりし時、黒人女中との情事で設けた子供(78歳の女性)が昨年末に名乗り出たのですが、サーモンドは1948年の大統領選挙に、黒人の分離(segregation)を公約に掲げて立候補したり、1957年には上院で、市民権法案に反対して議事妨害のため、24時間以上も熱弁をふるったりした人物だからです。
しかし当時も、サーモンドはこの隠し子に深い愛情を注ぎ、何くれと無く公私ともども面倒を見続けたというのです。
しかもやがてサーモンドは、それまでの黒人に対する態度を一変させ、多数の黒人を自分の事務所で雇い、暗殺されたマーチン・ルーサー・キング牧師のための国の休日の制定に努力し、また黒人のための大学の振興に努めたとのことです。
(以上、http://www.nytimes.com/2003/12/18/national/18STRO.html?pagewanted=2&8bl(12月22日)による。)
 サーモンドが送ったこのような矛盾した偽善的な人生には誰しもため息をつかざるをえません。
 
 まこと、米国はならず者(bastard)のアングロサクソンですね。