太田述正コラム#6729(2014.1.31)
<個人の出現(その4)>(2014.5.18公開)
 (2)サイデントップの主張の掩護射撃
 「イタリアのルネッサンスにおいてではなく、<それ以前に>中世において「個人の発見」が起こったという観念は、実のところ、かなり前から中世史家達によって提起されてきたところだ。
 オックスフォード大の著名な歴史家のリチャード・サザーン(Richard Southern)<(注8)>は、サイデントップが引用する『中世における西側社会と教会(Western Society and the Church in the Middle Ages)』(1970年)という一般向けの(general)本においてよりもはるかに多く<このことについて>書いた。
 (注8)1912~2001年。オックスフォード大卒。同大フェロー、同大ジョンズカレッジ校長、英歴学会会長を歴任。
http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Southern
 サザーンの観念は、11世紀の終わりに、偉大な哲学者にしてしぶしぶのカンタベリー大司教であった聖アンセルムス(Anselm)<(注9)>・・神を単に人間化(humanise)しただけでなく人類に尊厳を授与したところの、神が人間<(イエス)>となった行為に関する、アンセルムの同僚キリスト教徒達にとっての意義と取り組もうと試みた・・の事跡(career)に痺れた<結果生まれたものだ>。
 (注9)Anselmus Cantuariensis(1033~1109年)。1093~1109年:カンタベリー大司教。「「スコラ学の父」と呼ばれる。神の本体論的(存在論的)存在証明でも有名。・・・神聖ローマ帝国治下のブルグンド王国の都市アオスタで誕生した。アオスタは、今日のフランスとスイス両国の国境と接する、イタリアのヴァッレ・ダオスタ州に位置する。父・・・はランゴバルドの貴族であり、また母・・・もブルグンドの貴族の出自であり、大地主であった。」彼がしぶしぶのカンタベリー大司教であったのは、当時、イギリス王ウィリアム2世と法王との間に聖職者叙任権闘争が行われていたからだ。なお、彼とイギリスのノルマン朝との接点は、彼がノルマン朝の領地であったノルマンディー公国のル・ベック修道院の院長をしており、2世の父親のウィリアム征服王が同院の保護者であったところにあった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%82%B9
 なお、ランゴバルト族もブルグント族もスカンディナビアを原住地とするゲルマン人であり、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%89%E4%BA%BA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%B3%E3%83%88%E6%97%8F
当時のイギリスのノルマン朝がやはりスカンディナビアを原住地とするヴァイキングであったことは、両者間に二重の縁があったことを意味する。
 更に、十字架上でのイエスの苦痛に満ちた死は、キリストが、全人類の罪を背負い、キリストが自分達のために苦痛を受けたということを受け容れた者達に救済(redemption)と永遠の生命の機会を与えたことを意味する、と理解された。
 イエスは、信じた者全員を救済するために、究極的な人間の経験たる死を耐えた(undergo)のだ。
 疑いもなく、アンセルムスは、どれくらいのキリスト教徒達が救い(salvation)を達成できる望みを本当に持てるかについて、決して楽観的ではなかった。
 大部分の人々は、極めて罪に染まっていたので、至福(beatitude)よりは永久の天罰(damnation)しか期待できない、と。
 救いの望みは、十字軍の一員として武器をとることや、彼の同時代人達がそうしたように、キリストの磔刑の場所への悔悟の(penitential)旅を行うことではなく、僧侶としての生活が地上の生活に対する諸審判からの若干の安堵(relief)を提供するところの、修道院(cloister)へのはるかに充実した(fulfilling)、そして、はるかに短い、旅を行うところに存する<というのだ>。
 他の歴史家達は、世俗的諸感情についての諸感受性(sensibilities)が公然と表明された時期こそ12世紀であったとした。
 宮廷愛熱(cult of courtly love)<(コラム#4926、4928、6072)>は、(サイデントップの主張とは反対に、)しばしば<天上ならぬ>地上志向であり、4字の言葉群<(注10)>を浴びせかけた(spatter)粗野な詩群を生み出し、愛する者と愛されるものとの肉体的かつ精神的な絆を寿いだ。
 (注10)loveというよりはfuckなのだろうが、最終的な判断ができなかった。
 この個人の発見は、サイデントップが殆んど触れていない諸問題を含んでいた。
 社会それ自体が「キリスト教徒達の一団(body)」ないしcorpus Christianorumによって構成されると理解される場合におけるキリスト教社会の中でのユダヤ人達、異教徒達、及びイスラム教徒達の地位いかん?
 「理性」を保有するのはキリスト教徒達だけなのか?
 理性の真の力を持った誰しもが、間違いなく、神の顕現(Incarnation<(キリスト)>)、三位一体(Trinity)、その他、の諸教義を速やかに受け入れるものなのか?
 このような諸論点は、個人の観念の進化において、極め付きの(cardinal)重要性を有した。
(続く)