太田述正コラム#6765(2014.2.18)
<資本主義と不平等(その4)>(2014.6.5公開)
 (2)例外時代
 「高い貯蓄率と低い成長率の社会は、高い富・対・所得比率、及び、高い、所得に占める資本の割合、を持つ。
 倍々ゲーム(multiplicative)を動態とする社会・・そこでは、富の収益が極めて高く、富は課税されたり盗まれたり爆撃されたり消費されたりしてしまうよりも富はより多くの富を生む・・は、その社会に存する富の働きで不平等な分配が行われる社会となるだろう。
 すなわち、<上述の>二つの社会は不平等な社会になるだろう。
 ・・・概ね、1930年から1980年までの間、北大西洋<の両岸>諸国はどこもそうではなかった。
 第二次産業革命に由来する生産性とテクノロジーの急速な推進力<(注9)>と人口的移行時代の人口爆発とがあいまって、富・対・所得比率の分母を大きくしたのだ。
 (注9)原文では「人口(population)」だが「推進力(propulsion)」のミスプリである、と判断した。
 諸戦争、諸戦争の資金を確保するための累進課税、戦争が終わってからでさえもの累進課税への固執、社会民主主義と社会保険への大衆的(popular)需要、が、持てる者により多くを与えるところの倍々ゲーム的な動態<が維持されること>を不可能にした。」(B)
 「第一次世界大戦の始まりとほぼ軌を一にして1970年代初期まで続いたところの、欧米諸国における増大する平等の60年の期間、は独特であって、それが繰り返される可能性は極めて低い。・・・
 平和と繁栄によって特徴づけられるこの60年間は、二つの世界大戦と大恐慌の結果なのだ。
 資本の所有者達・・すなわち、富と所得のピラミッドの頂点にいる人々・・は手ひどい諸打撃の連鎖を蒙った。
 これには、諸市場の崩壊に伴う信用と権威の失墜、第一及び第二次世界大戦における欧州全域の資本の物理的毀損、諸戦争の資金を確保するための諸税率、とりわけ諸高所得に対するもの、の上昇、債券者達の諸資産を掘り崩したところの高いインフレ率、英国とフランス両国における主要諸産業の国有化、元植民地諸国における諸産業と財産の<旧宗主国からの>略取(appropriation)、が含まれる。
 それと同時に、大恐慌は、米国において、ニューディール連合(coalition)を生み出したのであって、それは、叛乱を起こした労働運動を強化した。
 戦後期には、成長と生産性の巨大な増加が起こり、その諸便益は、労働組合運動と支配的であった民主党の強力な後ろ盾の下、労働者達によって分かち合われた。
 リベラルな社会的かつ経済的政策に対する支持は広範で極めて強かったので、容易に二度勝利を収めた共和党の大統領であるドワイト・D・アイゼンハワーでさえ、ニューディールに対する攻撃は無益であることを認識していた。
 アイゼンハワーいわく、「社会保障や失業保険の廃止、労働諸法と農家諸プログラムの除去、を試みようとするいかなる政党も、我々の政治史からその姿を抹消されることだろう」。
 ピケティに言わせれば、1914年から1973年の間の60年は、経済成長率が資本の課税後収益を上回ったことから、それ以前とそれ以降とは画然と区別されるのだ。
 当時以降、経済成長率は減衰し、その一方で、資本の収益は第一次世界大戦より前の諸水準へと上昇しつつある、と。」(A)
 「1950年の一人当たりGDPから始めて、その後60年間の平均一人当たりGDP成長率の多い順に並べると、日本4.6%、ドイツ3.3%、フランス2.4%、英国2.0%、米国1.7%だ。
 収斂する諸経済の教科書的事例だ。」(C)
→この箇所、原文(C)を何度読み返しても、書評子がいかなる意図で書いたのか、どうして1914年から1973年の60年間の数字をあげなかったのか、等がよく分からないのですが、日本における最近の失われたウン十年のことを勘案すれば、戦前から始まった日本型政治経済体制のパーフォーマンスの、戦後における引き続きの凄まじい高さを改めて実感させられますね。
 日本型政治経済体制は、ピケティ指摘するところの、資本主義の構造的欠陥を是正すべく、20世紀において試みられた諸体制中、最も成功したものであって、特筆すべきは、1970年代に入ってからも、更には、失われたウン十年を経た現在においても、なおも基本的にそれが機能し続けていることです。(太田)
 (続く)