太田述正コラム#6767(2014.2.19)
<資本主義と不平等(その5)>(2014.6.6公開)
 (3)現在
 「人口の移行時代が終わるとともに、テクノロジーの進歩の緩慢化の可能性の時にあたり、我々は、1930年から1980年にかけての資本の所得に占める割合がはるかに高くなる世界に直面している。
 こうして、倍々ゲームの動態が戻ってきたのだ・・・。・・・
 ピケティは、産業革命が始まった時には富・対・所得比率が6くらいであったのが、20世紀前半に2.5くらいにまで落ち、それが今や5まで戻り、更なる高みを目指しつつあることを強調する。」(B)
 「サッチャー–レーガン革命<(注10)>は、米国、(そしてより少ない度合い、)英国の傑出的地位がつき崩されたという、事実として正しい観念によって駆動されていた、とピケティは・・・記す。
 (注10)「サッチャー以前の<英国>において、政治の主導権をとっていたのは労働党政権だった。その頃の労働党政権は社会民主主義の立場に立って福祉を重要視する政策をとった。だが、労働党政権は福祉に偏りすぎたため、資本主義の政府が重視すべき経済成長と福祉の2つのバランスが崩れてしまった。この弱点をサッチャーの保守党に突かれて、労働党は政権を失った。<1979年5月に>政権の座についたサッチャーは極端な自由主義、市場競争重視主義に転換した。労働党の極端な福祉重視政策から、サッチャーの極端な市場競争重視、福祉切り捨て政策への大転換が行われた。この大転換はサッチャー革命と呼ばれた。サッチャー革命は、とくに<米国>と日本で高く評価された。・・・<英国>のサッチャー革命は、1980年11月の米大統領選で勝利したレーガンに受け継がれた。1981年1月に大統領に就任したレーガンは「強い<米国>の復活」をスローガンに掲げ、大軍拡を推進するとともに、経済政策においてはサッチャー革命と同じ路線に立った自由主義政策を推進した。これはレーガン革命といわれ、<米>国民から熱狂的支持を受けた。レーガン革命によって<米国>においては強者はさらに強大化した。弱者は切り捨てられた。この結果、<米国>は深刻な格差社会となった。日本では1982年秋に登場した中曽根首相がレーガン・サッチャー革命路線を推進した。中曽根政権は、国鉄の分割民営化、電電公社の民営化を手がかりに、レーガン・サッチャー型自由主義政策を推進した。この中曽根路線は、その後、橋本政権に引き継がれた。さらに小泉政権に引き継がれた。小泉政権は中曽根、橋本以上に激しく突進した。」
http://www.pluto.dti.ne.jp/mor97512/KOKU28.HTML
→サッチャー革命がレーガン革命を思想的に引き起こしたとは言えても、サッチャー–レーガン革命は、単に自民党政権に骨幹運輸・逓信事業等の民営化路線をとる口実を与えただけである、と私は考えています。
 国鉄、電電公社、道路公団、郵便事業等は、同じく明治期以降に政府主導で立ち上げられたの他の近代産業とは違って、安全保障上の理由から民営化が遅れていたところ、戦後日本における、安全保障の放擲、及び、(核を除く)直接的な安全保障上の脅威の消滅、と整合性がとれなくなってから久しく、だからこそと言うべきか、多かれ少なかれ、これらの企業体の諸労組はスターリン主義勢力の牙城となって機能障害を起こしており、それを苦々しく思っていた自民党政権が、遅ればせながらようやくこれらの民営化を断行した、というだけのことである、というのが私見です。(太田)
 しかし、この事実は、戦争で荒廃した欧州の資本主義諸経済の全般的な<米英への>追い付きのせいではなく膨れ上がった福祉国家のせいだ、と誤って解釈された。
 そして、サッチャー–レーガン革命は資本主義を変貌させたが、そのそもそものタテマエたる動機であったところの、成長率を上昇させることには失敗した。・・・
 <それもそのはずであり、>低成長は、諸国が一たび非常に高い水準の所得に到達すれば、不可避なのだ。
 それは、資本の高収益が今日の先進資本主義諸社会の構造(fabric)を破壊してしまうところの、過去の諸世代・・・の「死者の遺産(dead hand)」<のせい>なのだ。」(C)
 「<こうして、>米国では、中位(median)前後の諸所得は実質価格で40年近く停滞を続けてきた。
 そのくせ、上位1%、いや、より狭くは上位0.1%は、彼らの総所得における割合を劇的に増大させてきたのだ。」(C)
 「ピケティ氏の推計によれば・・・(伊日両国とも、再分配的諸税や諸移転を通じて不平等を緩和することに成功してきたけれど、)人口的に<少子化という>挑戦を受けている、この両国のような諸経済の間において、富・対・所得比率は最も高い。」(E)
→「富・対・所得比率」の具体的な各国比較をぜひ知りたいところですが、いずれにせよ、日伊において国家介入によって不平等が緩和されているのであるとすれば、米国等でそれができないことこそが問題であるということになり、ピケティは、資本主義の全般的法則を叙述する前に、いや、少なくとも全般的法則を叙述するのと併せて、国によって異なるところの、資本主義の諸形態について、(研究した上で)叙述すべきでした。
 彼が、そういう努力をしていたとすれば、闇経済の比重が推計で30%と極めて大きい(いわばマフィア経済の)イタリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E7%B5%8C%E6%B8%88
と日本型政治経済体制の日本とを一括りにするなどという荒っぽい叙述がこの本に登場するようなことはなかったはずです。(太田)
 (続く)