太田述正コラム#7030(2014.7.1)
<皆さんとディスカッション(続x2311)>
<太田>(ツイッターより)
 「… 予備調査の開始に伴い、不正を認定された小保方氏らの処分を検討する懲戒委員会の手続きは停止される。…」
http://mainichi.jp/select/news/20140701k0000m040079000c.html
 にゃるほど、その間クビ切れない以上、検証実験に於保方嬢を参加させるって理屈ね。
 いずれにせよ、実験参加が認められたことに対し、彼女が、「心より感謝し、誰もが納得いく形で存在を実証するために最大限の努力をする所存です」
http://www.asahi.com/articles/ASG6Z728DG6ZULBJ01Y.html?iref=comtop_6_03
って語ってるのは、ビョーキが重篤になってんのか、それとも、有力な共犯者が実験に参加していて「協力」が得られる見込みがあるからか。
 「…高村氏は…「憲法9条2項が存在する限り、これ以上やらざるを得なくなれば憲法改正だ」と記者団に述べ<た。>…」
http://mainichi.jp/select/news/20140701k0000e010210000c.html
 んなバカな。じゃあ、公明党と合意に至るまでの自民党案は違憲だったの?
 安倍首相、国会答弁でこんなこと言っちゃダメよ。
 「… 日本人は社会は人から成るものであることを非常に明確に理解している。
 「日本資本主義の父」と呼ばれる渋澤栄一の言葉によると、「自分が手にする富が増えれば増えるほど、社会の助力を受けているのだから、その恩恵に報いるため、できるかぎり社会のために助力しなければならない。国や社会を忘れることは下等動物との差異がないことだ」とある。
 このように、日本代表チームがお辞儀をするという行為は、サポーターの期待に応えられなかったことを誠実に謝罪するだけではなく、サポーターに対する深い感謝の気持ちを示したもので、これこそが日本文化を象徴するものだ。…
 英国のメディアが実施した調査によると、ツイッター上でW杯についてコメントしたユーザーのうち全体の37%が日本のもので、世界で1位だったという。
 それに継ぐ2位は英国だったが、わずか11%に過ぎなかった。…
 残念なのは、日本代表チームがブラジルで示した日本文化の象徴である「深く恥じ入ること」や「恥の意識」が、日本が過去に犯した侵略の歴史を深く認識したり、誠実な謝罪をするという面で示されないことだ。このような日本人の「選択性」について、考えさせられる。」
http://j.people.com.cn/n/2014/0701/c94473-8748860.html
 久しぶりの、しかも含蓄ある日本ヨイショ記事。
 「選択性」など、実は日本文化にはないことを、この記者、ひいては中共当局は、人民に向けて示唆しとるのよね。
 こういう記事、中共人民だけに読ませるのはもったいない。ぜひ、広く日本国民に読んで欲しいもんだわ。
<omHsHCcU>(「たった一人の反乱(避難所)」より)
 「内閣が変わるたびに憲法の解釈が変わり、法律が変わることになれば、法の安定は根本から覆され、法治国家としての体をなさなくなると考えております。例えば、共産党さんや社会党さんになれば全部ひっくり返すでしょうし、同じ保守党の中でも、総理が変わればひっくり返る可能性があります。・・・
集団的自衛権に自民党で一人反対、村上誠一郎議員が会見」
http://blogos.com/article/89500/
 この人、いちおう、東大法学部出てるんだよね・・・。
<:pEoGy1J6>(同上)
 今や絶滅危惧種の「ハト」だからその内、檻に自分から入ったりしてね。
<MAkCcXuw>(同上)
 ちゃうちゃう、「タカ」のふりをした「ハト」が多すぎるのが現状やで。
<8hYbHexc>(同上)
>タカのふりをしたハト
 ハト派のメディアがNHK、朝日・毎日・共同通信とあるなかで、タカを表明するのは至難の業。
 後、戦後の東大がかなり親左翼である事実。
 東大卒で官僚になった青年たちが右も左もわからぬうちに、アメリカの大学に留学するのは迂闊ではないか?
 米国・欧州の歴史・思惑を理解した30代に留学すればいいのでは。
<TA>
 Chaseさん(原案は太田さん)の『欧州文明の起源』の図について、質問というか、意見です。
・「ローマ中期」とありますが、いつの時代かよくわかりません(共和制時代?元首制時代?)
・「ローマ末期」とありますが、いつの時代かよくわかりません(西ローマ帝国末期の意?)
・何世紀ごろかを数直線的に示せないか?
⇒「ローマ中期」については、奴隷が殆んどいなかったローマ王政~ローマ共和政初期
http://en.wikipedia.org/wiki/Roman_Kingdom
http://en.wikipedia.org/wiki/Roman_Republic
より後の、征服地の住民を大量に奴隷にし始めた時期(BC2世紀頃?)
http://en.wikipedia.org/wiki/Roman_slavery
から、「ローマ末期」(下述)の始まりまでが念頭にありますが、始期がはっきりしなているわけではないので、何世紀頃から、と特定しないままの方がいいと思います。
 また、「ローマ末期」については、
・・・historian Peter Brown proposed a period between the 2nd and 8th centuries. Generally, it can be thought of as from the end of the Roman Empire’s Crisis of the Third Century (c. 235 – 284) to, in the East, the re-organization of the Eastern Roman Empire under Heraclius and the Muslim conquests in the mid-7th century, or an earlier point. In the West the end was earlier, with the start of the Early Medieval period typically placed in the 6th century, or earlier on the Western edges of the empire.・・・
http://en.wikipedia.org/wiki/Late_antiquity
というカンジなので、「ローマ末期」の始まりについても、何世紀頃から、と特定しないままの方がいいと思います。
 私自身は、下掲のパクス・ロマーナ(「アウグストゥスが帝政(プリンキパトゥス)を確立したキリスト紀元前27年から、五賢帝時代の終わりであるキリスト紀元180年まで」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%8A
http://ancienthistory.about.com/od/romeempire/g/paxromana.htm )の時期に、ローマ版図が最大になり、奴隷獲得源たる新たな征服地が消滅したことを受けたところの、下掲の212年の非ローマ市民への市民権一斉付与)
 In 212 AD, by means of the edict known as the Constitutio Antoniniana, the emperor Caracalla extended citizenship to all freeborn inhabitants of the empire.・・・
http://en.wikipedia.org/wiki/Roman_Empire
を踏まえ、それ以降の時代を念頭に置いています。(太田)
・「カトリシズム」が「ローマ中期」にも存在したように理解できますが、間違いないでしょうか。↓
「380年にローマ皇帝テオドシウス1世によって出された『クンクトス・ポプロス』(Cunctos populos)はペテロがローマ人に伝えた信仰がカトリック性を有する信仰であると定義(結果的にペトロが創設したとされるローマ教会がその教えの継承者となる(使徒2:14-42))。続いて、381年のコンスタンティノポリス公会議におけるニカイア・コンスタンティノポリス信条において、ローマを頂点とする教会が聖的・使徒的・普遍的(すなわち「カトリック」)であることが確認されたのである。以後、ローマ教会は自己を「唯一の真なる教会」と位置づけて自らを「カトリック教会」と名乗るようになった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%BA%E
3%83%A0
⇒皆さんに提示した私の原案ではそうなっていません。
 Chaseさんのスライド案を私がチェックした際、見落としてました。
 380年説は遅すぎると思いますが、いずれにせよ、「ローマ中期」からでなく、「ローマ末期」からでなきゃいけません。
 Chaseさん、訂正をお願いします。
 ところで、私の原案では、「ローマ中期」を「ラティフンディア(期)」、「ローマ末期」を「コロナートゥス(期)」としていたのをご記憶かと思います。
 これは、日本語ウィキペディアに基いたもの・・それが私の大学受験当時の世界史の知識のままでしたね・・だったのですが、「ラ・・・」も「コ・・・」も英語ウィキペディアに全く登場しないことを「発見」し、慌てて、それぞれを、「ローマ中期」、「ローマ末期」に置き換えた、という経緯があります。
 で、今回、再度、関係英語ウィキペディアを読み返したところ、下掲のような記述に照らし、私の原案、つまりは、スライド案中の「ローマ中期」と「ローマ末期」の「階級」的説明が不正確であることに気付きました。
At the time of Augustus, as many as 35 percent of the people in Italy were slaves・・・
The legal status of free persons might be further defined by their citizenship. In the early Empire, only a relatively limited number of men held full rights of Roman citizenship that allowed them to vote, run for office, and enter state priesthoods. Most citizens held limited rights (such as the ius Latinum, “Latin right”), but were entitled to legal protections and privileges not enjoyed by those who lacked citizenship. Free people not considered citizens, but living within the Roman world, held status as peregrini, non-Romans.[77]
http://en.wikipedia.org/wiki/Roman_Empire 前掲
When a slave was manumitted, the former owner became his patron.
http://en.wikipedia.org/wiki/Patronage_in_ancient_Rome
Feudalism in Europe emerged in the Early Middle Ages, based on Roman clientship and the Germanic social hierarchy of lords and retainers.
http://en.wikipedia.org/wiki/Feudalism_in_the_Holy_Roman_Empire
 で、Chaseさん、恐縮ですが、以下のような訂正も、合わせてお願いします。
 ローマ中期:ローマ市民 奴隷 ⇒ ローマ市民 非市民 奴隷
 ローマ末期:ローマ市民(貴族 半奴隷) ⇒ ローマ市民(パトロン クライアント)
 ついでに、封建時代のところですが、「ローマ人」⇒「旧ローマ人」に訂正してください。(太田)
 コラム「欧州文明の成立(続)」シリーズ(コラム#7025~(未公開))、正直ついていけていません。
 世界史に疎い私のような者がどう理解、もとい理解した気になればよいか、要点・核心部分はなにか、みたいなことをつらつら考えています。
 で、要は権威を巡る話に思えてきました。
・教会(カトリック)が権威を持っていたのがプロト欧州文明
・教会の権威に対抗・否定する潮流ができた
→カトリック教会に代わる教会組織を作ったのがイギリス
(それも否定して大西洋を渡った連中が作ったのがアメリカ?)
→新たに、かつてのローマ帝国に求めたのが神聖ローマ帝国およびドイツ第三帝国?
→政治的宗教(ナショナリズムなどのイデオロギー)に代替させたのが欧州文明
(最高存在の祭典)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E9%AB%98%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%81%AE%E
7%A5%AD%E5%85%B8
→聖書を権威としたのが(アメリカの)キリスト教原理主義
 「学問に王道なし」かな・・orz
<太田>
 ネを上げることなく、もう少し、現在進行形の「欧州文明の成立(続)」シリーズ(未公開)を読み続けていただければ、と思います。
 それでは、その他の記事の紹介です。
 どこが「無責任」なのさ?
 日本軍人達の大部分は、一貫して横井小楠コンセンサスに基づき、対赤露抑止のためにその生涯を捧げたんだよ。
 これ以上、責任感溢れる人々が、当時の日本人の中にどれだけいたってーの?↓
 「・・・日中戦争下、いわゆる侵略軍の日本軍が、敗戦後に「その技術と体験」を国民党の総帥である蒋介石に密(ひそ)かに求められる。むろん共産党との内戦に勝利するためだが、そこで支那派遣軍総司令官だった岡村寧次(やすじ)と蒋介石との間にどのような密約、駆け引きがあったかを本書は丁寧に明かしていく。とくに戦犯裁判で岡村を無罪とするそのプロセスや、当の岡村がのちに無罪の理由を中国側がつけた弁護士の優秀さに結びつける「とぼけぶり」などは、この間の事情に興味を持つ者には鋭い指摘だ。
 岡村を指導者として日本軍の中堅、高級将校が国民党を支援するために密かに内戦下の重慶に送られる。敗戦によって解体された日本軍の生き残りの「最後の部隊(ラスト・バタリオン)」として、白団(バイダン)と名のったこれら将校たちはどのような役割を果たしたのか、著者は多くの資料や証言を読者に提示する。蒋介石の日本軍への感情を、彼の「日記」を引用しつつ分析する。白団を政治的に使いこなそうとするその思惑を歴史に刻みこむ。
 白団にかかわった旧日本軍将校は、蒋介石の台湾への撤退に同行する形になり、台湾内に模範的な師団をつくるための教官役も果たす。個々の白団の日本人将校の日記、証言に日中戦争の影を感じ、驚く。同時に、戦後社会にあってGHQ(連合国軍総司令部)にとりいった情報工作の服部機関が、白団に巧妙に近づいていたことなど、知られざる事実も伝えられる。
 著者の筆は多岐にわたるのだが、こうした日本軍人の無責任さという側面も掘りさげるべきだとの感がする。」
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014062900005.html?iref=comtop_list_cul_b01
 米国に過剰適応した超人間主義者の日系のホンダ・シャン、もっと頑張って日本人を怒らせ、その米国観を改めさせてくれー。↓
 「河野談話検証「容認できない」 マイク・ホンダ氏ら米下院議員18人が非難の書簡、駐米大使に・・・」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140701/amr14070110140002-n1.htm
 その日本人だが、集団的自衛権解禁賛成が過半数以上を占めるようにならない限り、目覚めはまだまだ遠いな。↓
 「広がる「河野談話見直し」賛成、リベラル・左派支持層にも 「国会招致」も・・・」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140701/stt14070108580003-n1.htm