太田述正コラム#0249(2004.2.4)
<吉田ドクトリンの起源(その1)>

1 吉田茂の怒り

(1)米国の誤った東アジア政策

先の大戦は「第一次世界大戦の結果世界に覇権国が存在しなくなった・・<すなわち、>英帝国は疲弊し、米国は覇権国たる自覚が欠如していた・・という状況下で東アジアにおいて、ソ連、蒋介石政権、中国共産党らの民主主義的独裁勢力への防波堤となり、地域の平和と安定を維持に努めるという、覇権国機能をやむなく果たしていた日本への、・・有色人種差別意識に根ざす・・日本蔑視<に加えて、>・・「12歳」並みの判断能力しかなかった・・米国の無知・無理解に基づく敵意<が日本を含む東アジアにもたらした悲劇です。>
<皮肉なことに、>日本の敗戦後<米国は>、ファシストたる蒋介石政権をようやく見限ったものの、支那と北朝鮮、更にはインドシナにおける共産主義政権の樹立に伴い、ソ連の脅威に加えてこれら諸国の脅威に東アジアで直面した米国は、「戦前」の日本と全く同じく東アジアの覇権を、しかし「戦前」の日本よりもはるかに不利な戦略環境の下で追求することを余儀なくされた・・。
<そして、>さすがに頭の固いマッカーサーも、朝鮮戦争で北朝鮮及び中国と戦う羽目となり、東アジアの平和と安定を担っていた小覇権国日本と手を組むどころか、民主主義的独裁勢力に手を貸して日本を叩き潰した米国の非に気づいた<のであろう、>・・マッカーサー<は、>・・「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」<と1951年5月に米議会で証言した>」(コラム#221)。
米国が犯したこの深刻な過ちは、米国にとって、第一の原罪である黒人差別(コラム#225)と並ぶ第二の原罪と言ってもいい・・マクナマラ(コラム#213)ら以外の米国人は、一体いつになったらこの第二の原罪を直視するの・・か」(コラム#234)、
と以前書いたことがあります。
 
 これが吉田茂の抱いた米国に対する怒りの第一の原因であると思われます。

(2)米国による日米協定破り

 1905年、日本の桂太郎首相とタフト米陸軍長官の間で、桂・タフト協定が締結され、日本は米国の植民地フィリピンへの不干渉、米国は日本が朝鮮を保護国とすることを認めました(http://www.c20.jp/1905/07taftk.html。2月3日アクセス)。その三年後の1908年には高平大使とルート米国務長官の間で、高平・ルート協定が締結され、日米両国は、アジア・太平洋における相互の領土尊重、中国の門戸開放と領土保全、中国のおける現状維持を約束しました(中国における現状維持という言葉は、満州における日本の経済特殊権益を暗黙のうちに認めるものと理解された)(http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/usa/file37.htm。2月3日アクセス)。
 ところが、先の大戦が始まるや、1943年のカイロ宣言において、米国はこれら協定に違背して、英国、中華民国とともに、「滿洲、臺灣及澎湖島ノ如キ日本國カ清國人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民國ニ返還スルコトニ在リ 日本國ハ又暴力及貪慾ニ依リ日本國ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ驅逐セラルヘシ 前記三大國ハ朝鮮ノ人民ノ奴隸状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且獨立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス」(http://list.room.ne.jp/~lawtext/1943Cairo.html。3月2日アクセス)と、「盗取」、「略取」という言葉を使って、日本の植民地及び中国における権益保有の正当性を否定したのです。
 このカイロ宣言は、ポツダム宣言で援用され(コラム#247)、日本がポツダム宣言を受諾して降伏することによって、日本は植民地及び中国における権益を失いました。
 それだけではありません。戦後米国は、これらの地域における全日本居留民を日本に追放するとともにその全私有財産を没収するという国際法違反を行いました。日本の植民地及び中国における権益の保有を違法視したカイロ宣言・・この宣言自体が国際協定、すなわち国際法違反・・を実行に移したわけです。
 (以上、片岡鐵也スタンフォード大学教授の講演要旨(http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k4/140803.htm(2月2日アクセス))、及びキム・ワンソプ「親日派のための弁明」草思社2002年 235??239頁、を参考にした。)

 これが吉田茂の抱いた米国に対する怒りの第二の原因であると思われます。

(続く)