太田述正コラム#0250(2004.2.5)
<吉田ドクトリンの起源(その2)>

 (前回のコラム#249の冒頭の段落がおかしな文章になっていたのを直して、ホームページのコラム欄に再掲載してあります。)

 (3)日本国憲法、就中第9条の押しつけ

日本が受諾したポツダム宣言第の13項には
、「吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ニ対ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス・・」とあり、日本軍が無条件降伏しただけであったのに、連合国(=United Nations=国際連合、しかもそれが実質的には米国、であることにご注意)は、1945年8月に日本を占領するや、ポツダム宣言13項は、日本に無条件降伏を要求したものと一方的に読み替え、ポツダム宣言の履行監視の域を超え、早くも10月に憲法改正を「示唆」し、翌年の2月には、自ら作成した新憲法草案を日本政府に押し付けました。
これは日本の降伏条件違反であるのみならず、戦時国際法にも違反する二重の国際法違反です。
すなわち、陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(ハーグ陸戦法規)の第43条には、「国ノ権力カ事実上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ、絶対的ノ支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ、成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ回復確保スル為施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ尽スヘシ」(注)と規定されているところ、第一に、日本が無条件降伏していないことから、ハーグ陸戦法規のこの占領規定が適用され、そうである以上は、第二に、大日本帝国憲法が「占領」に「絶対的・・支障」がない(連合軍は、大日本帝国憲法の規定のどこが占領に支障があるのか、具体的に明らかにしていない)ことから、連合軍が新憲法を押し付けることは許されないのです。
 (以上、http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/constitution.html(2月4日アクセス)を参考にした。)

 (注) フランス憲法には、「領土保全が侵害されている場合には、いかなる憲法改正手続きも開始または継続されてはならない」(89条4項)という規定がある。これは無条件降伏の場合の抜け穴をあらかじめ閉ざしたもの、とも解しうる(http://www.senyu-ren.jp/MAGO/32.HTM。2月4日アクセス)。

それだけではありません。
連合国が押し付けた新憲法草案には、後に第9条となる、日本の再軍備禁止条項が含まれていました。これは、占領終了後の日本を、連合国、実質的には米国、の保護国の地位に貶めようとするものでした。

 吉田は当時、外務大臣でしたが、天皇制と昭和天皇を守るため、緊急避難的に連合国の不当な新憲法制定要求を受け入れます。

 これが吉田茂の抱いた米国に対する怒りの第三の原因であると思われます。

 (4)日本への朝鮮戦争参戦要求

 その連合国があろうことか、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、180度手のひらを返し、いまだ占領下にあった日本に対し、連合国軍(朝鮮国連軍)の補助部隊としての朝鮮半島出兵を含みにした再軍備を要求してきたのです。

 これが吉田茂の抱いた米国に対する怒りの第四の原因であると思われます。
 吉田はここで完全にキレたのです。彼は恐らく、誰が朝鮮戦争の原因をつくったのか、誰が日本人を朝鮮半島から無一文で追放したのか、誰が日本に再軍備を禁じたのか、その日本によくもまあ、そんな要求ができるものだ、という気持ちだったろうと推察されます。

2 吉田茂の対応

 吉田茂の対応は、断固たる再軍備拒否でした。
 私でも、当時の一市民であれば、吉田の対応に喝采を送ったかもしれません。
 しかし、吉田は日本の総理大臣でした。
 冷静にこれを絶好の機会ととらえ、朝鮮戦争に参戦はしなくてよいとの言質をとりつけた上で、彼は憲法9条改正の指示を日本占領中の連合国に出させ、ただちに再軍備に乗り出さなければならなかったのです。
 当時連合国、すなわち米国は、あわてふためいており、日本の再軍備を熱望していたのですから、吉田の要求を全部飲んだ上、再軍備のための初期経費を喜んで負担してくれたはずです。
 その後の吉田の対応も、著しく適切さを欠くものでした。(吉田の「過ち」の全体像については、拙著「防衛庁再生宣言」219??223頁参照。)
 そして、この怒りによって我を忘れた吉田の対応は、様々なイデオローグ達や吉田の弟子たる政治家達によって、いつしか吉田ドクトリンなる日本の国家戦略へと祭り上げられていくのです。(拙著223頁以下を参照。)

3 感想

 占領下に始まる戦後教育によって、日本人の間からは、「戦前」から占領期にかけて、米国が東アジア、就中日本に対して犯した深刻な犯罪・・原罪・・の記憶が拭いさられてしまっていますが、日本人の潜在意識の中には米国に対するはげしい憤りが残っています。
 私は、忠臣蔵が戦後日本で人気を保ち続けてきた背景に、充たされることのない米国に対する復讐心があることを示唆した随筆を1991年に書いたことがあります(コラム#29)。
 米国人にもこれに気がついている人はいます。
例えば、日本通の文芸評論家である米国人のエドワード・サイデンステッカー氏は、原因不明の激しい反米感情が日本人の心中にわだかまっていることを察知しています(「好きな日本好きになれない日本 」(廣済堂出版1998年)。
片岡教授は「米国<の>知識人たちも、日本人が道義的な責任を太平洋戦争に感じていないことを知っている。このため、いつか日本人が米国に復讐するという心配<を>していた。」(片岡前掲)とまで指摘されています。しかし、そこまでの認識を持っている米国の知識人は、マクナマラ元米国防長官(コラム#213)やアーミテージ米国務副長官(?)(コラム#21、225)らのごく少数の例外を除いて、殆どいないのではないでしょうか。
 日本人は、自衛隊がイラクに派遣されることになった今こそ、米国との間で、米国に対する過去の怨念を白日のもとに晒し、これを相手にぶつける形で真っ向から歴史論争を行うべきなのです。
 米国の知識人の大部分は日本の言い分に耳を傾けた上で、心から謝罪してくれるであろうことを、私は信じています。
 そうなって、初めて日本は吉田ドクトリンを完全に克服することができ、真に友好的な日米関係構築に向けての条件が整う、と思います。

(完)

<読者>
箕輪元議員の件
 佐々木敏氏がアカシックレコードで述べていたペルソナで、自分が中枢のときは表向きは逆を演じているしかなかったのかもしれないし、あるいはやめてから自分自身の意見を自由に言えるようになったから反対に転じたのではないでしょうか。
 尾崎行雄も明治のころは軍拡論者でしたが、8・8艦隊の件を容認してしまい第一次世界大戦の悲惨な戦場を見てから平和論者に変わったそうですから。
 いずれにせよ、箕輪元議員の起こした訴訟の態度は懺悔にせよ、やるべきことをやっていると思うので私は賛成です。
 論を立てるだけで行動しない人のほうがダメですよ。

吉田の記事について
 簡単に言ってしまえば、いくら貴殿が論理だててアメリカの矛盾を明らかにしても「負けたのが悪い」で一蹴じゃないでしょうか。負けたからこうなっただけです。
 戦争は勝つか負けるかだけで、負けたら国際法規も理屈も関係なく蹂躙される。
 井上成美のように論理だって開戦反対をしていた人が当時の政府にもいたのですから、それを無視したアホが断罪されるべきなのに勲章もらってでかい面している。
 だからこそ戦争をしなくてよい世の中をつくるべく我々が行動することが、死んだ人への弔いだと思うのですがいかがでしょうか。

 日本国憲法押し付け論はイラクにもあてはまるでしょう。その連合国に今度は日本が一味となって出て行くアホさをどう思われますか。
 
 私は押し付けられたというのは間違いだと思います。戦争にボロ負けしたからこうなっただけです。
 皮肉にも日本国憲法の中にある精神は今後の世界平和実現の走りとなる優れたもので、当のアメリカが自分自身でやれなかったことでしょうね。アメリカは世界連邦も作ったんですよ。そのくせ自分が他の国にやらせてから逃げ出す。宇宙ステーションだってそうでしょう?面白いですね。あの行動心理?
 あと何十年かすれば日本国憲法は逆に世界の誇りになるでしょう。
 今やっている改憲の動きは、理想から後退するだけです。

 むしろ、アメリカに押し付けられたんだからそのとおりやっていて悪いのか?と反逆して非武装徹底したらどうですか。それこそがアメリカへの嘲笑であり、いい抵抗だと思います。

 貴殿も世界連邦運動やったほうがいいと思います。

<太田>
>箕輪元議員の起こした訴訟の態度は懺悔にせよ、やるべきことをやっていると思うので私は賛成です。

議員の時の言動との不一致については、議員だった人だからこそ、国民に対して説明責任があると私は思います。違いますか?

>論を立てるだけで行動しない人のほうがダメですよ。

私が誉めていただいているような気になります。どうも。

>いくら貴殿が論理だててアメリカの矛盾を明らかにしても「負けたのが悪い」で一蹴じゃないでしょうか。負けたからこうなっただけです。 戦争は勝つか負けるかだけで、負けたら国際法規も理屈も関係なく蹂躙される。

そうはいきません。弱肉強食のジャングルの世界を望む者は、世界の中で圧倒的少数派でしょう。
しかも、日本が国際法論議をきちんとしないと、(コラムを書いている途中ですが、)台湾や、中共にまで多大のご迷惑をかけることになりますよ。
 
>戦争をしなくてよい世の中をつくるべく我々が行動することが、死んだ人への弔いだと思うのですがいかがでしょうか。

世界政府ができるまでは、国際秩序と国際理念を維持するための戦争は行わなければなりません。先の大戦での犠牲者のためにも・・。

>日本国憲法押し付け論はイラクにもあてはまるでしょう。その連合国に今度は日本が一味となって出て行くアホさをどう思われますか。

米国は、やはり連合国(国連)はダメだと見切りをつけ、自分でイラク戦争を始めたのです。連合国に痛めつけられた日本が協力するのは、ある意味で当然でしょ。
 
>日本国憲法の中にある精神は今後の世界平和実現の走りとなる優れたもので、・・あと何十年かすれば日本国憲法は逆に世界の誇りになるでしょう。今やっている改憲の動きは、理想から後退するだけです。

いよ!非武装中立論ですな。私も昔をなつかしむ年頃になってきました。

>むしろ、アメリカに押し付けられたんだからそのとおりやっていて悪いのか?と反逆して非武装徹底したらどうですか。それこそがアメリカへの嘲笑であり、いい抵抗だと思います。

戦後日本は吉田ドクトリンで、まさにそれをやってきたのですよ。自衛隊の「戦力」はつい最近まで無限にゼロに近かったと言ってもいいでしょう。
しかし、若気のいたりの反抗期も、いいかげんに卒業しないと、単なるアホです。

<読者>(2004.6.9)
わたしにとっては、永井陽之助東工大教授(まだご在職かな?)こそが純粋な「吉田ドクトリンのイデオローグ」だと思います。というか、吉田ドクトリン原理主義者ですね。永井氏は名著(迷著?)『現代と戦略』で、岡崎久彦氏を「軍事リアリスト」と分類し、「政治的リアリスト(吉田ドクトリン信奉者)」とは立場が違うという分類でした。
永井氏は同書で、先日亡くなられたレーガン大統領の対ソ戦略を批判し、CIAチームB(今のネオコン)によるソ連軍事力の過大評価と大軍拡、なかんずくパーシングIIの欧州配備に反対しました。しかし、今となって見れば、SDIなどのブラフを含めて、レーガンの軍拡チキンレース路線がソ連の息の根を止め、人類史に偉大な業績を残してしまったので、明晰な文章とは裏腹に迷著になってしまいました。国際情勢という生き物の怖さを感じますが、永井氏には見込み違いはそれとして、それ以外の評論は読ませるものが多かったので、もっと活発な言論活動をして欲しかったと思います。
同著の「吉田ドクトリンは永遠なり」の章は、当時でも全然説得力がなかったですが。^^;

ところでなぜこのような投稿を思いついたかといいますと、太田氏の『防衛庁再生宣言』の最後の章で、いろんな方を批判されてますが、アバウトに見れば、日米英同盟論者の岡崎久彦氏や「自由主義史観」の人々と主張がかなり近いのに、容赦なく辛らつ評論するのに少し違和感を感じたからです。同書は「政治」的評論というよりは、日本では珍しいリベラル右派の「思想」書という感じですね。だから、より近しい主張の人との違いもあえて強調するのかなと思いましたが。

日本のリベラルは、ソ連や中国や北朝鮮に媚を売る「仮面を被った」リベラルだったので、本格的な骨太のリベラルの登場が期待されます。
小泉政権→安倍政権→日本版ブレア政権(日本版ケネディ政権)→保守→リベラル→保守→リベラル→・・・
となって欲しいところですね。

<太田>
 なぜ永井陽之助氏に触れなかったかですが、ご指摘の永井氏の「晩年」のダッチロール的著作より、「壮年期」の著作の方が本来の氏の姿だと思っているからです。
 もう一つ、私が氏を「評価」しているのは、ダッチロール的著作を1980年代に発表されて以降、良心に照らして筆を断って来られたようにお見受けしたからです。
 要するに、(人心を最も惑わす)リアリストを装った吉田ドクトリンのイデオローグ達に比べて、永井氏の「罪」は軽い、と考えたわけです。
 とはいえ、1990年代に入ってから、私は、たまたま目にしたものを除き、日本の国際政治学者や国際情勢分析家の書くものは、読んでも時間の無駄のような気がして殆どフォローしておりませんので、永井氏の1990年代以降についてよくご承知の方があれば、私の上記認識が正しいか否か、ご教示ください。
 いずれにせよ、私が吉田ドクトリンのイデオローグ達を厳しく批判するのは、彼らが戦後自民党権力のイデオローグ達であり、非武装中立論等のイデオローグ達とは違って、権力の一翼を担ってきたゆえにはるかに責任が重いからです。

<読者>
>  なぜ永井陽之助氏に触れなかったかですが、ご指摘の永井氏の「晩年」のダッチロール的著作より、「壮年期」の著作の方が本来の氏の姿だと思っているからです。

共産主義の本質やベトナム戦争に関する論稿は、秀逸だったと思います。北ベトナムの勝利を相対化できない人たちは、今でもベトナム戦争モデル(ゲリラ戦術無敵論?)だけでイラク戦争を語ってますね。また、共産主義の悲劇の根本は、レーニンの『戦争論』(「戦争は他の手段をもってする政治の継続にほかならない。」)の誤読・曲解にあって、「国内政治の戦争化」にあるという解説も新鮮でした。でも、これは、レイモン・アロンのパクりらしいですが。^^;

>  もう一つ、私が氏を「評価」しているのは、ダッチロール的著作を1980年代に発表されて以降、良心に照らして筆を断って来られたようにお見受けしたからです。
>  要するに、(人心を最も惑わす)リアリストを装った吉田ドクトリンのイデオローグ達に比べて、永井氏の「罪」は軽い、と考えたわけです。

仮に、「切腹」「閉門蟄居」であるならば、士として大いに評価したいですね。ま、急に退場されましたし、写真や文章からすると相当な女好きとお見受けしたので、もしかしてKGBにやられちゃったのかななどと不謹慎な想像もしましたが。^^;;;

水平エスカレーション戦略も批判されてましたが、当時の英国も疑念をもっていたらしいので、
http://noyatetuwo.hp.infoseek.co.jp/politics/koreanair0073.html
レーガン批判はある程度酌量の余地はありそうです。

>  とはいえ、1990年代に入ってから、私は、たまたま目にしたものを除き、日本の国際政治学者や国際情勢分析家の書くものは、読んでも時間の無駄のような気がして殆どフォローしておりませんので、永井氏の1990年代以降についてよくご承知の方があれば、私の上記認識が正しいか否か、ご教示ください。

わたしも、永井氏のことは知りたいですね。『時間と政治学』を読み返してますが、その学際的な奥行きの深い議論は今でも色あせてないです。ぜひ、復活して欲しいところです。中央公論はつぶれちゃいましたが・・・

>  いずれにせよ、私が吉田ドクトリンのイデオローグ達を厳しく批判するのは、彼らが戦後自民党権力のイデオローグ達であり、非武装中立論等のイデオローグ達とは違って、権力の一翼を担ってきたゆえにはるかに責任が重いからです。

「自衛隊イラク派遣」という国事に対しては現段階では貴重な戦力なので、なんとも言えないです。岡崎氏の舌足らずなTV出演はマイナスですが。(笑)つきつめると「省あって国なし」の既得権益者たちという印象は確かにありますが、わたしはの外国に媚を売るもっと変な人たちや、イラクから自衛隊を撤退させたらどうなるかを想像できない、想像する気もない人たちより、やっぱりマシに思えます。

民主、6月末までの自衛隊イラク撤退を公約に
http://www2.asahi.com/special/jieitai/TKY200406080363.html

前原氏も日本版ブレア候補の一人だったので極めて残念です。次の選挙の選択肢が、自民党しかなくなってしまいました。