太田述正コラム#0263(2004.2.18)
<危機の韓国(その2)>

(前回お送りしたコラムは#261ではなく、#262の誤りでした。訂正させていただきます。また、コラム#260で記した終戦時の占領区分の誤りを訂正してあります。)

2 最近の韓国の知識人の考え方

 (1)反体制派の勝利
 最近の韓国の知識人にはかつて反体制派であった人が多く、彼らの考え方については、既に(コラム#262で)ご説明したところのかつての韓国の(体制派)知識人の考え方を基本的に踏襲しつつも、マルクス・レーニン主義の強い影響を受けていることもあって、そのナショナリズムの範囲は朝鮮半島全体に拡大しており、北朝鮮を同胞視していることが注目されます。
 現在の韓国の一般市民がいかに彼らの影響を受けているかを示すのが、以前のコラム(#231)でご紹介した、「韓国に脅威を与える国として北朝鮮をあげる者が33%であったのに対し、米国をあげる者は39%とそれを上回り・・20歳台の回答者にしぼると、数字は実にそれぞれ20%と58%にのぼる」という衝撃的な最近の世論調査結果です。
 この世論調査結果を引用して警鐘を鳴らした朝鮮日報の論説は、その背景として、韓国のかつての専制的体制への挑戦と弾圧を経験したがゆえの知識人達の歪んだ歴史観をあげ、このような知識人が、いまや政権を支える側となった以上、反米・親北朝鮮的世論は今後とも続くだろう、と断言しています。
(以上、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200401/200401120029.html(1月13日アクセス)による。)
 
 (2)反米
 ア 反米感情の淵源
 先の大戦終了後、韓国は米国に経済的にも軍事的にも庇護されてきたわけですが、にもかかわらず、米国の掲げる自由・民主主義の理念が韓国のかつての知識人の間に浸透していたようには見えません。
このことを私は既に(コラム#262で)示唆したところですが、恐らく、韓国の知識人の間で一貫して根強かった反米感情が、米国の理念の受容の心理的障害になったものと思われます。
 反米感情の淵源は、次の三つであろうと思います。
 一つは、前(コラム#249)に触れたことがある、1905年の桂・タフト協定や1908年の高平・ルート協定で米国が日本の朝鮮半島支配を認めたことです。反日感情が高まれば(後述)、その矛先がかつての米国の東アジア政策にも向かうのは必然です。
 もう一つは、(いささかお門違いではありますが、)既にソ連軍が朝鮮半島北端に侵攻していた1945年8月14日に、あわてて米国がソ連に38度線での米ソの朝鮮半島分割占領を提案(翌15日にソ連受諾)(http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/kougi/gendai_note/BundSenr.htm。2月17日アクセス)し、これがが南北の分断をもたらし、かつこの分断が1950年に勃発した悲惨な朝鮮戦争の遠因となったことです。
 最後の一つは、占領軍がそのまま残った形で米軍という外国の軍隊が韓国に、しかも首都ソウル地区及び周辺に集中して駐留してきたことにともなう軋轢です。
(これは、日本の特に沖縄における基地問題と構図的には似ているのですが、沖縄では米軍に対し、日本の国内ルールの遵守を求めて軋轢が生じるところ、韓国では米軍に対し、韓国の国内ルールよりも厳しい「ルール」の遵守を求めて軋轢が生じる、という決定的な違いがあります。)
この軋轢が臨界点に達した感があったのが、韓国政府の対北朝鮮政策の転換(後述)を背景に、2002年6月に起こった、勤務中の米軍車両による女子学生二名轢死事件をめぐる大騒動です。
 (以上、ソウルで大学教授をしている米国人のデービッド・スコフィールドの論考1(http://www.atimes.com/atimes/Korea/FA28Dg02.html(1月28日アクセス)による。)

  イ 反米感情噴出へ
 このところの反米感情噴出の直接のきっかけを与えたのは次の二つだと考えられます。

第一が、金大中政権(1998??2003年)が追求した対北朝鮮宥和策、いわゆる太陽政策です。
2000年に(膨大な賄賂を贈ったおかげで)金大統領が訪朝して金正日と首脳会談が開かれると、それ以降、韓国政府はそれまでの北朝鮮敵視政策を180度転換し、教科書からは北朝鮮に対して否定的な記述は削除され、政権を取り巻くかつての反体制派知識人達は、一斉に北朝鮮寄りのキャンペーンを始めました。その結果、韓国市民の対北朝鮮観は急速に様変わりし、北朝鮮はもはや脅威とはみなされなくなってしまったのです。
このため、米軍が韓国に駐留している理由はもはやなくなったと大方の市民が考えるようになり、反米感情の噴出を抑止してきた最大の重しがなくなってしまいました。
(以上、スコフィールド前記論考1による。)
そして、1993年に北朝鮮に核疑惑が発生して以来、米国が北朝鮮を軍事攻撃する可能性が取りざたされ始め、攻撃が実施された暁には北朝鮮が韓国に反撃するのは必至であり、そうなれば韓国は大打撃を受ける、従って米国こそ脅威だ、と考える市民がここに至って急速に増えたのです。

第二が、1997年の金融危機に始まる韓国経済の長引く調整過程です。
非常事態なるがゆえに、憤りつつもIMFの韓国の経済「主権」への介入を耐え忍んだ韓国の知識人は、これを韓国経済の抜本的な体質改善を図るチャンスとは考えず、韓国市民がクレジットカードに猫も杓子も入って金を湯水のように使うことで不健全ながら経済の下支えが図られるや否や、弱体化した韓国企業買攻勢をかけてきた収外国資本の排撃運動を開始し、ために経済面でも韓国の元締め的存在である米国への韓国市民の反感を募らせたのです。
(以上、スコフィールドの論考2(http://www.atimes.com/atimes/Korea/FA15Dg03.html(1月15日アクセス)による。)

しかし、このように見てくると、韓国の反米感情の根はもっと深いところにありそうだという気になりませんか。

(続く)