太田述正コラム#7104(2014.8.7)
<英米性革命(その2)>(2014.11.22公開)
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<脚注:ニクソンとオバマ–時代の違いと人格の違いと>
「1971年の春、ニクソン大統領は、ジョン・アーリックマン(John Ehrlichman)<(注14)>とボブ・ハルデマン(Bob Haldeman)<(注15)>の2人とおしゃべりをしていた時のこと、CBSの新しい人気ショー番組である「全ては家族の中にある(All in the Family)」で見たばかりの挿話を持ち出した。
(注14)1925~99年。「ニクソン大統領の下で大統領法律顧問や内政担当補佐官を歴任し、ウォーターゲート事件中の重要人物」UCLA卒、スタンフォード・ロースクール卒。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%B3
(注15)1926~93年。「広告企業の重役からニクソン大統領の首席補佐官に転身<し>・・・たが、・・・ジョン・アーリックマンは友人であり・・・ウォーターゲート事件の・・・共犯者だった。」UCLA卒。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%9E%E3%83%B3
彼は、アーチー・バンカー(Archie Bunker)<(注16)>の古くからの友人で元NDLのラインバッカーが同性愛者であることを知って、アーチーと同じくらい心が痛んだ。
(注16)「私たちはニクソンの時代、『オール・イン・ザ・ファミリー』というテレビドラマで、アーチー・バンカーを笑った。アーチーと上昇志向の娘グロリアと婿のマイケルのあいだにある、ずれを描いたドラマだ」
http://books.google.co.jp/books?id=KW2-AQAAQBAJ&pg=PT122&lpg=PT122&dq=%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC&source=bl&ots=DRFFR-RVDl&sig=7miYs_3DJjXBQYT6TbpNOK4w6-w&hl=ja&sa=X&ei=DlXjU8WdHNiD8gXD9oHQCw&ved=0CHsQ6AEwDw#v=onepage&q=%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC&f=false
http://en.wikipedia.org/wiki/Archie_Bunker (←生年や生い立ちが載っていないが比較的長文、という珍しい英語ウィキ。)
「私は糞くらえと思って電源を切った。それ以上聴いてられなかったんだ。」とニクソン大統領はいきまいた。
「こん畜生め、私は、同性愛を公共テレビで賛美すべきじゃないと思うんだ。…それが、11歳や12歳の少年達にどんな影響を与えると思ってんだ。…ギリシャ人達に何が起こったか知ってるか? 同性愛は、連中を破滅させたのだ。確かにアリストテレスはホモだったし、そのことを我々全員が知っているし、ソクラテスもそうだったが・・。」
「だけど、奴は、テレビのような影響力は持っていなかった」とアーリックマンは相槌を打った。・・・
「かつて、リチャード・ニクソン大統領は、「全ては家族の中にある」への同性愛の登場人物の出現を厳しく非難したわけだが、それに対し、バラク・オバマ大統領は西ハリウッドのある<オバマ大統領>再選資金調達者の所で、テレビスターのジェシー・タイラー・ファーガソン(Jesse Tyler Ferguson)<(注17)>を堂々と抱きしめ(embraced ‘out’)、近代的家族における同性愛の父親の彼による演技を褒めた」とホフラー氏は皮肉めかして結論付ける。
「<家内の>ミシェルと私の娘達はあのショーが大好きなんだよ」と米国の大統領は褒めちぎったのだ、と。」(G)
(注17)1975年~。米国の「男性」俳優。高卒。2012年に婚約を発表し、2013年に弁護士の「男性」と結婚。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jesse_Tyler_Ferguson
⇒ニクソンが大統領を辞任し、副大統領のフォードが大統領に昇格したのは1974年8月9日だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3
私は既に7月にはスタンフォード大学にやってきていたわけだが、All in the Familyという有名TVドラマ(1971~83年)
http://en.wikipedia.org/wiki/Archie_Bunker 前掲
のことはもとより、ニクソン辞任という大事件さえ、全く記憶していない。
にわかに信じていただけないかもしれないが、留学前に役所から日米英会話学校に行かせてもらったおかげで、片言の英語はしゃべれるようになっていたものの、当時、まだ、TVのニュースさえ、碌に聞き取りができない状態だった。
(授業の英語が聞き取れるようになったのは、秋学期が始まってしばらく経ってからだった。ある日突然、完全に聞き取れるようになり、自分でも驚いた。)
読解力はあったのだけれど、日本で10数年英語を使う機会がなかっために、これだけ英語力が錆びついてしまっていたわけだ。
しかも、どうせ、秋からビジネススクールの授業が始まって英語漬けになるからと、夏学期にはフランス語の集中講座を受講する等、結構忙しい毎日を送っていた。
それにしても、である。
私の英語力についてだが、結局、1976年に日本に帰国する直前になっても、TVドラマの会話のやりとりは、スラングが多発されることもあり、殆んど理解できないままだった。(太田)
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(続く)
英米性革命(その2)
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