太田述正コラム#7162(2014.9.5)
<インド文明の起源(その1)>(2014.12.21公開)
1 始めに
 市民セミナーで、順次、世界の諸文明の話をしてきており、次回にはロシア亜文明と支那文明を取り上げるので、(東南アジアの諸「文明」を除けば、)残された目ぼしい文明は、インド、中東イスラム、ラテンアメリカ、(サハラ以南の)アフリカくらいです。
 しかし、最終回には、中東イスラム世界、及び、人間主義に焦点をあてた締めくくり、について話す予定にしており、それら以外のものを話す時間がないのと、そもそも、インド、ラテンアメリカ、アフリカの各文明については、その影響力が、良かれ悪しかれ、見通しうる将来にかけて大きくない、というリクツで取り上げないつもりだったのです。
 しかし、今般、インドのモディ首相の日本訪問と彼の安倍首相とのケミストリーを目の当たりにし、日本の全面的支援もあって、インドが、再び高度経済成長軌道に乗る可能性も否定できない、かつまた、近々、中共を抜いて世界最大の人口国になるのが確実である、等から、予定を変更して、インド文明を取り上げることにしました。
 とまあ、以上はタテマエ論であり、インド文明を取り上げるのを躊躇していたのは、実は、同文明の起源がはっきりしなかったから、という理由が大きかったのです。
 日本、アングロサクソン、欧州、米、ロシア、支那の各文明・・但し、米については「文明」ですし、ロシアについては「亜文明」ですがね・・については、(そしてラテンアメリカ「文明」とアフリカ文明についても、)起源は、そのものズバリを扱ったコラムこそなかった場合といえども、概ね見えていたのだけれど、インド文明については見えていなかった、ということです。
 ところが、立ち上げたばかりのシリーズで、ハラリが、カースト制の起源について、(私に言わせれば)明らかな謬見を述べていて、結果として、同シリーズ内で批判せざるをえなくなったことが私の背中を押してくれたのです。
 そこで、その裏付けとなるシリーズを書くこととした次第です。
 ここで、誤解がないようにお願いしたいのですが、インド文明そのものは、インド亜大陸の人種的・言語的複雑性にも関わらず、比較的単純であるということです。
 そのことは、インド亜大陸を対象にしたこれまでのコラム群の一部または全部を読まれた方には、既にお分かりのことでしょう。
 一口で言えば、広義のヒンズー教/カースト制に立脚し、それに後半期においてはイスラム教的要素、最近期においては更にアングロサクソン文明的要素、が加味されたところの、狭義のインド亜大陸部分に関してさえついに内生的な統一を果たすことがなかった、苛烈な文明がインド文明であるわけです。
 ところが、肝心のカースト制の起源、つまりはインド文明の起源がはっきりしないのです。
 「インドのカースト制度は、比較的最近の約1900年前にできた」(コラム#6402)にもかかわらず・・。
2 インド文明の起源
 では、若干、無理をしながら、インド文明の起源を探っていきましょう。
 インド文明史の初期に係る通説は、概ね、次のような感じです。
 「バラモン教< (Brahmanism)は>・・・古代のヴェーダの宗教とほぼ同一の意味で、古代ヒンドゥー教と理解してもよい。バラモン教にインドの各種の民族宗教・民間信仰が加えられて、徐々に様々な人の手によって再構成されたのが現在のヒンドゥー教である。・・・
 バラモンは祭祀を通じて神々と関わる特別な権限を持ち、宇宙の根本原理ブラフマンに近い存在とされ敬われる。
 最高神は一定していない。儀式ごとにその崇拝の対象となる神を最高神の位置に置く。
 <バラモン教は、>階級制度である四姓制を持つ。司祭階級バラモンが最上位で、クシャトリヤ(戦士・王族階級)、ヴァイシャ(庶民階級)、シュードラ(奴隷階級)によりなる。また、これらのカーストに収まらない人々はそれ以下の階級パンチャマ(不可触賤民)とされた。カーストの移動は不可能で、異なるカースト間の結婚はできない。
 『ヴェーダ』を聖典とし、天・地・太陽・風・火などの自然神を崇拝し、司祭階級が行う祭式を中心とする。そこでは人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって、次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる。人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き、無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める。
 紀元前13世紀頃、<渡来>人がインドに侵入し、先住民族であるドラヴィダ人を支配する過程でバラモン教が形作られたとされる。
 紀元前10世紀頃、<渡来>人とドラヴィダ人の混血が始まり、宗教の融合が始まる。
紀元前7世紀から紀元前4世紀にかけて、バラモン教の教えを理論的に深めたウパニシャッド哲学が形成される。
 紀元前5世紀頃に、4大ヴェーダが現在の形で成立して宗教としての形がまとめられ、バラモンの特別性がはっきりと示される。しかしそれに反発して、多くの新しい宗教や思想が生まれることになる。現在も残っている仏教やジャイナ教もこの時期に成立した。・・・
 1世紀前後、地域の民族宗教・民間信仰を取り込んで行く形でシヴァ神やヴィシュヌ神の地位が高まっていく。
 1世紀頃にはバラモン教の勢力は失われていった。
 4世紀になり他のインドの民族宗教などを取り込み再構成され、ヒンドゥー教へと発展・継承された。
 バラモン教は、必ずしもヒンドゥー教と等しいわけではない。たとえばバラモン教に於いては、中心となる神はインドラ・ヴァルナ・アグニなどであったが、ヒンドゥー教においては、バラモン教では脇役的な役割しかしていなかったヴィシュヌやシヴァが重要な神となった。
 ヒンドゥー教でもヴェーダを聖典としているが、叙事詩(ギータ)『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』、プラーナ文献などの神話が重要となっている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%B3%E6%95%99
 遺憾ながら、上掲中には、バラモンないしカースト制の起源が出てこないのですが、現在、インドのヒンドゥー教徒は、概ね、次のように考えているようです。
「リグヴェーダを生み出した(Rigvedic<(注1)>)人々は、インド亜大陸に、戦士達(warriors)としてでなく、司祭的諸家族(priestly families)としてやってきた。
 (注1)Rig-Veda=リグ=<ヴェ>ーダ《紀元前2000年以前のインド最古の聖典;神々への1028編の賛歌を集録》
http://ejje.weblio.jp/content/Rigveda
 彼らは、亜大陸を、若干の歴史家達が我々をそう信じさせたいように剣の力によってではなく、地域の諸王のお墨付きを得た庇護を獲得するために用いたところの、議論(debate)と魔術研究(magical ritualism)における卓越した技量によって、勝ち取ったのだ。・・・
 その彼らは、敵対的諸部族や対抗的諸派と接触するにつれて、<次第に、>一つの集団としての自分達のアイデンティティ・・・人種的純粋性と諸家系・・を維持するためにカースト制に訴えることとなったのだ。・・・
 このことは、・・・<彼らが生み出した>リグ=ヴェーダ全体の中にカースト制への言及がない、という事実から明白だ。」 
http://www.hinduwebsite.com/hinduism/h_caste.asp
 つまり、渡来民は、武力ではなく「知力」によって、亜大陸における最上位階層となったとし、それがカースト制の起源であることを示唆しつつ、どうしてバラモンが、自分達より低い階層との間に壁を設けることになったかについても簡単に説明されているわけですが、その説明を補完するのがロバート・デソウィッツ(ROBERT S. DESOWITZ)(注2)の説です。
 (注2)1926~2008年。米国の感染症・公衆衛生学者。バッファロー大学卒、ロンドン大学博士。英外務省職員、シンガポール大、SEATO勤務を経て、ハワイ大教授、ノースカロライナ大特任教授(adjunct professor)。
http://archives.starbulletin.com/2008/04/03/news/story15.html
 「<渡来>人が経験したことのない感染症を原住民が保有・保菌している事態が出てきた。 原住民はすでにそれらの感染症に免疫を獲得しているが、<渡来>人はまったく免疫を持っていないため、次々と<渡来>人のみが風土感染症により死亡する事態が出てきた。 これらに対応するために<渡来>人が取った政策が<渡来>人とそれ以外の民族との「隔離政策」「混血同居婚姻禁止政策」である。<当初>は「純血<渡来>人」「混血<渡来>人」「原住民」程度の分類であった<が>、「混血<渡来>人」を混血度によって1~2階層程度に分けたため、全体で3~4の階層を設定した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88
 しかし、そもそも、どうして、武力ではなく「知力」なんぞによって、バラモンは亜大陸における最上位階層に収まることができたのでしょうか?
(続く)