太田述正コラム#0281(2004.3.7)
<新悪の枢軸:ロシア篇(追補1)>

1 楽観的な現代ロシア論の登場

 (1)始めに
 私が今まで論じてきた悲観的な現代ロシア論(コラム#(144、)145、186、241、242)を否定する楽観的な現代ロシア論が米国で登場しました。
 私は、これまでおおむね英米の通説に従って現代ロシア論を展開してきたのです(注)が、通説に真っ向から挑戦する野心的な論考が登場したわけです。

 (注)1988年に留学先のカレッジから研修生全員(約80名)で東ベルリン(当時)見学に赴いた時のことだ。東独人ガイドの話を聞き、街の風景等を見た後で、私は英国人たる同僚研修生の一人(国際情勢専門家でも何でもない一介の軍人)に、「思っていたより悪くないじゃないか。当分共産主義体制は安泰だな」と話しかけたところ、「とんでもない。近々東独を含め、ソ連・東欧の共産主義体制は崩壊するよ」と言われてきょとんとした。ところが、翌年ベルリンの壁が崩壊し、三年後にはソ連が崩壊した。私が英米、就中英国のプレスを情報源として高く評価するに至った原点がここにある。

それは、3月2日にニューヨークタイムスのサイトに掲載されたANDREI SHLEIFER と DANIEL TREISMAN 共同執筆の「フツーの国」(A Normal Country) という、フォーリンアフェアーズMarch/April 2004 掲載予定の論考(http://www.nytimes.com/cfr/international/20040301faessay_v83n2_schleifer_treisman.html。3月5日アクセス)です。
そこで、この論考の概要をご紹介することにしました。(この論考の元となった論文はhttp://papers.nber.org/papers/w10057 から$5でで購入できるようです。)

(2)その内容の紹介

 ロシアは、ソ連が崩壊して新生ロシアが誕生した1991年から現在まで、一貫してフツーの経済中進国以上でも以下でもなかった。ロシアの購買力平価ベースの一人当たり国民所得は、アルゼンチン、ブラジル、メキシコ、マレーシア、クロアチア並みであり、核保有国であり、かつ依然国際場裏で隠然たる影響力を持っているという点で特異性があるだけだ。
 経済中進国においては多かれ少なかれ、政府は腐敗し、司法機関は政治介入を受け、報道の自由は制限されており、所得分配は不平等であり、大企業が寡占状態にあり、マクロ経済は不安定であるものだ。

 ロシアの一人当たりGDPは実質ベースで、1991年から1998年までは39%減少し、1991年から2001年までだと24%減少したことになっている。
 しかし、これは見かけだけのことだ。
 第一に、ソ連時代のような、誰も買わない商品がもはや生産されなくなったことに伴って経済が効率化したことと引き換えにGDPは押し下げられたし、かつてのように管理者がノルマ「超過」達成を図るために数字をふくらませることがなくなり、税金逃れのためにむしろ逆に数字が低く申告されるようになったために、やはりGDPは押し下げられた。
 第二に、闇経済が急速に膨張した。GDPが29%減った間に電力消費量は19%しか減っておらず、しかも、企業はソ連時代に比べて電力を節約して使っていることを考えれば、このことが推し量れる。
 第三に、ロシア人の生活が向上していることを裏付けるデータが沢山ある。
1990年と2001年の間、一人当たり居住面積は16平米から19平米に増え、自動車保有率は一家族あたり0.14台から0.27台へと増えた。海外旅行へ行く観光客も1993年の160万人から2000年には430万人に増えている。
 また、1993年以来、水道普及率は66%から73%へ、セントラルヒーティング普及率は64%から73%へ、電話普及率は30%から49%に上昇している。

 そもそもソ連崩壊後、旧ソ連及び東欧諸国のすべてにおいて計画経済が市場経済に転換されたが、これに伴い、どの国でもGDPは一時減少した。この転換を最も速いペースで行った行ったチェコとハンガリー、最も遅いペースで行ったウクライナとウズベキスタン、はたまた民主制をとったロシアとポーランド、独裁制を続けたベラルスとタジキスタン、のどの国でもそうだった。
 これは共通の原因があったことを示している。一つは軍用品や民生品中不必要なものが生産されなくなった(上述)からであり、もう一つは計画経済から市場経済への転換過程では必然的に経済システムが不安定化するからだ。

(続く)