太田述正コラム#0283(2004.3.9)
<新悪の枢軸:ロシア篇(追補3)>

 (2)時代を自ら切り開いたプーチン
 ソ連が崩壊した1991年、プーチンはKGBを辞め、故郷レニングラード(後にサンクト・ペテルブルグへと改称)の市長の片腕として市政に携わりました。有力説によると、KGBがプーチンを出向させたのだといいます。
 そのプーチンのおかげで、レニングラードは、モスクワを始めとして旧ソ連全土で吹き荒れた流血の騒乱を免れることができました。プーチンが民主主義派の市長とKGBレニングラード支部を始めとする治安機関との間を取り持ったからです。
 このプーチンの手腕に目に付けたと思われる新生ロシアのエリティン大統領は、1998年にプーチンを官房副長官に任命し、引き続き彼を出身母体たるFSB(KGBの後継機関)の長官に任命します。そして2000年にはエリティンは大統領職を彼に譲ります。(大統領代行に就任。)こうしてプーチンはロシアの頂点に立つのです。
 まさにプーチンは、民主主義を標榜しつつも、実権は諜報機関が握る、という新たな人民支配の方式を確立し、ロシアの新しい時代を切り開いたわけです。
(以上、http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,2763,1158463,00.html(2月29日付け。3月1日アクセス)による。)

(3)「皇帝」プーチン
2000年に大統領選挙を制し、プーチンは正式に大統領に就任します。
そして4年。今年3月には再び大統領選挙がありますが、プーチンの圧倒的な得票率での再選が確実視されています。プーチンはいかなる政党にも拠っておらず、選挙公約ないしマニフェストなど全く打ち出していないというのに独走状態なのです。
そうなった理由をあげると次の通りです。
ア このところの石油と天然ガスの価格高騰により、ロシアの経済財政が棚から牡丹餅的に潤っていること。石油と天然ガスだけで、実にロシアのGDPの25%をたたき出しているのです(http://www.guardian.co.uk/comment/story/0,3604,1155408,00.html。2月25日アクセス)。
イ ロシアの国民が、ソ連崩壊後の混乱に疲れ果てており、プーチンがもたらしたKGB的安定(ムード)の継続を願っていること(http://www.nytimes.com/2004/03/09/international/europe/09RUSS.html。3月9日アクセス)。
ウ 殆どすべての報道機関はプーチン政権のKGB的介入によってプーチン大統領の宣伝機関に堕してしまっており、ロシア国民はプーチンのいい面しか知らされていないこと(http://www.guardian.co.uk/russia/article/0,2763,1164233,00.html。3月8日アクセス)。
エ しかも、ロシア国民の伝統的な皇帝観・・皇帝はいい人だが取り巻きが悪い・・が「復活」し、たとえプーチン政権が失政を重ねたとしても、それがプーチン個人の失点につながらないこと(NYタイムス前掲及びhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/from_our_own_correspondent/3533057.stm(3月6日アクセス))。

そして今や、プーチンの地方「巡幸」の際に泊まったホテル、立ち寄った喫茶店、使った食器等はことごとく、その地方の名所、記念物とされるというありさまです。我々が気が付かないうちに、ロシアに帝政が復活し、プーチン「一世皇帝」が即位し、ロシア人民に君臨している感がある、と言っても過言ではありません(BBC前掲)。

 プーチンの人間形成に及ぼした柔道の影響の大きさは良く知られているところです(ガーディアン2月19日付け、前掲)。KGB要員としての彼の優秀さは柔道を通じて身に着けた、相手の弱点をつくといった権謀術数のたまものだったと言ってもいいのかもしれません。その権謀術数の能力は彼を大統領にまで押し上げたことになります。
 このことを我々日本人は誇りに思うべきなのか、遺憾に思うべきなのか、悩ましいところですね。

(完)