太田述正コラム#7232(2014.10.10)
<独裁と混沌>(2015.1.25公開)
1 始めに
 表記に係る、なかなか興味深いコラムが、2日連続して、シュピーゲル誌の電子版に掲載されたので、それぞれのさわりをご紹介し、私のコメントを付することにしました。
2 混沌より独裁の方がマシ
 「この10年間で示されたのは、独裁、自由の欠如、抑圧、よりも悪いものがある、ということだ。
 それは、内戦と混沌だ。
 現在、パキスタンからマリまで延びている「失敗国家群」は、独裁制の代替物が必ずしも民主主義ではないことを示している。
 往々にして、それは混沌なのだ。
 今後の年月において、全球的政治を規定(define)するものは、民主的諸国と専制的諸国の両極というよりは、機能する諸国と機能しない諸国との対照だろう。
 統治とは秩序なのだ。
 近代政治学の父であるトマス・ホッブス(Thomas Hobbes)にとっては、国家の生来的(intrinsic)機能は、「自然状態」を従える(subdue)ために法的秩序を課することだった。・・・
⇒「自然状態」を非人間主義的状態と考えたところで、既にホッブスは間違っていたことを我々は知っています。(太田)
 <ロシアの場合、まさに「自然状態」であったところの、>「動乱時代(スムータ(Smuta))」<(注)>・・17世紀初における混沌と無政府状態の期間・・という妖怪(specter)が、ロシア史の上に蟠踞し続けているのだ。
 (注)「ロシアの歴史で、1598年のリューリク朝フョードル1世の死去から1613年のロマノフ朝創設までの空位時期を指す。・・・<たまたま、>南米のワイナプチナ火山が大噴火し、その噴煙が大気圏上層に達することで世界的な異常気象を引き起こし<、ロシアでは、>夏でも夜の気温が氷点下に達し、作物を全滅させ・・・1601年から1603年にかけて、・・・当時の人口の3分の1に相当する200万人が死ぬという・・・大飢饉に見舞われた。さらに1605年から1618年にかけてのロシア・ポーランド戦争で、ロシアはポーランド・リトアニア共和国に占領され、民衆の蜂起が起こり、皇位簒奪者、皇位僭称者が次々現れた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E4%B9%B1%E6%99%82%E4%BB%A3
⇒わずか15年間の、しかも、たまたま、自然災害が同時期に起こったことがもたらしたところの、しかも、その少し後のドイツにおける、より長期にわたる30年戦争・・期間中の人口減少率はほぼ同じだが、全て人災によるもの・・並であった災厄が、その後のロシア史を規定した、というのはナンセンスです。
 (「動乱時代は、ロシアの国内外を問わず、数多くの後世の芸術家や劇作家たちにインスピレーションを与えた」(上掲)程度のことだろう。(そのうちの一つが、ミハイル・グリンカ作曲の歌劇の『皇帝に捧げた命(イヴァン・スサーニン)』(コラム#7219)だ。)
 30年戦争の災厄がその後のドイツ史を規定した、という人など存在しないことを想起してください。
 私が指摘したところの、2世紀にわたって、ロシア人が、重税と略奪に加えて、とりわけ奴隷化、に苛まれたところの、タタールの軛(コラム#7088)こそが、その後のロシア史を規定したのです。(太田)
 それとは対照的に、鉄拳のブレジネフ(Brezhnev)時代は、この国の多くの人々から、最近における最も幸せな時期の一つであったと考えられている。・・・
 平和のための財団(Fund for Peace)が取りまとめた脆弱国家指標によれば、「極めて高度に危ない(very high alert)」または「高度に危ない」という評価を受ける諸国家が、2006年以来、9から16に増えている。
 それとは対照的に、民主主義と自由の普及は、殆んど進展していない。
 フリーダム・ハウス(Freedom House)によれば、1990年代の初期において自由な諸国の数の顕著な増加があった後、1998年からは、殆んど変化がない。」
http://www.spiegel.de/international/world/why-keeping-a-dictator-is-often-better-than-instability-a-996101.html
3 そのような発想は間違い
 「若干の人々がどう考えようと、アラブの諸蜂起の軌跡は、独裁制が混沌という代替物よりもマシであるという主張を裏付けていない。
 その軌跡は、まさにかかる主張を援用することで、欧米によって何十年にもわたって部分的に支えられてきた専制的諸体制が、最終的には驚くほど速く瓦解してしまった、という物語を語っている。・・・
 それらの諸体制は、長きにわたって芯が腐っていたのだ。
 それらは、それぞれの内部的諸矛盾とそれぞれの市民達の基本的ニーズを充足することができなかったことのせいで、終焉を迎えたのだ。
 これらのニーズとは、しばしば二次的なものであったところの、表現の自由と民主主義では必ずしもなく、職、食糧、そして尊厳ある生存<という一次的なニーズ>だった。・・・
 独裁制は、しばしば、単に後の混沌のための諸条件を創造するものなのだ。
 かかる不安定性についてそもそも責任があるところの、システムが復活することを願うとは、何と馬鹿げた話だろうか。・・・
 慈悲深き独裁者などというものは存在しないのだ。
 専制的諸システムにおいては、その体制は、権力派閥を形成する目的で、通常、軍事と経済を結合し、その上で、身内贔屓と腐敗を醸成する。
 何はともあれ、指導層の中のこれらのマフィア的な諸条件は、多くの市民達を叛乱へと導くものなのだ。
 うまく機能しているという触れ込みの中共においてさえ、これらの諸副産物は、共産党の統治システムへの内部的脅威を惹起する。・・・
 諸独裁制が安定性を醸成するとの観念はおとぎ話なのであって、混沌は、しばしば、それが採用(follow)する専制的な諸システムの産物なのだ。
 <あくまでも、>人々自身が、諸独裁制に対して立ち上がるかどうかを決定する。
 欧米にとっての唯一の課題(question)は、この種の叛乱に対して介入すべきなのはいつなのかであり、それについて、諸独裁制に賛成であるとか反対であるとかといった口実で抽象的に答えを出すことはできない。
 それは、ケースバイケースで決めるほかない。
 とりわけ、ある民族(nation)は、機能する民主主義を創造するには時間がかかり、それは学びのプロセスであり、しかし、専制主義の歴史を持っている人々でさえ、民主主義的安定性を創造することができること、を知っているはずだ。
 ドイツ人達がそうだ。・・・
 民主主義に適していない諸文化があるという理論に対する、これよりも良い反証を見出すことは困難だ。」
http://www.spiegel.de/international/world/stable-dictatorships-are-not-the-lesser-evil-a-996278.html
⇒途中までは、私も全く同感なのですが、最後近くのところで台無しです。
 仏伊独西ポルトガル等、欧州の主要国は、ことごとく独裁ないし専制を経験しているところ、ドイツ一つとっても、果たして「機能する民主主義を創造する」ことに成功したのかどうか、疑問だからです。
 2009年まで5%の阻止条項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BB%E6%AD%A2%E6%9D%A1%E9%A0%85
でもってナチ等の極右や共産党等の極左を事実上締め出してきたドイツ、「「ナチスの犯罪」を「否定もしくは矮小化」した者に対して刑事罰が適用される法律が制定されている」ドイツ、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E5%90%A6%E8%AA%8D
専制的なプーチンのロシアに対して宥和的なドイツ(コラム#省略)、であることを指摘するまでもありますまい。
 なお、(説明は省略しますが、)非人間主義社会は、民主主義の前提ないし基盤を欠いているところ、非人間主義的文化ないし文明が存在する以上、民主主義に適していない諸文化はある、ということになりそうですが、どんな個人であれ、従ってまた、どんな集団(社会)であれ、人間主義化は可能である、ということを踏まえれば、どんな文化ないし文明も人間主義的文化ないし人間主義的文明へと作り変えられるわけであって、その限りにおいては、このコラムの筆者が最後に言っていることは間違いではありません。(太田)