太田述正コラム#7266(2014.10.27)
<露・日・印は同類?(その3)>(2015.2.11公開)
 ピョートル大帝(Peter the Great)の熱狂的な(hectic)西欧化(Westernizing)諸事業(ventures)によって創造されたロシアの選良は、近代的な西欧に追いつこうとした諸社会において想像された不十分さ(inadequacy)と失敗の広範な感覚を最初にはっきりと語った(articulate)。
 1836年にピョートル・チャーダーエフ(Pyotr Chaadaev)<(注9)>は、『第一哲学書簡(First Philosophical Letter)』の中で、「我々は西にも東にも所属しておらず、我々は、どちらの諸伝統も持ち合わせていない」と主張した。
 (注9)1794~1856年。ロシアの哲学者。モスクワ大学中退。1826~31年にフランス語で執筆された8つの「哲学的書簡」は、ロシアに対する批判的内容から、ロシアで出版できず、長らく、草稿の形で回覧された。
 その主要テーゼは、ロシアは、知的に孤立していて、社会的に未発達で、欧米諸国よりも遅れ続けており、世界の進歩のために何の貢献もしたことがないのであって、改めて(de novo)出発しなければならない、というもの。
 当時のニコライ1世のロシア政府は、こんなロシア批判、ロシア体制批判を行う者は気が狂っていると宣告し、爾後の、反体制派への一つの対処方法の先例となった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Pyotr_Chaadayev
 彼の流暢な自己憐憫は、プーシキンのみならず、ゴーゴリからトルストイに至るまでの心を揺さぶり、半欧米化したロシアの選良の欧米(West)に対して守る(uphold)べき生来の(native)アイデンティティを求める、苦難に満ちた(tormented)探求を開始させた。
 1920年代に、ボルシェヴィキ革命によって、パリ等、欧米の諸首都に亡命したロシアの思想家達は、ユーラシア主義(Eurasianism)と呼ばれた教義でもって、ロシアの位置を欧州とアジアの間に再設定(reconfigure)しようと試みた。
 一枚岩的経済と一党支配を認めつつ、これらの超ナショナリスト達は、非道徳的な欧米からの悪しき諸影響と闘うためにロシア全域で宗教的再生と統一を説き勧めた(exorted)のだ。
⇒ミシュラのこのユーラシア主義理解は、以前に(コラム#7144で)述べた私見に照らし、誤りです。(太田)
 
 驚くべき成り行きだが、彼らの大げさな知的諸自惚れは、冷戦以降、勝ち誇った欧米による明白な欺騙にロシアがしてやられた後、政治的な印刷許可(imprimatur)と人気を享受してきた。
 今日では、クリミアの併合と国内の諸批判の絞殺を行いつつ、ウラディミール・プーチン(Vladimir Putin)大統領は、『ロシア思想史(The Russian Idea)』の著者である、宗教理論家のニコライ・ベルジャーエフ(Nikolai Berdyaev)<(注10)>を引用する。
 (注10)1874~1948年。[キエフ生まれでキエフ大学で学ぶ。]「ロシアの[宗教・政治]哲学者。もとはマルキストであったが、ロシア革命を経て転向し、反共産主義者となる。神秘主義に基づき文化や歴史の問題を論じた。・・・1922年、レーニンの革命政府によって国外追放。・・・
 共産主義思想を宗教として分析、批判し<た>。共産主義はあらゆる宗教的な特徴をもつとしており、例えば、マルクスやレーニンの書物を「聖書」として解釈を許容するが批判は許さないこと、国民を信者と非信者に分別し、信者も正統と異端に峻別すること、異端を破門や極刑に処すること、人間に搾取や階級的不平等などの「原罪」が存在すること、貧困のない「神の国」の到来を予言することなどを挙げている。さらに、共産主義の教義がユダヤ教の至福千年王国説、救世主思想、選民思想にあることを指摘。・・・」
 [ロシア正教にも批判的。]
 また、進歩主義批判、人権・国民主権批判を行った。
 更に、「各個の人間は、世界全体と過去のすべての偉大な歴史的時代が反映されたミクロコスモスであると」するとともに、「過去から連なる「伝統」と「記憶」<を>重視」した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%95
http://en.wikipedia.org/wiki/Nikolai_Berdyaev ([]内)
⇒ベルジャーエフの主張は、概ねまっとうであるだけに、ミシュラは、プーチンがベルジャーエフの何を引用し、どのように曲解したのか、を明らかにすべきでした。(太田)
 そして、メディアと正教会の彼の相棒達(cohorts)は、欧米が、諸NGO、ジャーナリスト達、同性愛者達、及びプッシー・ライオット(Pussy Riot)<(注11)>の助けの下で、ロシアに恥をかかせることに没頭していると措定するところの、諸陰謀論を流布させている。
 (注11)「ロシアのフェミニスト・パンク・ロック集団。許可を取らずに、モスクワ地下鉄や赤の広場で即興演奏をすることを特徴としている。バンド名は”プッシー(子猫、あるいは女性器)の叛乱”の意。
 2012年3月、モスクワの救世主ハリストス大聖堂で、即興の無許可演奏を行い、メンバー3人が逮捕され、「フーリガン行為」の咎で7月下旬から裁判が始まった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88
⇒インドについても、英語の諸文献に拠っている部分については、ミシュラがそれら諸文献を批判的に読みこなしていない恨みがありましたが、ロシアについては、その全体について、同じことが言えそうです。(太田)
(続く)