太田述正コラム#0300(2004.3.26)
<ヤシン暗殺・・イスラエルと米国の立場から>

1 ヤシン暗殺

 イスラエルが3月22日にヘリコプターからのミサイル攻撃でハマスの精神的指導者のヤシン師(Sheik Ahmed Yassin)(注1)を殺害したことに対し、国際的な非難が沸き上がり、日本政府もその驥尾に付してイスラエル政府を非難しました(3月22日付読売電子版(http://news.fs.biglobe.ne.jp/international/ym20040322id25.html(3月22日アクセス))。

(注1)インティファーダ(反イスラエル占領闘争)開始直後の1987年にハマスを創設して二年目の1989年にイスラエルに逮捕され、終身刑を宣告されてイスラエルの刑務所に服役したが、1997年、ヨルダンで拘束されたイスラエル諜報機関員との交換で釈放され、ガザに帰還した。

駐日イスラエル大使は、「日本の非難は、テロの指導者を保護しろということであり、問題がある」と述べ、ヤシン師についても、「日本では(インドの修道女だった)マザー・テレサのような存在だと思われている」と不快感を表明しました(注2)(http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20040326ia23.htm。3月27日アクセス)。

(注2)マザー・テレサの実像(コラム#175)を踏まえると、この大使発言は恐ろしくひねった皮肉に聞こえる。

国連の安保理事会では、米国の拒否権行使により、イスラエル非難決議案が葬り去られました(http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/3568349.stm。3月26日アクセス)(注3)。

(注3)決議案に賛成:中国、ロシア、フランス、アンゴラ、チリ、パキスタン、スペイン、アルジェリア、ベニン、フィリピン、棄権:英国、ドイツ、ルーマニア、反対:米国。例によって英国は事実上米国に同調したが、ドイツもまた棄権したことは注目される。

2 なぜ?

一体、イスラエル(国民の6割がこの暗殺を支持している)はなにゆえこの暗殺を決行したのでしょうか。また、どうして米国がこの暗殺に理解を示しているのでしょうか。
(以下、特に断っていない限り、ガーディアン紙掲載のジョナサン・フリードランド(Jonathan Freedland)女史の論考(http://www.guardian.co.uk/israel/Story/0,2763,1176431,00.html(3月24日アクセス))による。)

第一に、ハマスがテロの形態をエスカレートさせたからです。
従来のテロは、イスラエルの軍人等をねらうことから始まり、やがてバスやレストラン等一般市民が沢山集まる場所で数十名の死者を出すことをねらいとして行われるようになりましたが、例えば3月14日のアシュドット(Ashdot)での爆弾テロは、化学工場をターゲットにしたものであり、プラント自体を爆破することには失敗したため10名の死者しか出すことができませんでしたが、本来は(先般のマドリードでの鉄道テロ事件並の)数百名のオーダーの死者を出すことをねらったものでした。ハマスによるこの類の大規模テロの未遂事例は、このところ、週4、5回にものぼっており、その都度、被害の発生をイスラエル治安当局がかろうじて未然に防いでいるのが現実のようです。
しかも、ヤシン師は、個々のテロの指揮こそとってはいませんでしたが、間違いなく全般的指導にあたっていたといいます。
第二に、ヤシン師の逮捕についてイスラエル政府は、イスラエル占領下の地域の治安に一義的な責任のあるパレスティナ当局にその能力意思も能力もなく、さりとてイスラエルがそれを試みれば、市街戦になるのは必至であり、イスラエル側にも死傷者が出る恐れがあることから避けたと考えられます。
第三に、この暗殺を、EUが超司法的殺人(extra-judicial killing)と非難したり、アナン国連事務総長が国際法違反と非難したこと(http://www.economist.com/agenda/displayStory.cfm?story_id=2533990。3月27日アクセス)については、国際法を無視して一般市民を対象にしたテロを行う者に対して、イスラエル側だけを国際法でしばろうとするのは不公平ではないか、というのがイスラエル側の率直な気持ちのようです(注4)。

(注4)イスラエルとハマスの戦いが国際法上の「戦争」であれば、敵の最高指導者を殺害することは当然許されるし、イスラエル占領地に住むヤシン師がテロリストだとすれば、国際法上占領地の治安についてイスラエル政府が(パレスティナ当局と重畳的に)責任を負っており、かつ、テロリストを裁判抜きで処刑することがアングロサクソン的法観念上は許される以上、やはりヤシン殺害は違法ではないと見る余地が大いにある(拙著「防衛庁再生宣言」202??203頁)。

第四に、昨年9月にもヤシン暗殺を試み、軽傷を負わせるだけに終わったイスラエル(英エコノミスト前掲)が、再度暗殺をこの時期に試み、今度は成功したことについては、イスラエルのシャロン政権として、ガザ等からの入植者及びその警備兵の引き揚げを伴う一方的な境界線設定によるパレスティナ紛争解決の構図を昨年12月に明らかにしたことに伴い、ガザからの引き揚げがイスラエル側の弱さの表れと誤解されないよう、この時点で強硬策を採る必要があったからだ(注5)、と思われます。

(注5)バラク政権による2000年のレバノンからのイスラエル軍撤退が、ヒズボラやハマスに誤ったシグナルを与え、これらテロ組織を勢いづかせてしまったという前例がある。
    なお、英エコノミスト誌前掲も、「第一」とともに、この「第四」を、イスラエルによるヤシン暗殺の理由として挙げている。

3 ハマスの今後

 アラファト率いる、ファタ及び現在のパレスティナ当局は、ファシスト集団である(コラム#75)のに対し、ハマスはイスラム原理主義組織であり、アルカーイダと対比されるべき存在です。
 たまたま、ヤシン暗殺と相前後してアフガニスタンとパキスタンの国境付近で、アルカーイダナンバーツーのアイマン・ザワヒリ(Ayman al-Zawahiri)が捕縛ないし殺害されそうになり、かろうじて逃げのびたようですが、二人ともエジプトのモスレム同胞団(Muslim Brotherhood)出身です。
 ザワヒリの方は1970年代にエジプト国内でIslamic Jihad 創設に関与し、ヤシンの方は前述したように1987年にパレスティナでハマスを創設します。
 Islamic Jihadはクーデタによるエジプト政府の転覆をめざし、1981年にはサダト大統領の暗殺に成功します。他方、ハマスは、パレスティナ人相手の社会福祉事業を行う一方で、イスラエルに対する軍事作戦(テロを含む)を行ってきました。大事なことは、両団体とも、イスラムの敵との戦い(テロを含む)そのものが宗教的行為であって、敵がことごとく殲滅されるまでは戦いをやめない・・ハマスにあっては、イスラエルという国が地上から抹殺されるまで「和平」などありえない・・であろうことです。
 さて、Islamic Jihadは、エジプトのムバラク政権によって徹底的に弾圧され、やむなくザワヒリは海外に逃亡、戦いの主たる相手を米国に切り替え、アルカーイダの一翼を担い、2001年の9.11同時多発テロ等の対米「攻撃」を重ねて現在に至っています。
ハマスの方は、その後どうなったでしょうか。
ハマスは、パレスティナ当局ともども、イスラエルに「降伏」しているに等しい状況(コラム#235、237)であり、更に今回のヤシン暗殺によって、これまで戦術上敵をイスラエルにしぼってきた最高指導者を失ってしまいました。
こうなると、ハマスもザワヒリらと同様、戦いの主たる相手を米国に切り替えざるをえなくなるのではないか、と考えられ、その意味でヤシン暗殺後、ハマスが声明文の中で、「テロリストたる米国行政府」という表現を用いたことが注目されます。
ハマスの戦いの主たる相手が米国に切り替われば、その瞬間、「パレスティナ紛争」は終焉を迎え、アラブ世界に関しては、アルカーイダ系イスラム過激派勢力に対するにアングロサクソン・イスラエル、という「すっきりとした」形の戦い一本に集約されることになるでしょう。
(以上、リー・スミス氏の論考(http://slate.msn.com/id/2097776/(3月25日アクセス))による。)