太田述正コラム#0306(2004.4.1)
<米国とは何か(その3)>

(2)18世紀的社会意識
 ア 第一の原罪
米国におけるアングロサクソン至上主義とそれと裏腹の関係にある非アングロサクソン人種に対する差別意識については、黒人差別については米国の第一の原罪として(コラム#225)、黄色人種就中日本人差別、及びそれに伴う東アジアへの恣意的介入については米国の第二の原罪として、既に(コラム#221、234、249、250、253、254、256、257、258、259で)論じてきたところです。
ブッシュ政権の国務長官と安全保障担当補佐官という最も重要な閣僚二人が黒人であることに象徴されているように、米国のアングロサクソン(ブッシュ大統領もアングロサクソン)はようやく上記差別意識を克服したようです。
この差別意識の克服に先立って、1960年代に黒人差別制度の撤廃があったわけですが、20世紀後半まで差別制度を持ち越したところにも、母国英国の18世紀までの制度を墨守した、アングロサクソンとしての米国の発育不全ぶりがよく表れています。(英国は、欧米諸国の先鞭を切って1830年代に英帝国における奴隷制度を禁止しました。)
黒人奴隷制度は、黒人差別制度の最たるものですが、18世紀までは、アングロサクソン、欧州、イスラムの三文明とも奴隷制を当然視していたことを忘れてはなりません。
当時奴隷にされたのは、あらゆる人種の人々でした。1530年から1780年にかけての250年に、北アフリカのイスラム教徒たるベルベル人海賊によって欧州の海岸地域(英国の海岸地域を含む)から、100万人以上の人々(白人)が拉致され、奴隷にされたという研究があります。(ちなみに、南北アメリカ大陸に向けて拉致された黒人の数は1200万人です。)
(以上、http://books.guardian.co.uk/news/articles/0,6109,1166849,00.html(3月11日アクセス)による)
問題は米国が(黒人)奴隷制度を19世紀の後半まで、(黒人)差別制度は20世紀の後半まで、差別意識はつい最近まで引きずってきたところにあります。
黒人差別制度には、白人との分離教育、公共交通機関やレストランにおける席の分離等、色々なものがありましたが、白人との婚姻の禁止もありました。
米国の九つの州以外の全ての州で、かつて異なった人種間の婚姻を禁止する法律が施行されていたことがありますし、1912年には黒人を始めとする有色人種と白人との間の婚姻を禁止する憲法改正が取りざたされたこともあります。
黒人差別制度が撤廃されても、1958年の米国の世論調査では、白人の96%が白人と黒人の間の婚姻に反対でした。
それが1997年には、77%が賛成、へと世論が大きく変化しています。
(以上、http://www.taipeitimes.com/News/edit/archives/2004/03/07/2003101517(3月8日アクセス)による。)
このような、米国世論の変化を背景として、奴隷の子孫たる米国黒人達によって、奴隷制による被害の賠償を米国や英国の企業等(注4)に求める訴訟が今年の3月、米国で提起されました(http://www.guardian.co.uk/usa/story/0,12271,1179732,00.html。3月28日アクセス)。

 (注4)奴隷にさせられるため拉致された黒人達は、栄養不良と過積載によって大西洋を渡る船上で2割方死亡しました。この奴隷船の航海は、300年間に3万回に及び、奴隷商人は莫大な利益をあげましたが、この航海の保険を引き受けたのが英国のロイド社だったというので、ロイド社も被告に名前を連ねています。

  イ 第二の原罪
 英国が日本と同盟関係に入ったのは1902年でしたが、米国が日本と同盟関係に入ったのは、1951年と約半世紀のタイムラグがあります。
 ここでも、米国は母国英国に比べての発育不全(晩生)ぶりを遺憾なく発揮したわけです。
 この間、米国が日本にいかに理不尽な振る舞いに及んだかは、既にご説明した(コラム#253??254、256??259)ところです。

(続く)