太田述正コラム#7554(2015.3.20)
<英国の人種構成(その1)>(2015.7.5公開)
1 始めに
 オックスフォード大の研究者達を主軸とする、20年に及ぶ、英国人の人種に関する遺伝子研究がまとまり、ネイチャー誌に掲載されました。
 一つ不満があるのは、参照した、ガーディアンとBBCの記事
A:http://www.theguardian.com/science/2015/mar/18/genetic-study-30-percent-white-british-dna-german-ancestry
(3月19日アクセス。以下同じ)
B:http://www.bbc.com/news/science-environment-31905764
を読む限り、英国人(及びアイルランド人)のバスク人起源説への言及がないばかりではなく、バスク人起源説と矛盾する研究結果であるように受け止められることです。
 いずれにせよ、アングロサクソン文明の解明にとって、英国人、就中イギリス人の人種は、避けて通れない問題であり、上記2記事のさわりをご紹介し、私の本格的コメントは他日を期したいと思います。
2 英国の人種構成
 (1)総論
 「被験者達は、全員白人の英国人で、田舎の諸地域に住み、4人の祖父母が全員相互に50マイル(80km)以内で生まれた[大部分が中年の2,000人の]人々だ。」(A)([]内はB)
 「この選定基準によって・・・20世紀の移民<の流入>の影響を排除し、1000年を超える昔の移民<流入>の諸パターンを凝視し直すことを可能にした。」(B)
 「この研究チームは、<英国以外の>欧州の10か国の6,209人の人々のデータを眺め、彼らの祖先達が英国の遺伝子構成に与えた影響を再構成した。」(A)
 「現在の遺伝子諸パターン、と、紀元600年における若干の地域的諸アイデンティティないし諸王国、との間に驚くべき諸近似性が見出せるところ、我々は、そのうちの若干は、当時存在した集団の諸残滓である可能性が大いにある、と考えている。」(B)
 「ローマ人達、ヴァイキング達、ノルマン人達は、<それぞれ、>数百年間、英国に侵攻したり、支配したりしたけれど、彼らは、我々のDNAに殆んど痕跡を残していない。・・・
 この分析が示すのは、紀元400~500年前後のアングロサクソン達が、この国の遺伝子的構成を顕著に改変したところの、唯一の征服勢力だった、ということだ。
 というのも、現在の英国の人々の大部分が彼らのDNAの30%近くのDNAを近代ドイツ人達の祖先達に負っているからだ。」(A)
 「この新しい分析は、<アングロ>サクソンのDNAがそこそこ(modest level)<入っていることを>示しており、これは、ブリトン人達がアングロサクソン達と隣り合わせ住んだ後に混血したことを示唆するものだ。
 この研究の中に、混血が、<アングロ>サクソンが渡来してすぐには起こらず、少なくとも100年後以降に生じたことの若干の証拠がある。
 これは、ブリトン人達と<アングロ>サクソン人達が、それぞれ別のコミュニティーを最初のうちは持っていて、時間が経過してから融合を始めたこと、を示唆している。」(B)
 (2)イギリス南部と中央部
 「現在、イギリスの南部と中央部に住んでいる人々は、典型的には、彼らのDNAの約40%をフランス人と、11%をデーン人<(デンマーク人)>と、9%をベルギー人と、共有している、ということを、<この>・・・研究は見出した。
⇒一方で(デーン人達であるところの)ヴァイキング達のDNAが殆んど存在しないと言っておいて、デーン人のDNAが9%もある、というのは首を傾げてしまいますが、このデーン人とベルギー人が併せて20%、その大部分がケルト人たるガリア人であると目されるフランス人のDNAが40%で、更にアングロサクソンが30%となると、残りは10%しかなく、バスク人が出る幕は殆んどありません。
 「「イギリス人(というか、ブリテン諸島の人々)≒バスク人」説」を信じてきた私としては、頭を抱えざるをえません。(太田)
 しかし、このフランス人の影響は、1066年のノルマン人の侵攻とは関係がないのであって、10,000年近く前の最後の氷河期の終わりのしばらく後における、これまで知られていなかったところの、ブリテン諸島への<欧州からの>移民の波の影響なのだ。」(A)
 「<また、研究に基づいて描かれたところの、>遺伝子集団ごとの地図が明らかにするのは、ヨークシャー(Yorkshire)<(注1)>西部でのサンプルとこの国<(イギリス?)>の残りのそれら、との間の、微妙ではあるが、画然たる諸差異だ。・・・
 (注1)比較的北の東部に位置する、イギリスの広域地方行政単位中最大の伝統的カウンティ(traditional county)。「州の中心都市はヨーク市で、他にリーズ、シェフィールド、ブラッドフォードといった大都市がある。ばら戦争のヨーク家に因んで白薔薇を州の徽章にしている。西に隣接する州が、同じくばら戦争のランカスター家に縁のあるランカシャー (Lancashire) である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC
 また、コーンウォール(Cornwall)<(注2)>とデヴォン(Devon)<(注3)>との間にもはっきりした違い(division)があり、それは、カウンティ(county)の境界線とぴったり合致している。
 そして、デボン州の人々は、これまた、隣接するドーセット(Dorset)<(注4)>の人々とは異なっている(distinct)。」(B)
 (注2)イギリス南西端の典礼カウンティ。「コーンウォール語は、ケルト系の言語であるが、ウェールズ語やブルトン語(ブレイス語)により近く、一方でアイルランド語やスコットランド・ゲール語とは関係性が低い。・・・コーンウォールもまた<イギリス>内に残るケルト地域であり、コーンウォール独立運動が起きるほど、<イギリス>内で異質さが目立つ。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AB
 (注3)コーンウォールの東に隣接する典礼カウンティ。・・・<イギリス>で唯一二つの海岸線を有する<広域地方行政単位。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%B3
 (注4)デヴォンの東に位置する典礼カウンティ。「最も大きな町は、南西の海岸沿いのリゾート町のボーンマスと伝統的な港町であるプール、それにクライストチャーチとその周りの村をあわせた集合都市である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88
⇒どう異なっているのか書いてないので隔靴掻痒の感があります。
 ネイチャー誌掲載の論文を読めばいいわけですが・・。(太田)
 (3)北部イギリス
 「北部イギリス<(注5)>の人々は、遺伝子的に、イギリス南部の人々よりもスコットランドの人々の方に、より近似している。」(B)
 (注5)ノーサンバーランド(Northumberland)、カンブリア(Cumbria)、ダーラム(Durham)、タイン・アンド・ウェア(Tyne and Wear)、の4つのカウンティを指していると思われる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Counties_of_England
(続く)