太田述正コラム#7562(2015.3.24)
<「個人」の起源(続)(その4)/私の現在の事情(続x56)>(2015.7.9公開)
3 終わりに代えて
 グレイの新著、『操り人形の心(The Soul of the Marionette)』の書評
http://www.theguardian.com/books/2015/mar/22/the-soul-of-the-marionette-john-gray-the-challenge-of-things-ac-grayling-review
(3月22日アクセス)が表記のシリーズ(正・続)と関係があるので、そのさわりのご紹介とそれに対する私のコメントでもって、終わりに代えたいと思います。
 このように、グレイのコラムないしグレイについてのコラムが次々に登場することは、いかにグレイが現在の英国の公共知識人としてもてはやされているかを示して余りあるものがあります。
 「グレイは、人間は自分達自身の操り糸群が見えないところの、操り人形である、との、予想しうる、疑い深い主張を避ける。
 そうではなく、我々に自由が欠如しているのは、我々が単なる操り人形達ではないからだ、と彼は主張する。
 我々は、我々の諸運命と戦い、我々が自分達の諸制約を物ともしないことを可能にする状態を達成すること、を欲せしめるところの、自意識によって呪われている、と。
 これを達成しようと試みる近代的な方法は、知識によってだ。
 我々は、真実は我々を自由にすると考えるけれど、我々が自分達自身のことを発見すればするほど、我々は、自分達が、自分達ではどうすることもできない、無意識の諸力や生物的諸衝動の諸産物であることを自覚する。
 グレイは、こんな戦いなど止めるように助言する。
 そして、止めることができたならば、「自分の人生に意義(sense)を付与しようと試みるのではなく、意味がやってきて去っていくのに任せることで満足するようになることだろう」、と。
 逆説的だが、我々が持っている自由がいかに小さいかを受け入れることによってのみ、我々は、可能な唯一の種類の自由・・単純に我々の諸本性(natures)の通りに(in accordance with)生きる自由・・でもって生きることができるのだ、と。
 ひとたび、人間達が「諸天国へ上ることを目指すのを」止めれば、「彼らは地上に墜落することで自由を発見することができる」、と。
 このように内に目を転じることは、神なき宗教性の一種であり、その中で、我々は自分達の墜落した状態(fallen state)を受け入れるのだ」、と。・・・」
⇒これは仏教で言う悟りの境地に到達すること、すなわち、人間主義者になること、の勧めであり、全面的に首肯したいですね。(太田)
(完)
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            –私の現在の事情(続x56)–
 みずほプレミアムクラブ(コラム#7502)のパンフレット等が昨日届きました。
 時間のかかりそうな要因といえば、同封されていた会員証の作成くらいなのに、写真を使ってるわけでもない会員証の作成に、クラブ入会を申し込んでから約一ヶ月もかかったのが不思議でしたし、現時点で、特定の美術展の内覧会への招待の話もなさそうなので、いささかがっかりしました。
 で、パンフレットの中で謳われている、様々な「特典」を斜め読みしたのですが、改めて、(OBを含めた)国家公務員って恵まれているなあ、と思いました。
 別にキャリアだのノンキャリだの関係なく、全員がです。
 まず、みずほ(M)の方では、某リゾートクラブと某ホテルチェーンの施設に割引価格で宿泊できますが、国家公務員(K)の方は、OBも含め、国家公務員共済組合連合会経営で全国にある宿泊施設に、より大きな割引価格で宿泊できます。
 また、Mでは、某百貨店の1割引きカードを提供していますが、たまたま、Kでもそうであり、私は既にそのカードを持っていました。
 決定的にKが優位なのは、某クレジットカードのゴールドカードを年会費ただで取得できるのに、Mにはそんな「特典」がない点です。
 ゴールドカードをお持ちの方は先刻ご存知のように、各種保険がただで付いてくるだけではなく、空港のラウンジがただで使え、新聞雑誌が読めるわ、ちょっとした作業もできるわ、飲み放題食べ放題だわ、なのです。
 (食べられるものは大したものじゃありませんし、アルコール飲料は有料ですけどね。)
 いかに、国家公務員に信用力があるか、ということです。
 もっとも、元家内が公認会計士になって分かったのですが、その信用力たるや、(当時、公認会計士は弁護士と並ぶ国家資格でしたから、当然と言えば当然ですが、)国家公務員を遥かに上回っていましたねえ。
 この他のサービスについては、かなり違っている部分がありますが、種類の数とか特典内容は、MとKとで大差ありません。
 このように、世の中、恵まれている人ほどトクをするようにできているわけですが、その背後に公明正大な合理性があることから、問題はないでしょう。。
 公明正大でない合理性に基づく天下りを拒否した私の言ということで、ご理解をたまわれば幸いです。