太田述正コラム#0317(2004.4.12)
<シバジ騒動(追補1)>

 「シバジ騒動」の「その1」(コラム#301)??「その3」(コラム#303)でご紹介したような話は他にも沢山あります。
 
1 ガネシュ

 ガネシュ(Ganesha。GanesaまたはGanpathiとも呼ばれる)とは、ヴィシュヌ、シヴァ等と並ぶヒンズー教の五大神(或いは六大神)の一つで、首から上は象、下は人間の姿をしています。
私が1988年にニューデリーのヒンズー教寺院で初めてガネシュ像を見た時、その異様な姿に仰天した記憶があります。
 どうしてこんな姿をしているのかについては、いくつか異なった説話があるのですが、一番流布している説話は次のようなものです。
 「シヴァのお后のパルヴァティが湯浴みをする際、自分の垢から男の子をつくり、この子に見張り番を命じました。シヴァが帰宅すると、見知らぬ男の子が彼を家の中に入れようとしません。そこでシヴァは怒ってこの子の首を切り捨ててしまいます。これを知ったパルヴァティはびっくりし、悲しみに打ち拉がれます。シヴァはパルヴァティを慰めるため、彼の手勢に、「頭を北の方に向けて寝ている者なら誰でもよい、この者の首を持って来い」と命じます。手勢は象が寝ているのをみつけてその首を持ち帰り、シヴァはこの首を男の子にくっつけ生き返らせましたとさ。」
 (以上、http://www.compulink.co.uk/~ganesh/ganesha.htm(4月12日)による。)

 さて、1985年に書かれた、米エモリー大学教授ポール・コートライト(Paul Courtright)の’Ganesa: Lord of Obstacles, Lord of Beginnings.’という本が、今年たまたまインターネットで採り上げられたことを契機に、140万人のヒンズー教徒が住む米国を中心に、世界のヒンズー教徒(総計8億2,800万人と言われる)から、コートライト教授がネット上で凄まじいバッシングを受けるはめに陥っています。
 やり玉にあがっているのは、コートライトが、ガネシュに関する上記説話に、男の子供の母親へのエディプスコンプレックスをめぐる父と子の対立、という寓意を読み取っているからです。(この説は、コートライトの創見というわけでは必ずしもありません。)
 コートライトの解釈では、シヴァがガネシュを一旦殺し、首を象の首で差し替えたのは、ガネシュの性的能力を奪うためであり、象の鼻は萎えた陰茎を象徴しています。(ちなみにシヴァのシンボルはリンガ、すなわち勃起した陰茎です。)また、ガネシュが底なしの甘い物好きだとされているのは、ガネシュが性欲を本来の形ではなく、口腔性交で満たさざるを得ないことを象徴しています。
 ヒンズー教徒達は、こんな解釈はガネシュを、ひいてはヒンズー教を冒涜するものだ、そもそもヒンズー教徒でもない者がヒンズー教について研究すること自体がおこがましい、とコートライトを非難し、インドではこの本は自主回収されるに至っています。
 また、この本の序文を書いた女性の米国人教授は、マイクロソフトの百科事典ソフト、エンカルタのヒンズー教の箇所の執筆をこれまで担当してきましたが、米国在住のヒンズー教徒のインド人教授に担当が差し替えられました。
(以上、http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A334-2004Apr9?language=printer(4月10日アクセス)による。)

(続く)