太田述正コラム#0318(2004.4.13)
<シバジ騒動(追補2)>

2 ナイポールの「過ち」

 以前、ノーベル文学賞受賞者である、トリニダード出身のインド人VS・ナイポールが「インド固有のサンスクリット文化(すなわちヒンズー文明(太田))はイスラムの軍事的侵略により、西暦1000年をもって生命を絶たれたとイスラム教を激しく断罪し」ている、と紹介したことがあります(コラム#24)。
 しかし、現時点で振り返って見ると、インドの歴史を十分勉強しないままこのようないかがわしいインド史観の紹介を行ったことに対し、忸怩たる思いがあります。
 司馬遼太郎(拙著「防衛庁再生宣言」228??233頁のほか、コラム#220参照)もそうでしたが、文学者が歴史家をきどってはいけない、と改めて痛感しています。もとより、文学者が政治に関与するのはご自由です(注1)が、文学者が歴史家きどりで政治に関与するのは願い下げです。
 (以下、特に断っていない限り、(http://books.guardian.co.uk/departments/politicsphilosophyandsociety/story/0,6000,1173714,00.html(4月10日アクセス)による。)

 (注1)政治家が文学に手を染めた例として、恋愛小説を書いたディズレーリ、ノーベル文学賞を授与されたチャーチルが英国にいるし、文学者が政治に手を染めた例として、バーツラフ・ハーベルがかつてのチェコスロバキアに、そして石原慎太郎が日本にいる。

 ナイポール(英国政府からナイトを授爵されているので、公式にはサーをつけなければならない)の、冒頭で再紹介したインド史観はBJPの掲げる史観と全く同じであるところ、彼は先月、奥さんともどもインドの与党、BJPの本部を訪れ、インドがBJPによって驀進していることを褒め称え、自分の名前をBJPがいかように使っていただいても結構だと言明したばかりでなく、10年前のアヨディヤでのBJPシンパによるモスク破壊(注2)について、これが偉大なる情熱の産物だとし、情熱こそ創造をもたらす、と言ってのけました。

 (注2)その直後にインド全土でヒンズー教徒によるイスラム教徒襲撃が行われ、ムンバイ(ボンベイ)だけで1,400人が殺害された。

 このナイポール=BJP史観のいかがわしさについて、この際改めて整理しておきましょう。
 第一に、彼らはインドにおけるイスラム教の布教は剣によってなされたと主張していますが、本当のところはもっぱら、神秘主義的イスラム教であるスーフィズム(注3)の信徒によって、ヒンズー教の神秘主義的傾向とマッチする形で平和的に行われたのです。

 (注3)スーフィズムとは、シャリア(イスラム法)のような外面的なものより内面的なものを重視する神秘主義的イスラム教の総称である(http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/4055/kukais_wind/sufu.htm。4月13日アクセス)。

 第二に、彼らはイスラム、ヒンズー両文明を対立的に見ていますが、イスラム到来以降のインドの文化はイスラムとヒンズー両文明混淆の産物以外のなにものでもない、ということです。
 例えば、インド亜大陸における二大言語であるウルドゥー語とヒンディー語は、どちらも、ペルシャ語ないしアラビア語の単語がサンスクリット由来のインドの土着言語に大幅に取り入れられて生まれた言語ですし、イスラム建築とヒンズー建築の弁証法的昇華の産物とでも言うべき建築物が、アジアで最初にノーベル文学賞を授与されたインド人タゴールがこよなく愛でたタージ・マハールです(コラム#287)。
 以下、各論です。
 第三に、彼らは13世紀から18世紀にかけて、インドのイスラム勢力によって6万ものヒンズー教寺院において涜神行為が行われたと主張していますが、確証があるのは80くらいですし、いずれも宗教上の理由ではなく、政治的理由に基づく涜神行為であることが明らかになっています。むしろイスラム勢力は、ヒンズー教寺院の保護に努力したのであり、ムガール帝国では、重臣がオリッサ地方のヒンズーの大祭典に継続的に列席したという記録が残っています。

(続く)