太田述正コラム#0321(2004.4.16)
<パレスティナ紛争の終焉>

1 始めに

 イラク情勢の緊迫化に目を奪われている間に、中東に関し、画期的な動きがありました。
 パレスティナ紛争の終焉です。
私は1月23日付のコラム(注1)で、「昨年11月末には、シャロン首相から、パレスティナ側が和平交渉に応じなければ、占領地内のイスラエル入植地の一部からは撤退した上で、一方的に境界線の確定をすることになる、という「恫喝」が行われ・・12月末には、ヤーロン参謀総長らが、・・障壁の構築<等>・・によって自爆テロ・・の押さえ込みにほぼ成功したと述べ・・パレスティナ紛争・・勝利宣言を行いました。・・米国は、シャロンが示唆した一方的解決策には反対していますが、イスラエル側が断行してしまえば、それを覆す意思まではなさそうです。」と述べたところです(コラム#237)。

(注1)このコラムは昨年10月14日付から連載を開始した「「降伏」した北朝鮮とパレスティナ」というコラムの四番目であることが示すように、私は昨年10月半ばの時点で、イスラエルの「勝利」とパレスティナ側の「降伏」、更にはイスラエルによるパレスティナ側の降伏条件の一方的確定、を見通していた。

それからわずか三ヶ月弱で、半世紀以上にわたって続いたパレスティナ紛争は、一挙に終焉を迎えました。昨年11月からのイスラエルと米国との交渉の結果(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A16008-2004Apr15?language=printer。4月16日アクセス)、米国のブッシュ大統領が訪米したシャロン首相と会い、上記「恫喝」に沿ったシャロン首相のパレスティナ紛争解決策(disengagement plan)をほぼ全面的に承認したからです。

2 シャロンの解決策とブッシュの声明

シャロン首相の解決策の骨子は、
ア 7000人のイスラエル人入植者のいるガザ地区の21カ所の入植地をすべて廃止し、ヨルダン川西岸地区(20万人以上のイスラエル人入植者がいる)においては、500人入植者がいる北西部の4カ所の入植地を廃止する。
イ テロリストの侵入を防止するための障壁の建設は続ける。
http://www.guardian.co.uk/israel/Story/0,2763,1192206,00.html(4月15日アクセスhttp://www.us-israel.org/jsource/Peace/gazasettle2.html(4月16日アクセス)及びhttp://www.haaretz.com/hasen/pages/ShArt.jhtml?itemNo=416024&contrassID=1&subContrassID=1&sbSubContrassID=0&listSrc=Y(4月16日アクセス))
というものです。

 ブッシュ大統領は、シャロン首相との交換公文において、
ア この解決策を歓迎する。
イ パレスティナ難民のイスラエルへの帰還は認められない。
ウ イスラエルと将来のパレスティナ国家との間の境界は、イスラエルによる土地利用の実態(realities on the ground)を踏まえて決定されなければならない。(シャロン首相の解決策のアを実行した結果が将来の境界設定のベースとなりうるということ(太田)。)
という声明を行いました。
イは、国連総会決議第194号(1948年)で保証されていた難民帰還権が否定されたということであり、ウは、ヨルダン川西岸及びガザからのイスラエル軍撤退及び入植地撤廃を求めた国連安保理決議第242号(1967年)、第338号(1973年)が反故にされたということです(http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040430/mng_____tokuho__000.shtml。5月1日アクセス)。

3 反響

英国政府は、このブッシュ大統領の対応を歓迎する声明を発表しましたが、パレスティナ当局は当然のことながら拒絶反応を示し(ガーディアン前掲)、アラブ連盟のムーサ事務局長とEUのソラナ外交担当がそれぞれ反対を表明しました(http://news.ft.com/servlet/ContentServer?pagename=FT.com/StoryFT/FullStory&c=StoryFT&cid=1079420373047&p=1012571727102。4月16日アクセス)。

英国の政府部内では、ことここに至るまでには相当確執があったようですhttp://politics.guardian.co.uk/foreignaffairs/story/0,11538,1193134,00.html。4月16日アクセス)が、結果的には、イラク戦争の場合と同様、「米英・イスラエル」対「欧州・イスラム圏等」、という対立の図式が鮮明になりました。
 そして、欧州諸国の大部分とイスラム圏全体及びロシア等の反対を押し切ってイラク戦争が行われ、イラクで体制変革が成し遂げられたように、国連の諸決議や国際法、そして国際的コンセンサスに逆らって、米英・イスラエルの設定した降伏条件をパレスティナ側に押しつける形でパレスティナ紛争は終焉を迎えたのです。
 早くも、イスラエル国内において、このブッシュの声明を、バルフォア宣言(注2)になぞらえる声があがっています(http://www.guardian.co.uk/israel/Story/0,2763,1193157,00.html。4月16日アクセス)。

 (注2)イスラエル国家の設立を認めた1917年の英国外相アーサー・バルフォア(Arthur Balfore)の英国シオニスト会長ロスチャイルド(Rothchild)卿宛て書簡(http://www.tabiken.com/history/doc/O/O368L100.HTM。4月16日アクセス)。

4 コメント

 このブッシュ大統領の動きについて、イラクでの失敗もこれあり、大統領選挙の際のキリスト教右派票やユダヤ人票をねらった点数稼ぎだと酷評するむきもあります(冒頭のガーディアン)。
しかし、話は全く逆なのではないでしょうか。
私は以前、「米国がアフガニスタンとイラクで武力を用いて自由・民主化に向けて体制を変革し、過激派退治を行っていることと、米英の長年にわたる粘り強い外交努力、の二つが両々あいまって・・中東の全般的な平穏化<がもたらされましたが、これは>パレスティナ紛争にも影響を与えざるをえません」と述べたことがあります(コラム#235)。
このように中東の戦略環境が米国にとって根底から有利な方向に変化したおかげで、ブッシュ大統領は、心おきなくホンネベースでパレスティナ紛争終焉に向けてコミットできたのだ、と私は見ているのです。