太田述正コラム#7694(2015.5.29)
<アンドリュー・ジャクソン大統領のおぞましさ(その5)>(2015.9.13公開)
 「19世紀後半における、(西部の戦争(War of the West)と呼ぶこともできるところの、)<米国の対>インディアン諸戦争は、本当は実は東部で始まったのだ。
 すなわち、チェロキー族の移住は、諸部族と米国との間の外交と交渉という政策の終焉を画し、大平原(Plains)からカリフォルニアに至る諸部族に影響を与えたところの、巨大で血腥い期間の到来を告げた。
 我々はまた、南北戦争が、いくつかの意味で、主権と統制に係る諸論点を巡って1830年代に始まっていたことを見出すことができる。
 その底に横たわっていたのは、深い、殆んどとめどのない、土地の追求だった。
 恐らく、ジャクソンよりも強欲な米大統領は存在しないだろう。
 1812年の<米英>戦争の後、米国南東部における対インディアン戦の責任者たる陸軍大佐として、彼は、自身の軍事的諸征服を自分自身と彼の事業仲間達のための、アラバマとテネシーにおける巨大な広野群(tracts)を買うために用いた。
 何百万エーカーものインディアンの土地を「解放」し、それを入植地に編入した後、彼は、自分の公人としての地位を、土地諸公売の序列1位に自分自身と彼の友人達を着け、彼の友人達を測量士達として雇い、そして、(自分自身のために最良の<土地>諸片を取り分けてもらっておくために鼻薬群や賄賂群を駆使しつつ)部族指導者達と闇取引を行う、ために用いた。・・・
 ジャクソンは、もちろん、彼の時代と文化あっての男だったが、もとより、全ての男達がジャクソンのようであったわけではない。
 政府の中にも外にも、彼の貪欲と暴力を嘆いた者は大勢いた。
 彼の時代の物差しに照らしても、彼は、自分自身の市場占有率を増大させるために、自分のインディアン同盟者達や友人達を無造作に捨て去ったところの、私利的で貪欲で反道徳的な投機家だった。
 ロスに関しては、彼の物語は読むのが心痛む。
 我々は、全面開花した彼に出会う。
 彼は、若く、バイリンガルで明晰に語り、教養があった。
 彼は、米国政府が彼に求めたことを全て行うことで、米国とジャクソンが、彼の人々が払った犠牲を尊重するよう期待した。
 <しかし、>徐々に彼の<かかる、米国政府とジャクソンに対する>信頼(faith)は無に帰して行くことになる(is undone)。
 それでもなお、ワシントンを訪問し、議員達にロビー活動を行い、最初のチェロキー族の新聞に自分の財産から資金を提供した彼は、彼の人々のために言葉でもって戦ったものの、武力でもって敗北させられたのだった。」(A)
 (5)法的対決
 「チェロキー族は、民主主義の下で、彼らが甚だしく数において劣っていることを自覚した。
 彼らの数はとても少なかったし、そもそも、連邦の諸選挙で彼らは投票することが許されなかった。
 だから、彼らは白人の同盟者達を必要とした。
 そしてそれらを得た。
 彼らは、米最高裁に提訴することさえ行い、勝訴した。
 恐らく最も有名な最高裁長官であるところの、ジョン・マーシャル(John Marshall)<(注8)(コラム#1028、3548)>は、彼らを勝たせ、本当に驚くべき判決の中で、チェロキー族が自分達の土地において自治を行う権利を有し、その権利を植民地時代より前から保有していたことは、目をくらませるほど(blindingly)明白である、と言明した。
 (注8)1755~1835年。最高裁長官:1801~35年。独立戦争兵士、弁護士、下院議員、国務長官を経て最高裁長官。「マーベリー対マディソン判決<における彼の>・・・法廷意見によって・・・<米国において、>違憲立法審査権が確立された」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB
 「マーベリー対マディソン事件 (Marbury v. Madison, 5 U.S. 137(1803)) は、<米>最高裁判所の判決で<あり>、世界で初めて違憲審査制を確立した<ことで>有名」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%AF%BE%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BD%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 しかし、これはややこしい物語なのだが、最終的には、この判決が実現されることは何一つ起こらなかったのだ。
 チェロキー族は、勝利したにもかかわらず、敗北したのだ。」(B)
 「<この判決が下された時、>時の大統領のジャクソンは、ロスに肘鉄を食らわせた(rebuffed)。
 ジャクソンは、「そりゃ、奴ら<(=裁判官達?(太田))>の決定だ。今度は、奴らがそれを実現しようと試みるのを高みの見物するとするか」、と言ったとされる。
 それ以降は、<インディアン>移住は不可避となった。
 連邦インディアン政策の大きな転換もまた不可避となった。
 その時点までは米国政府は部族達に外交を通じて、そして、しばしば、外交的に対応した。
 しかし、それ以降は、米国とこの国の全域の部族達は、不可避的にその世紀の終わりに至るまで続くこととなる、赤裸々な紛争へと堕ちて行ったのだ。」(A)
⇒本人が自発的に辞めない限り終身制である米最高裁裁判官達の集団的判断が、時勢に即したところの、その時々の大統領や議会の判断と往々にして抵触するのは、米国の政治制度の宿痾の一つですが、本件に関するマーシャル最高裁の判断は、明確に大統領/議会の判断と抵触するものではなかったはずです。
 精査する労を惜しんでは本来ならないのですが、最高裁が、「チェロキー族<は>自分達の土地において自治を行う権利を有し、その権利を植民地時代より前から保有していた」と直截的に判示したはずがありません。
 「チェロキー族」を「インディアン」ないし「アメリカ原住民」という一般名詞に置き換えたら、そんな判示はありえないのであり、イギリス等からの入植によって始まったところの、英領北米植民地、ひいては米国の全歴史を否定し、入植以前の時点まで歴史を蒔き戻さなければならなくなってしまうからです。
 例えば、「チェロキー族」の前に、「●●●であり、〇〇〇を遵守しているところの」といった制限修飾句が長々とついていた可能性があります。
 そうであったとすれば、大統領/議会側が、「チェロキー族」の大部分は、実際には、「●●●」ではなく、「〇〇〇」も遵守していないので、といった釈明をする余地が生じ、本件に係る判決の実行を事実上棚上げすることができることになります。
 或いはまた、「チェロキー族・・・の土地」に様々な留保を付けていた可能性だってあります。
 (そもそも、最高裁の判例拘束性を大統領/議会が否定することなど、三権分立制に立脚したところの、米国憲法の全否定であって、米国そのものの否定を意味することから、ありえないのですからね。)(太田)
(続く)