太田述正コラム#0337(2004.5.2)
<宗教雑感(その2)>

 (今月27日(木)に大分県大分市に所用で行くことになるかもしれません。前日か当日の晩飯時に私を囲むオフ会に参加するご意向のある現地の読者の方がいらっしゃったら、私にメールをください。)

 私としては、宗教の以上のような部分、すなわち呪術業、儀典サービス業、現世利益・権力の追求、は願い下げです。
そもそも、宗教の宗教たるゆえんはどこにあるのでしょうか。換言すれば、呪術業や儀典サービス業や世俗的利益・権力の追求を放擲したとして、宗教に残る部分はあるのでしょうか。
 それはある、と言っていいでしょう。
一般に宗教においては、信徒が宗教的勤行にいそしむことによって(キリスト教的な宗教においては)神的なものと邂逅できたり(仏教的な宗教においては)解脱できたりすることとされています。この神的なものとの邂逅や解脱が、世俗的な悩みや苦痛からの解放をもたらしてくれる、というのが大方の宗教に共通する、宗教の核心的部分であると私は考えています。

3 宗教の中核的部分

(1)神的なものとの邂逅
カリフォルニア大学サンディエゴ校教授のVS・ラマチャンドラン博士は、側頭葉てんかんの人は、宗教的な画像や神などの宗教的な言葉を見るたびに、大きな発作的皮膚反応を起こすことを実験で明らかにしました。
博士はこの実験結果を踏まえ、側頭葉内に何らかの回路があって、こうした患者の場合にはそれが活性化され、その結果、その患者を宗教的信仰に傾きがちにさせるのではないかという仮説を立てました。
この仮説を補強したのが、キリスト教の安息日再臨派(Seventh Day Adventist)(注)の教祖、エレン・ホワイト(Ellen White)の生涯を研究した米国の神経病学者のグレゴリー・ホームズです。

(注)1863年設立。信徒1500万人以上。ちなみに、この宗派の癌罹患率は全米平均の53%に過ぎず、米国のあらゆる宗教宗派の中で最も罹患率が低い。これは、同派が酒、煙草、コ??ヒ??、香辛料などを禁じており、かつ菜食主義だからだろうとされている。(http://www007.upp.so-net.ne.jp/pathology/data-03.htm及びhttp://www.religioustolerance.org/sda.htm。5月2日アクセス)

 ホームズによれば、エレンは9歳の時に頭を強打しており、それ以来学校に通わなくなり、信心深くなって宗教的幻想を見るようになったが、これは強打によって発症した側頭葉てんかんのためだと考えられるというのです。
 ラマチャンドランやホームズらは、モーゼや聖パウロも側頭葉てんかんであった可能性が高いと考えています。ただし、側頭葉てんかん患者しか宗教的幻想を見ることができないというわけではなく、宗教的幻想を見ることができるか否かは、側頭葉内の「宗教」回路が活性化しているかどうかにかかっていると指摘しています。
(以上、特に断っていない限り、http://www.bbcworld-japan.com/uktopic/(2003年4月30日アクセス)による。)
さしずめイエス・キリストやムハンマドは、生まれつき回路が活性化していた宗教的「天才」だったのでしょう。
われわれのような、宗教的「鈍才」で側頭葉てんかん持ちでもない人間は、宗教的幻想を見る光栄に浴するのはあきらめた方がよさそうです。

(2)解脱
他方、米ウィスコンシン州立大学マディソン校における研究は、座禅を勤行の中に含む仏教宗派の長年の信徒の左前頭葉前部(left prefrontal lobe)の活動は、座禅をしていない時も活発であることを明らかにしました。
この大脳の部位は前向きの感情、自己コントロール、気分を司っていることから、このような信徒は、幸福でありかつ心の平安が得られているはずだというのです。
また、カリフォルニア大学サンフランシスコ校における研究は、同様の信徒について、恐怖の記憶を司る大脳の部位が平静化していることを明らかにしました。
つまりこれら信徒は、ショックを受けたり、イライラしたり、びっくりしたり、怒ったりすることが少ないはずだというのです。
(以上、http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/3047291.stm(2003年5月22日アクセス)による。)
 どうやら、座禅さえまじめに続けておれば、誰でもやがては解脱ができる、ということのようですね。

4 感想

 仏教は無神論に立脚する、まことにユニークな世界宗教です。
 だからこそというべきでしょうか、以上ご紹介してきたように、最近の米国での一連の研究は、仏教・・のうち座禅を伴う仏教の宗派・・のみが科学によって裏付けられた宗教であること、従ってまたてんかん患者や宗教的天才だけの宗教ではなく凡愚の衆生のための宗教であること、を証明しつつあります。
 かつては日本の鈴木大拙(1870??1966年)が禅を哲学的に世界に英文で紹介し、禅の普及に貢献しました(http://web.kyoto-inet.or.jp/people/mekata-h/suzukitaisetu.html。5月2日アクセス)。
 日本が生んだ唯一の哲学者と言ってもよい西田幾多郎の哲学も禅の強い影響を受けています(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%94%B0%E5%B9%BE%E5%A4%9A%E9%83%8E。5月2日アクセス)。
 しかしその後、(座禅を伴う)仏教を背景に世界で活躍する14世ダライ・ラマ(1935年??。1989年ノーベル平和賞受賞。(http://www.otrfilm.com/2cast/dalai.html。5月2日アクセス))のような人物を日本は輩出していません。
 世界の衆生の多くは今でも宗教を必要としています。しかし、有神論、就中一神論に立脚するキリスト教のような宗教は本来的に原理主義的志向を持ち、排他的であるので、世界で対立、紛争が生起する原因になっています。
 日本の禅宗系を中心とする仏教界は、チベット仏教界等と協力して、座禅の世界への普及に努め、キリスト教徒らの「救済」を図って欲しいものです。ただし、あくまでも仏教、あるいは仏教の一宗派の布教ではなく、座禅という方法論の普及に徹することを希望しておきましょう。

(完)