太田述正コラム#7798(2015.7.20)
<米独立革命の罪(その6)>(2015.11.4公開)
「トーマス・ジェファーソンの隣人の・・・フィリッポ・マッゼイ<(前出)>は、「「有名な革命が北アメリカで成功した後になって、そして、自由と平等を呼吸した新しい諸政府のための諸原理が確立した後になって、米国で奴隷制が依然として存在し得るなどということ」がどうして可能だったのか、と問うた。」・・・
 自分達の諸見聞を記録した人々の大部分は米国人か欧州人だったが、若干の自由人たる黒人達も日誌群を書いた。
 そのうちの一つが、・・・『イクイアノの生涯の興味深い物語(The Interesting Narrative of the Life of Olaudah Equiano)』<(注19)>だ。
 (注19)『アフリカ人、イクイアーノの生涯の興味深い物語』というタイトルで、邦訳が出ている。
https://bookwebpro.kinokuniya.co.jp/wshosea.cgi?CSTCLS=8&W-NIPS=9988396902&REFERER=0
⇒イクイアノは、その中で、「激しく悪を糾弾するのでなく、静かに事実を語り、神の赦しを説いた」というのですが、
http://pascal-davidjunker.blogspot.jp/2011/05/blog-post_18.html
キリスト教の名の下に奴隷制が新大陸に普及し、カトリック教会に至っては、「既に英国とそのすべての植民地、また<米>国、オーストリア、フランス、プロシア、ロシア、チリ、エクアドル、アルゼンチン、ペルー、ベネズエラ、その他の文明国家では廃止されていた」1886年の段階で、いまだに、奴隷制はカトリック教理に相反しないとの文書を発出している
http://www.womenpriests.org/jp/ch02.pdf
という始末であって、キリスト教(の神)こそが奴隷制のプロモーターであったというのに、彼は、身体的にこそ自由人になったけれども、キリスト教徒に改宗したことで、生涯、愚昧な奴隷の言葉を使う(使わされた)ところの、精神的奴隷であり続けた、というわけです。(太田)
 イクイアノの物語はアフリカから始まる。
 彼は、捉えられ、奴隷として働かされるために北アメリカに連れていかれ、それから、自分の自由を買い戻す、という自分の経験を物語る。
 それから、彼は、自分の人生の多くを、諸大陸間を旅行し、複数の諸アイデンティティを用いることで、19世紀初において、「多くの人々によって抱かれていたところの、固定された諸アイデンティティ」に挑戦し続けた。
 彼は、「アフリカ生まれ」ではあるが、「殆んどイギリス人」だった。
 彼は、講演界においても人気があり、自分の本の販売をプロモートした。・・・」(F)
 (6)終わりに
 「・・・仮に、パンフレット群が革命的諸議論を始めたとすれば、新聞群は政治的議論を増幅させ、諸クラブにおける扇動的な(incendiary)修辞をしばしばエスカレートさせた。
 政治的諸ニュースに対する需要は極めて大きく、諸クラブは、…しばしば、一人の読者が一つの新聞を独占できる時間を制限し、次の人が読めるようにした。・・・
 「この全球的時代<である現代>において、」我々は、「国際主義のルーツは国民国家群と同じ位古いこと、諸人権のための諸闘争は、大西洋世界を、200年間を超える期間、繋ぎ合わせてきた」ことを想い起させられる。・・・」(F)
⇒米独立革命がもたらした革命のチェーンリアクションについて、ポラスキーは、随所に鋭い批判的分析を挟みつつも、結局は、当たり障りのない結論でお茶を濁してしまっています。
 私なら、次のような結論にしたことでしょう。
 米独立革命は、タテマエとしては、自由・平等・民主を掲げて行われ、フランス革命は、自由・平等・博愛を掲げて行われた(典拠省略)ところ、両者の最大公約数をとれば、自由・平等・民主・博愛、ということになる。
 しかし、どちらも、ホンネとしては、特定の集団による、利己的な、カネと権力を求めての、残りの全ての諸集団の抑圧・搾取・除去を意図した暴力的闘争だった。
 資源の豊富な英領北米植民地/米国ではカネが戦利品のメイン、資源の稀少なフランスでは権力が戦利品のメインたらざるをえなかったが、当然のことながら、資源が稀少である点において共通していた、その後の欧州諸国や諸地域における革命では、権力が戦利品のメインとなった。
 この「諸革命の多くが、それまでの人類史上の諸革命に比し、流血の程度を含め、失敗の度合いが甚だしく大きいものになったのは」(前出)、暴力的闘争に勝利を収めた特定の集団(α)内の特定の人が同じα内の他の人からカネ・権力を収奪できる限界があるとの「自由」の観念、α内の人々はこの限界を同じくするという「平等」の観念、α内の人々はα全体としての意思決定を一人一票の多数決によって行うべきであるとの「民主」の観念、そして、「自由」「平等」「民主」は利他主義に立脚しているとの「博愛」の観念、がしからしめたもの。
 なぜならば、αは、権力を用いて、当該社会内の残余の諸集団・・女性、奴隷、貴族、ブルジョワ、地主、農民、反党分子、インテリ、等々・・、及び、当該社会外のあらゆる諸集団・・君主主義諸国、帝国主義諸国、ファシスト諸国、等々・・、からカネと権力を無制限に収奪すること、を前提にしていた上に、α内においても、異分子を「博愛」精神に反する者と見なしてα外へ追放したり、場合によっては抹殺したりすることすらありえた、がゆえに、基本的に、当該社会内外のあらゆるレベルにおいて潜在的顕在的な紛争を多発させる羽目に陥ったからだ。(太田)
(完)