太田述正コラム#8054(2015.11.25)
<鄭大均編『日韓併合期ベストエッセイ集』を読む(その11)>(2016.3.11公開)
 「日本在来の文化、特に今日の文化や生活様式に尚根を張れる徳川期の文化や生活様式が、非常に特殊な、地方的なものだという事である。
⇒後で改めて触れますが、また、文化か生活様式かによって、若干の違いがありますが、基本的に誤りであり、その正反対です。(太田)
 日本の文化は朝鮮のそれと同じく、大体から見て東洋文化中支那文化の系統に属するものである。
⇒やはり、基本的に誤りであり、支那や朝鮮とは別系統に属します。(太田)
 然し支那の文化がその中にインド的又はヨーロッパ的、即ち文化史的に見て世界的な国際的な文化を多大に包蔵することに就いての学問的研究は暫く措いて、我々が現在の中華人の生活様式に就いて見ても、その服装、その住宅、その食物その他が、日本人に近いか西洋人に近いかは容易に断じ難い。
 一歩を譲ってそれが日本人に近いとしても、更に問を換えて、中華人の生活と日本人の生活と何れが西洋人に近いかといえば、誰も中華人がより近いことを断ずるに躊躇しないであろう。
⇒(昔の日本の話ですが)坐るか腰かけるか、という点だけに着目すればともかく、欧米、支那、日本は、それぞれ異なっている、と言うべきでしょう。(太田)
 同じことが程度こそ下れ、朝鮮人と内地人とについてもいい得られる。
⇒支那・朝鮮と日本を並列的に論じるべきでしょう。(太田)
 朝鮮は支那と日本との間に介在して、古来支那文化を日本に伝える中間地帯たる役目を務めて来た。
 その支那的色彩は勿論支那本土より薄いが、然し内地よりは濃い。
 日本内地は地理的に見ても支那文化波及の末端であり、支那文化はそれから先へは太平洋に身を投ずるより外はなかった。
⇒表見的にはその通りですが・・。(太田)
 そういう制約が日本に於ける支那文化をせきとめて特殊化し、朝鮮に於けるそれを発散せしめ特殊化を少くしたことは、十分に考え得られる。
 かくして朝鮮文化は内地文化よりもより多く支那的、従って又一般的である。
⇒結果的に、安倍は、支那と日本の異質性を指摘しているわけです。
 支那の文化を大量に継受しながら、どうして日本は異質であり続けたのか、を彼は熟考すべきでした。
 そうしておれば、或いは、安倍は、日本は、「特殊」な支那に対するところの、普遍的な存在である、という意味で支那とは異質であること、に気付いたかもしれません。(太田)
 ・・・簡単に結論すれば、朝鮮人の生活様式は内地人のそれよりも西洋人に近い。
 それは服装、食物、生活から見てそうである。
 服装は誰も同意するだろう。
 食物は米食に於ては内地人と共通だが、獣肉を多く食する点に於いて西洋人により近い。
 その大多数の矮屋<(注13)>にしても、屋根や壁を厚くして外なる自然の力を防御する点に於て、原理的には西洋の建築により近きものがある。
 (注13)わいおく。「低くて小さい家。また,自分の家の謙称。」
https://kotobank.jp/word/%E7%9F%AE%E5%B1%8B-414879
⇒これも、表見的にはその通りですが・・。(太田)
 比較が余り簡単であっけないかも知れぬが、之を要するに、日本在来の文化は、世界文化の中で、最終的な、国際的要素の少い、地方的なものであった。
 現代世界に流行して居る西洋文化を以て現代の世界文化を代表せしめれば、それは最も世界的たることの少い文化であった。
 文化というのがいやなら生活様式といってもよい。・・・
⇒繰り返しますが、断じて否であり、その正反対なのです。(太田)
 日本人の生活様式の異常な特殊性を増大する<もう一つ>の理由は、かかる特殊な生活様式なり文化なりを有する国民が、世界中で一番縁の遠い西洋文化を勇敢に思切って受容れたという事情である。
⇒日本こそ普遍的な存在であり、だからこそ基本が揺らぐことがないのであって、それが、支那のものであれ、欧米のものであれ、進んだ部分や良い部分を思い切って大量に、日本が、継受することを可能にし、現に継受してきた、ということなのです。(太田)
 これは・・・支那人や朝鮮人に於けるよりも一層の混乱、従って異常を現出することは、十分に考え得られることである。・・・
⇒思い切って大量に継受した際には、一時的に混乱や異常が現出するけれど、早晩、混乱や異常は解消され、日本は更なる高みに到達する、ということが、支那文化継受、欧米文化継受の際に繰り返された、と、安倍よりも後の世代の我々は、自信をもって結論付けることができます。(太田)
 昔から日本人の持って居た、そうして今も尚我々の中に残って居る生活様式を、仮に日本的生活というならば、それは特殊的な美点も好所も持って居るが、そのままでは地方的であって、これを世界的国際的に発展させ得るような性質は少い。・・・
 かかる限界は大部分に於て徳川時代的といい得るものであろう。
 この点に於て我々は徳川時代を揚棄せねばならない。」(413~415、420・422安倍能成)
⇒安倍の提言とは正反対の、徳川時代への回帰によるところの日本型政治経済体制の構築によって日本が更に高い普遍的存在となったこと、を我々は知っています。
 同じことが生活様式に関しても言えます。
 明治維新以後、日本は肉食をメインとする洋食を欧米から継受したけれど、洋食を和食と弁証法的に止揚させたことを一つの要因として世界一の長寿社会を実現したところ、この止揚された食生活を象徴するものの一つが肉食シェアの低さです。
 すなわち、経済発展とともに肉食シェアを拡大させてきている、日本以外の非欧米諸社会とは異なり、日本は相対的に肉食シェアの低い社会であり続けており(注14)、肉食シェアの小さい食生活に普遍性があることが証明された、と言ってよいでしょう。
 (注14)「2009~11年平均・・・<で見ると、欧州>とその植民地として発達した大洋州、米州では、肉類の占めるシェアが大きく、肉食文化圏としての特色が出ている。・・・<それ>以外の地域の中では、<支那>の肉類比率が大きいのが目立っている・・・。中華料理の伝統に加え、経済発展とともに豚肉を中心に消費が拡大している結果である・・・。<欧州・支那>以外でも経済発展した東アジアや東南アジアではある程度肉類のシェアが大きくなっているが、イスラム圏諸国あるいはインドでは肉食を忌避するもともとの食文化に加え経済発展度の低さから肉類は少ない。日本は・・・先進国の中では最低である」
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/0205.html
 なお、前にも申し上げたことがありますが、いずれも欧米風と和風を弁証法的に止揚したところの、日本の腰かける、しかし、靴を脱ぐ住居や、洗い場のある風呂、等もまた、今後、普遍性あるものとして、世界に普及していくことでしょう。(太田)
3 終わりに代えて
 かつて日本の女性は全員売春婦だった、そして、日本の家は全て売春宿だった、と私が指摘したのは、誇張はあっても決して間違いだとは思っていませんが、大事なことは、それが、女性優位の下での話であったことです。
 他方、朝鮮もまた女性は全員売春婦であったと言えそうなことを今回執筆の過程で知りましたが、それが、男性の絶対的優位の下での話であったことが日本とは大違いであり、それが故に、現在の韓国の女性達の売春観は決定的に歪んだものになってしまっている、と見てよいのではないでしょうか。
 しかも、更にこれに、キリスト教に由来する売春観が上乗せされているのですから、慰安婦問題が、かくもこじれるのも当然でしょうね。
(完)