太田述正コラム#8168(2016.1.21)
<狩猟採集時代の暴力性問題再訪>(2016.5.7公開)
1 始めに
 本日、表記に係る新発見についての記事が出ていたところ、私のかねてよりの強い関心事項の一つであることから、下掲の2紙の記事のさわりをご紹介し、私のコメントを付すことにしました。
A:http://www.theguardian.com/science/2016/jan/20/stone-age-massacre-offers-earliest-evidence-human-warfare-kenya
B:http://www.nytimes.com/2016/01/21/science/prehistoric-massacre-ancient-humans-lake-turkana-kenya.html?hp&action=click&pgtype=Homepage&clickSource=story-heading&module=second-column-region&region=top-news&WT.nav=top-news&_r=0
2 狩猟採集時代の暴力性問題再訪
 (1)発見したもの
 その場所は、ケニアのトゥルカナ(Turkana)湖の岸の脇の沼(lagoon)だった。
 時は、約10,000年前。
 ある狩猟採集者達の集団がもう一つの集団を攻撃し、殺戮し、頭蓋骨を陥没させたり、矢や槍の穂先を突き刺したり、ひどい諸傷を負わせたりした。
 [27人の]死者・・・は、無秩序にばらまかれた状態だった。
 そして、やがて、湖からの沈殿物によって覆われ、保持されてきた。
 比較的完全な遺骨12体のうち、10体は、暴力的な死のまごうかたなき諸兆候が示されていた・・・。
 このほか、少なくとも15<(17?(太田))>体がその場所で発見されたが、同じ攻撃によって死んだと考えられている。・・・」(B)([]内はA)
 「・・・彼らの死の証拠は生々しく(graphic)まごうかたないものだった。
 すなわち、遺体群には、少なくとも8人の女性達と6人の子供達が含まれていたが、頭蓋骨が陥没し、骨群には石の矢群と刃先群(blades)が突き抜けたり突き刺さったりしており、4つの諸事例では、諸手が縛られていたことはほぼ間違いがない。・・・」(A)
 (2)解釈
 「・・・<今回の発見をした専門家の一人>は、矢群のほか、二種類の大きさの棍棒群が使用された<、とする。>
 <彼女は、>額群、顎群、手群の深い諸切り傷は、石の刃群を装着した、第三の種類の武器が使用されたに違いないことを意味する、と述べている。
 その石は黒曜石であり、この地域には殆ど存在しないことから、彼女は、「<それは、>攻撃者達が他の場所からやってきたことを示唆している」と述べている。・・・」(B)
 「<湖の>脇の沼に横たわっていた一人の男性の頭蓋骨には、鈍器で殴られてできたと思われるところの、正面と左側に複数の傷害群があった。・・・
 <これは、>諸攻撃が、狩猟採集者達の諸相互関係の通常の<行動の>一環であったことを証明している。・・・
 <すなわち、これは、>若干の前史的な狩猟採集者達の間で、集団間の関係のレパートリーの一部分が戦争であったことのユニークな証拠なのだ。・・・
 <この>虐殺は、領域、女性達、子供達、諸土器(pots)に貯蔵されていた食糧、・・それらは、諸集落に対する激しい諸攻撃がその社会相互間では生活の一部であったところの、後の食糧を生産している農業諸社会におけるそれらと同様の価値があった・・といった諸資源の奪取する試みの帰結だったのかもしれない。・・・」(A)
⇒激しく不同意です。(太田)
 「・・・<今回の発見をした専門家達>は、この襲撃は、諸資源のためなのか、或いは、古の狩猟採集者達の間でありふれていたところの、しかし、殆ど<その跡が>保持されることのない、組織的暴力の一事例なのか、である、と言っている。
 当時は、トゥルカナ湖地域は、極め付きに豊饒な時代だった。
 この地域で土器が発見されていることは、当時の、糧秣漁り達の若干の諸集団が、食糧を貯蔵していたこと・・これは盗むに値する諸資源だ・・を示唆している。
⇒農業社会を先取りしたような、食糧余剰が生じていた地域だった、という可能性が、私も高いと思います。(太田)
 或いは、攻撃者達は、捕虜達を求めていた、という可能性もある。
 若い10代の少年の諸骨はこの場所から発見されたし、大人達と6歳未満の子供達の遺体群も発見されたのだけれど、10代後半の子供達の遺体群は発見されなかった。
 <ということは、>彼らは、攻撃者達によって連れ去られのかもしれない。・・・」(B)
⇒狩猟採集社会、すなわち、移動を常態とする社会において、奴隷使用は、常に逃げられる危険性があることから、考えにくいのではないでしょうか。(太田)
 (3)結論
 「・・・我々の生物性(biology)の中には、まさに非常に世話好き(caring)で好意的(loving)なものと同時に、攻撃的で致死的なものとがある、ことは疑う余地がない。
 人間に係る進化生物学の<業績の>多くが、この二つが、同じ貨幣の両面であることを示唆している。・・・」(A)
⇒少なくとも、「進化生物学の<業績の>多く」を若干なりともあげてもらわなければ、到底同意しかねます。(太田)
 「・・・暴力は、常に、人間の行動の一部であり続けてきたが、戦争の諸起源については激しく議論されているところだ。
 若干の専門家達は、チンパンジー達の諸集団の間の暴力的対峙を指摘して、我々の先祖の<暴力への>偏愛(predilection)の諸手掛かりとして、それが進化の中に深いルーツを持っている、と見ている。
 <しかし、>他の専門家達は、複雑かつ階統的な人間の諸社会、及び、襲撃されるべき農業上の諸余剰、の影響を強調している。・・・
⇒もちろん、後者が正しい、というのが私の考えです。(太田)
 誰も、・・・たった一つの発見がこの議論を収束させるとは示唆していないけれど、これは、糧秣を漁る社会における虐殺の最初に発見された事例かもしれない。
⇒これは、糧秣を漁る社会、すなわち、狩猟採集社会、における虐殺の発見事例がいかに少ないかを物語っています。(太田)
 しばらく前におけるスーダンでの発見では、集団間暴力の犠牲者達の埋葬群が見出されたが、その社会は、より定住的であった可能性があった。・・・
 <こういう見解を述べる専門家もいる。>
 すなわち、遊牧的な糧秣漁り達が戦争を行うということは考えにくいのであって、戦争は、もっと複雑な諸社会で生起する傾向があり、これらの糧秣漁り達は、より定住的な生活への移行過程に既にあったかもしれない、という・・。・・・」(B)
⇒その可能性が高いでしょうね。(太田)