太田述正コラム#8266(2016.3.10)
<20世紀欧州内戦(その2)>(2016.7.11公開)
 (2)1970年代からの通説的史観
  ア ファシズムと共産主義の表見的類似
 「・・・ファシスト達は、共通してユダヤ人達と同性愛者達が名指しされたところの、弱さと堕落(degeneracy)、を嘆き、ムッソリーニが述べたように、戦争を「民族浄化(national hygiene)」・・いわゆる社会のカス達(dregs)を一掃し、男らしさを示すための一つのやり方・・の一形態とみなした。
 ファシスト文化は、身体的勇気を称揚し、死への軽侮を表明しつつ、兵士と戦闘を賛美した。
 国家政策とプロパガンダの中で打ち出された、ナタリスト(Natalist)<(注2)>・イデオロギーは、新しいファシスト達を世界にもたらすことが役割であるところの女性達を賛美した。
 (注2)「産児増加提唱者。社会的な理由、また国家の繁栄のためには子供を持つことが望ましいというナタリズムの支持者」
http://ejje.weblio.jp/content/Natalist
 欧米では戦間期に出生率が低下したが、スウェーデンの社会学者のミュルダール(Gunnar Myrdal)らは、社会保障を拡充し、国民皆医療保険・保育の実現によって人口減少を食い止めることを提唱した。
 ソ連は、戦中から、ポーランドは戦後、子供がいない者に税を課し、ルーマニアは、中絶を禁止するとともに、未婚の女性達と子供がいないカップル達に手術を強制し処罰を与えた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Natalism
 日本でも、「1941年(昭和16年)に閣議決定された「人口政策確立要綱」・・・で「東亜共栄圏ヲ建設シテ其ノ悠久ニシテ健全ナル発展ヲ図ルハ皇国ノ使命ナリ、之ガ達成ノ為ニハ人口政策ヲ確立シテ我国人口ノ急激ニシテ且ツ永続的ナル発展増殖ト其ノ資質ノ飛躍的ナル向上トヲ図ルト共ニ東亜ニ於ケル指導力ヲ確保スル為其ノ配置ヲ適正ニスルコト特ニ喫緊ノ要務ナリ」とし・・・これにより、夫婦は子どもを5人もうけることが目標とされ、都内のデパートには官主導の結婚相談所が開設されたり、10人以上の子沢山家庭には「子宝部隊」の称号と賞状が贈られたと<される>。」
http://www3.tokai.or.jp/shouzou/shozoryoku/rok22shosi.htm
 <ところが、>ソ連のプロパガンダも<ファシズム側と>似たような諸主題とイメージが持ち出されのであって、<例えば、>女性達は、しばしば、英雄的な男性たる革命家達の助手達として描写された。・・・」(C)
  イ ファシズムと共産主義の同一視
 上記のようなファシズムと共産主義の表見的類似もこれあり(太田)、「・・・今日のフランスとイタリアでは、<かつて、知識人の間では当然視されていたところの、>反ファシズム<史観>は困難に陥っている。
 1970年代から、その多くが、かつて共産主義者達であったところの、例えば、フランソワ・フュレ(Francois Furet)<(注3)>のような、歴史学者達と知識人達の一団が、<20世紀前半の>全体の期間(epoch)を対象に、近代の全てのイデオロギー的紛争の起源として書き直されたところの、フランス革命までも遡る、ファシズムと反ファシズムの血生臭い闘争を振り返りつつ、この両者の双方を批判し歴史化(historicise)する形で、再評価を行い始めた。
 (注3)1927~97年。歴史学者。パリ大学法学部卒、フランス共産党に入党しその後同党を去り、仏米の諸大学で教鞭を執る。
https://en.wikipedia.org/wiki/Fran%C3%A7ois_Furet
 彼らの英語圏における同類項達(counterparts)は第二次世界大戦についての新しい歴史学者達であって、ノーマン・ディヴィス(Norman Davies)<(注4)(コラム#3284)>やティモシー・スナイダー(Timothy Snyder)<(注5)(コラム#4326)>といった学者達は、この大戦(connflict)を、「血まみれの諸地域(bloodlands)」に住んでいたあらゆる人々を犠牲者達か下手人達に仕立て上げたところの、諸独裁の衝突以上のものでは殆どない、と見た。
 (注4)1939年~。「イギリスの歴史学者。専門は、ヨーロッパ史、ポーランド史、イギリス史。・・・ オックスフォード大・・・で学ぶ。フランス、イタリア、ポーランド・ヤギェウォ大学留学を経て、ポーランド・ソ連戦争に関する研究で博士号取得。ロンドン大学・・・教授を経て、現在、オックスフォード大学・・・フェロー。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9
 (注5)1969年~。「<エ>ール大学の教授で歴史家。専門は近代ナショナリズム史、中東欧史、ホロコースト論。・・・<米>ブラウン大学卒業。1997年、オックスフォード大学にて博士号を取得。その後パリ、ウィーン、ワルシャワ、そしてハーバード大学で研究員を務めた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC
 <こうして、>政治的妥協<の産物であった部分のある>(politically compromised)反ファシズム<史観>に代わって、人権<擁護>とホロコースト<非難>が、新しい世俗的宗教(civic religion)になったのだ。・・・」(A)
(続く)