太田述正コラム#8284(2016.3.19)
<メルケル・難民政策・キリスト教>(2016.7.20公開)
1 始めに
 本日のディスカッションで予告した、表記についてのコラム
http://foreignpolicy.com/2016/03/18/angela-merkels-misunderstood-christian-mission-eu/?wp_login_redirect=0
のさわりをご紹介し、私のコメントを付します。
2 メルケル・難民政策・キリスト教
 「・・・メルケルは、現在が、単にドイツやEUのためだけではなく、欧州の戦後期の支配的統治諸イデオロギーの一つであるキリスト教民主主義(Christian Democracy)にとっても、決定的瞬間であることを理解しているように見える。
 ドイツは、キリスト教民主<主義>党、すなわち、CDU、が、支配的地位にある、最後の主要国だ。・・・
 米国のメディアで一般に唱えられているところのものとは反対に、宗教は、欧州で、そして、欧州の政治の中で、引き続き重要な役割を果たしている。
 メルケルは、欧州のキリスト教の信者達に、彼女自身の銘柄であるところの「共感的保守主義(compassionate conservatism)」と、ハンガリーのヴィクトル・オルバーン(Viktor Orban)<(注1)>やポーランドのヤロスワフ・カチンスキ(Jarosław Kaczyński)<(注2)>といった指導者達によって提出されているヴィジョンであるところの、「キリスト教民族主義(Christian, national)」、の、どちらかを選ぶよう、効果的な形で強いているのだ。・・・
 (注1)1963年~。「1998年から2002年まで首相を務め、2010年5月から再度首相を務めている。・・・[カルヴァン派信徒。]エトヴェシュ・ロラーンド大学(ブダペシュト大学)[法学部]を卒業。[弁護士。]・・・社会主義体制末期の1988年、反政府組織「フィデス」の設立に参画し、抗議運動を始める。・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AB
https://en.wikipedia.org/wiki/Viktor_Orb%C3%A1n ([]内)
 (注2)1949年~。[カトリック信徒。ワルシャワ大法学部卒、同大法博。]「学生時代は、労働者保護委員会(「連帯」の前身)で、1980年代には「連帯」で政治活動を始めた。・・・2006年7月・・・、首相に就任した・・・結果、首相が兄・ヤロスワフ、大統領が弟・レフという、「双子政権」が誕生した<が、翌年、選挙に敗れ、>・・・双子政権は終焉を迎えた。2010年4月10日、弟のレフ<大統領>の乗った政府専用機がロシア西部スモレンスクにて墜落してレフ夫妻ら政府高官多数が死去したが・・・兄のヤロスワフは同行しておらず、難を逃れている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD
https://en.wikipedia.org/wiki/Jaros%C5%82aw_Kaczy%C5%84ski
 19世紀央以降、・・・キリスト教民主主義・・・は、特にカトリックの諸利益を擁護する欧州の諸政党を指名してきた。
 彼らは、とりわけ、カトリック教信徒達を、フランスの第三共和制のような、宗教一般に対して敵対的な諸世俗国家、や、市民の諸義務よりも法王庁への忠誠を優先しているのではないかとカトリック教信徒達を疑った諸政府・・その古典的事例が、1870年代の間に、統一されたばかりのドイツ帝国において、オットー・フォン・ビスマルク(Otto von Bismarck)首相がカトリック教信徒達に対して仕掛けた文化闘争(Kulturkampf)<(コラム#5228、7090)>・・、から、カトリック信徒達を守ろうとした。
 これらの諸政党が、自分達自身を「民主主義的」とか「大衆的(popular)」とか呼んでいた場合ですら、彼らは近代の代表民主主義を心の底から受容していたとは限らなかった。
 何らかの度合いにおいて自分達自身が普遍的真理を抱懐していると考えているところの、事実上全ての宗教的活動家達は、議会政治に内在するところの多元主義と折り合いをつけることは容易でない、と思っていた。
 というのも、多元主義は、相対主義と同値であるように見うけられたからだ。
 だから、少なくとも1950年代に至るまで、多くの欧州のカトリック信徒達が、・・そして、法王庁自身も、・・フランコ(Franco)のスペインにおける独裁制といった、この信仰に明確にコミットしていた諸専制的体制の方を好んだのは、偶然ではない。
 キリスト教民主主義が紛う余地なく民主主義的になったのは、1945年より後になってからのことだ。
 欧州における冷戦の前線諸国において、これらの諸政党が支配的役割を演じるようになったのも、その頃のことだ。
 キリスト教民主主義者達は、一段と優れた反共オプション、及び、自分達自身を提示した。 
 共産主義は無神で物質的であるのに対し、キリスト教民主主義は精神的である、と。
 共産主義は、全ての人と全てのものを集団的なものに従属させるのに対し、キリスト教民主主義は、個々の人間とコミュニティとを共存させる(reconcile)、と。
 更に、19世紀の欧州のリベラリズムのイデオロギーとは違って、キリスト教民主主義は、思いやりがない(callous)ということがなく、常に、貧者への強い憂慮を伴っていた、と。
 (もっとも、これらの進歩的な諸要素は、冷戦が進展し、キリスト教民主主義者達が、ドイツの社会民主主義者達やイタリアの共産主義者達とより明確に自分達を区別しようとした結果、弱くなった。)
 冷戦が終わると、キリスト教民主主義はイタリアでは事実上消滅した。
 同国では、キリスト教民主主義の党はずっと権力の座にあり、どんどん腐敗して行っていた。
 ドイツでも、<キリスト教民主主義は、>2013年まで次第に勢力が衰えて行ったが、メルケルの、ユーロ危機に対処することができる唯一の指導者、というイメージが、<ドイツの>国政諸選挙で40%を超える得票率をCDUが取ることを助けた。・・・
 メルケル自身、ルター派の牧師の娘だ・・・。・・・
 ドイツ人の61%は自分をキリスト教徒として同定している。・・・
 ケルン大司教は、メルケルを、「心を持ったキリスト教徒たる政治家」である、と祝福し、彼女の諸政策に対する無条件の支持を表明した。
 しかし、メルケル自身の党の若干は、<メルケルが唱える>ヴィルッコメンスクルトゥア(Willkommenskultu=歓迎文化)に反対してきた。
 すなわち、「CDU内の関与するカトリック信徒達の作業グループ(Working Group of Engaged Catholics in the CDU)」の座長は、「無統制の難民達の流入(knflux)」は「キリスト教的ではない」、と宣言している。
 このような諸声は、ドイツより東方の保守的指導者達の間に、その木霊を容易に見出すことができる。
 すなわち、2014年に「非リベラル(illiberal)国家」を創造する彼の計画を声明したところの、ハンガリー首相のヴィクトル・オルバーンは、「キリスト教欧州」を守るという名目の下で難民達に対して、国境を初めて閉ざした。
 彼にとっては、ポーランドの事実上の指導者であるヤロスワフ・カチンスキ同様、キリスト教は、一連の普遍的諸戒律(precepts)ではなく、対外的には閉ざされた(closed in on itself)民族(national)文化、を指し示して(designate)いるのだ。
 彼らの修辞においては、「開かれていること(openness)」は、タガの外れた(unfettered)資本主義と(結婚の諸相手等についての)無制限な個人的諸選択を意味しているのに対し、メルケルにおいては、それは、欧州の道徳的首尾一貫性(integrity)について語る一つの流儀(way)なのだ。
 ドイツのキリスト教民主主義の最も重要な歴史的諸業績の一つは、CDUが、何世紀にもわたる暴力的紛争の後、カトリック信徒達とプロテスタント信徒達とを結び付ける(unite)ことに成功したことだ。・・・
 その間、若干のプロテスタント信徒達は、メルケルは、プロテスタント信徒独特の(specifically)感受性に立脚してキリスト教民主主義をリニューアルしつつあるのかもしれない、と考えてきた。
 神学者のレイネル・ブッヒャー(Rainer Bucher)<(注3)>は、彼女を、暴力的な全球的紛争と搾取的な全球的資本主義の諸挑戦と取り組む(take on)「真面目な(sober)キリスト教リアリズム」、として評価してきた。・・・
 (注3)1956年~。カトリック神学者。独フライブルク大等で学び、現在、独グラーツ(Graz)大教授。
https://de.wikipedia.org/wiki/Rainer_Bucher 
 彼女は、欧州のキリスト教徒達に、赤裸々な(stark)選択肢を提示しつつある。・・・
 彼らが、排他的かつ守勢的かつ民族的(exclusionary, defensive, nationalist)なキリスト教を選ぶのか、それとも、包括的共感(compassion)を呼びかける声に耳を傾けるのか、という・・。
 一見定見がなさそうな(conviction-less)メルケルは、豈はからんや、道徳的諸掛け金(stakes)を高め、初めて、コンラッド・アデナウアー(Konrad Adenauer)の「諸実験を禁ず!」という至上命令(categorical imperative)を遵守する保守主義者、と、承継した政治秩序を少なくとも暫定的には不安定化させかねないところの、共感の諸形態に関与することを厭わないキリスト教徒、のどちらに自分達自身を主として規定(define)するか、という詰問を事実上突きつけているのだ。」
3 終わりに
 ある読者が、(ルター派信徒<(注4)>の)メルケル(Angela Merkel。1954年~)
https://en.wikipedia.org/wiki/Angela_Merkel
の難民政策は、彼女がリベラルキリスト教徒なるがゆえの極端にぶれたスタンスではないか、といった趣旨の指摘をしていたと思いますが、私も同感です。
 (注4)ドイツのルター派は、ドイツのプロテスタント諸派の連合体である、Evangelische Kirche in Deutschlandの一員であって、この連合体は、プロイセン時代に遡るところの、一種、イギリスの英国教のような存在、と言ってもよさそうだ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Evangelical_Church_in_Germany
 カルヴァン派信徒のオルバーンにしてもカトリック信徒のカチンスキにしても、はたまた、フランスの右翼の代表格たるカトリック信徒のマリーヌ・ル・ペン(Marine Le Pen。1968年~)
https://en.wikipedia.org/wiki/Marine_Le_Pen
にしても、いずれも、敬虔なキリスト教徒であるとは思えないのであって、さしずめ、メルケルはその左にぶれた存在であるのに対し、それ以外の3人は、その右にぶれた存在、と見ればよいのではないでしょうか。
 彼らに共通しているのは、プーチンほど鮮明ではないけれど、プーチン同様、アングロサクソン文明への憧憬を断ち切った上でのプロト欧州文明的なものへの回帰・・プーチンの場合は継受的回帰・・であり、その手段として、リベラルキリスト教的なものの「活用」がなされている、というのが私の見立てなのです。