太田述正コラム#8310(2016.4.1)
<ナチスの原点(II部)(その1)>(2016.8.2公開)
1 始めに
 それでは、引き続き、ヴォルカー・ウルリッヒ(Volker Ullrich)の『ヒットラー–伝記 第1巻:上昇 1889~1939年(Volker Ullrich;‘Hitler: A Biography, Volume I: Ascent, 1889 — 1939)』のさわりを諸書評をもとにご紹介し、私のコメントを付しましょう。
A:http://www.ft.com/intl/cms/s/0/da4890ec-e47f-11e5-a09b-1f8b0d268c39.html
(3月12日アクセス)
B:http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/reviews/adolf-hitler-volume-one-ascent-1889-1939-by-volker-ullrich-book-review-a6909926.html
(3月22日アクセス)
C:https://www.timeshighereducation.com/books/hitler-biography-volume-one-ascent-1889-1939-volker-ullrich
D:http://www.telegraph.co.uk/books/what-to-read/hitler-the-ascent-1889-1939-by-volker-ullrich-review-chilling-an/
E:http://www.theguardian.com/books/2016/mar/27/hitler-ascent-review-volker-ullrich-outstanding-study
(3月29日アクセス)
 なお、ウルリッヒは、ドイツのジャーナリストにして歴史学者であり、ハンブルク大で学び、同大で博士号を取得し、同大や別の研究所に在籍した後、1990年にディー・ツァイト(Die Zeit)週刊新聞の政治部長になった、という人物です。(A、C)
2 ナチスの原点(II部)
 (1)序
 「・・・<これは、>2013年にドイツ語で出版されてすぐにベストセラーになった本<の英訳だ。>・・・」(E)
 「それは、ヒットラーの生涯についての第1巻であり、[彼が、オーストリアの田舎にくすぶっていた頃から、戦争が始まる直前の]1939年までを扱っている。・・・」(B。但し、[]内はA)
 「・・・ドイツ語のヒットラーの伝記としては、1973年のヨアヒム・フェスト(Joachim Fest)の古典とされる物語以来のものだが、著者は、それ以降に発見された諸史料の山をもとに今回のものを構築しており、驚くほど多くの殆ど使われたことのなかった、或いは、最近発見された、一次諸史料を活用している。・・・」(C)
 
 「<ドイツで制作されたところの、>地下壕の中でのヒットラーの最後の日々を描いた映画である『失墜(Downfall)』、が2004年に上映され、ブルーノ・ガンツ(Bruno Ganz)によるこの独裁者の精神的衰亡の迫真の描写が、ヒットラーの人格に焦点を当てることの妥当性(wisdom)に関して、とりわけドイツで賛否両論を巻き起こした。
 視聴者達の若干は、この総統の近接描写にぞっとさせられた(spooked)。
 ヒットラーなる現象ではなく人間に焦点を当てたことで、この映画は禁忌を破った。
 ニューヨークタイムスが記したように、彼の人格に対する好奇心は道徳的危険の感覚を伴っていた。
 あたかも、ヒットラーを理解することは彼が好きになる運命的な第一歩になるかもしれないかのように・・。
 <しかし、>著者は、ヒットラーの外観と内面をしげしげと見つめることが、その諸犯罪を相対化する、などということには同意しない。
 逆に、彼は、我々がナチの筆頭者の複雑な人格をも理解することなくして、ナチズムを理解することなどできない、と執拗に主張する。
 この長編の、しかし面白い、伝記を読めば読むほど、著者の言いたいことがもっともらしく思えてくる。
 ナチズムは、政策とイデオロギーに関しては中身が殆ど何もなかった(content-free)かのように見える。
 それこそ、それがウケた理由の一つかもしれないのだが・・。
 フォルクス・ゲマインシャフト(volksgemeinschaft)、すなわち、民族コミュニティ、についての散漫な叙述、及び、労働の尊厳についてのばか話、以外には、それは無内容だったのだ。・・・」(B)
 「・・・著者が提示しているのは、徹底的な、かつ、徹底的に読み易い、綜合的作品なのであり、著者は、個人的なものと政治的なものとを組み合わせて首尾一貫性のある全体像を描くことに成功している。
 <著者による、>このヒットラー像の「正常化」には、より幅広い意義がある。
 第二次世界大戦の後、余りにも長く、とりわけ、ドイツにおいて、ヒットラーは、殆ど、惨害を与えるために人類の間に降り立った宇宙生物であるかのように見られて来た。
 ヒットラーの人間性を認識することは、従って、意義ある一歩を踏み出すことなのだ。
 特に、彼もまた、我々のうちの一人であることを認める、という意味において・・。
 そして、それを何らかの意味での弁明と解釈すべきではないのだが、著者は、まことにもって正しくも、このアプローチは、この件を更に戦慄的なものにする、と論述するのだ。
 独裁者たるヒットラー、大量虐殺者たるヒットラーは、人間的であっただけでなく、全て余りにも人間的だったのだ、と。・・・」(A)
(続く)